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臨済寺

 臨済寺では、国の重要文化財に指定されている臨済寺本堂を、火災から守るため、令和3年度・令和4年度の2年をかけ、防災設備の更新した、

 少し前になるが、昨夏、この完成記念として、重文臨済寺本堂防災設備完成記念特別公開と題して、「炎の揺らぎを自動検知して稼働する放水銃のデモンストレーション」を実施されたので、これ見学した。

合わせて、普段は一般に公開していない臨済寺本堂や庭園、古仏を特別に公開され、自分としては、40年ぶりに本堂など拝観させていただいた。

特に、小堀遠州の庭園は見事で、修行僧の方たちの手入れの良さに感じ入りました。お見事。 

静岡市葵区の臨済寺は、今川氏の菩提寺として知られる禅宗の寺院です。
山号は大龍山で、同派の専門道場でもあります。

今川氏親が創建し、境内の東側附近(入口から見て右斜め奥、自転車置き場の道を北に上る)に今川氏輝や今川義元などの墓所があります。

 また、徳川家康が人質として駿河にいたときに、この寺で書や兵法を学んだとされます。

本堂は国の重要文化財で、庭園は国の名勝に指定されています。
江戸時代には朝鮮通信使の休憩所となりました。現在は春と秋に特別公開が行われます。 

臨済寺は、鎌倉時代に建立された禅宗の寺院です。
臨済宗の開祖である栄西禅師が、鎌倉幕府の御家人であった藤原頼経の招きに応じて、静岡に移住した際に創建しました。

 臨済寺は、栄西禅師の法嗣である無学祖元禅師や、日本茶の祖とされる栄西禅師の弟子である僧侶・栄西が住したことで知られています。

 このように、歴史的にも文化的にも重要な寺院であり、国宝や重要文化財などの貴重な文化財を多数所蔵しています。

 本堂(大方丈):国の重要文化財に指定されている入母屋造りの建物で、本尊の阿弥陀仏を安置しています。

静岡市葵区の臨済寺の本堂(大方丈)は、国の重要文化財に指定されている建造物です。

 江戸時代前期に徳川家康が正親町天皇の勅命によって再建したもので、入母屋造、こけら葺きの方丈形式の平面を持ちます。

 本堂には「勅東海最初禅林」という額が掲げられており、駿河の勅願寺であったことを示しています。

 本堂の内部には、名工春日の作と伝えられる阿弥陀仏が安置されています。

本堂は春と秋の年2日だけ特別公開されており、多くの人々が見学に訪れます。

入母屋造、こけら葺きの方丈形式の平面
 日本の伝統的な建築様式の一つです。

入母屋造とは、屋根の中央部分が高くなっている形で、四隅に垂木を出して切妻造とするものです。

こけら葺きとは、木片や樹皮などを屋根に敷いて防水する方法です。

 方丈形式の平面とは、建物の中心に広間を設けて、その周りに廊下や小部屋を配するものです。

このような建築様式は、寺院や貴族の邸宅などに多く見られます。

勅東海最初禅林
 この寺が駿河国の勅願寺であったことを示すものです。

 勅願寺とは、天皇の勅命によって建立されたり、特別な祈願や保護を受けたりした寺院のことです。

臨済寺は、今川氏親が創建し、今川氏の菩提寺となった禅宗の寺院で、武田信玄や徳川家康によって再建されました。  

 また、徳川家康が今川氏の人質として駿河にいた時期に、この寺で書や兵法を学んだと言われています。

 このように、臨済寺は駿河の歴史や文化に深く関わる寺院であり、「勅東海最初禅林」の額はその格式と由緒を表していると言えます。

 山門:仁王像を安置している門で、山号「大龍山」の額は徳川慶喜の揮毫によるものです。

 臨済寺の本堂にある山号「大龍山」の額は、江戸時代の儒学者である林羅山が書いたものです。

この額は、臨済寺の開祖である臨済義玄禅師が、中国で大龍寺に住んでいたことに由来しています。

 臨済寺は、臨済宗の総本山であり、日本の禅文化を代表する寺院です。 

大書院:内部に竹千代御手習いの間があります。竹千代は今川氏に人質として預けられた徳川家康の幼名です。 


書院:座禅堂:摩利支尊天信仰の外郭団体である開運講が年に一度招かれる場所です。

 開運とは、臨済寺の摩利支尊天信仰に基づいて活動する外郭団体の一つです。

開運は、摩利支尊天の加護を受けて、人生の幸福を得るための方法を教えるとともに、様々な社会貢献活動を行い、臨済寺の教えに従って、仏法を広めることを使命としており、そのために多くの信者や支援者を集めています。
 
新仏殿:1997年に建立された建物で、釈迦如来を祀っています。
 茶室「夢想庵」:鐘楼:通用門:庭園:国の名勝に指定されている池泉回遊式の庭園で、天正年間に築造されました。

 静岡の臨済寺の茶室「夢想庵」とは、賤機山の斜面に建つ、駿河湾と静岡市街地を一望できる素晴らしい景色を持つ茶室です。

 この茶室は、大徳寺南明亭を模したと言われており、臨済寺の境内にあっても、さらに結界が張られたような静寂な雰囲気を醸し出しています。

この茶室は、例年5月19日の今川義元公の命日と、10月15日の摩利支天祈祷会の年2日だけ、特別公開されます。

その時には、臨済寺庭園や本堂などとともに、貴重な文化財を見学することができます。 

臨済宗
 臨済宗は、中国と日本の仏教の一派で、禅宗の中でも有名な宗派です。

臨済宗の開祖は、唐末の禅僧である臨済義玄で、参禅問答による自己究明を宗旨としました。

 臨済宗は、公案と呼ばれる禅問答の集成に参究することで、自らの本性を見抜く「看話禅」を特徴としています。

日本には、鎌倉時代に栄西が黄龍派の教えを伝えて始まりました。
その後、多くの禅僧が渡来し、楊岐派や大慧派などの流派が形成されました。

 臨済宗は、武家や皇室の帰依を得て、京都五山や鎌倉五山などの禅刹を建立しました。また、五山文学や水墨画などの文化にも大きな影響を与えました。

臨済宗妙心寺派
 臨済宗妙心寺派は、日本の禅宗の一派で、鎌倉時代に栄西が伝えた黄龍派の教えを受け継いだ関山慧玄が開いた妙心寺を本山とする宗派です。

 臨済宗は公案に参究することにより見性しようとする「看話禅」の特徴を持ち、武家政権との結び付きが強く、京都五山や鎌倉五山などに多くの寺院を有しています。

 江戸時代には白隠禅師によって臨済宗が再興され、「中興の祖」として尊ばれています。

現在も臨済宗妙心寺派は日本最大の禅宗であり、多くの傑出した禅僧や文化人を輩出しています。

公案に参究することにより見性
 臨済宗妙心寺派は、日本の禅宗の一派で、関山慧玄を開祖とします。
臨済宗は、中国の禅宗の五家の一つで、臨済義玄に始まります。

 臨済宗の特徴は、公案に参究することにより見性する「看話禅」です。
 公案とは、禅の祖師や高僧たちの言行録や故事などを集めたもので、理屈では解けない問題です。

公案に参究することで、自己の心を研ぎ澄まし、本来の仏性を覚ります。

 臨済宗妙心寺派は、江戸時代に白隠慧鶴によって中興されました。
白隠は、「無門関」や「碧巌録」などの公案集に自らの評唱を加えて、「白隠禅話」として広めました。

白隠は、「看話禅」だけでなく、「黙照禅」や「念仏」なども重視しました。

 白隠は、「看話禅」を「頭脳の修行」と呼び、「黙照禅」を「心身の修行」と呼び、「看話禅」と「黙照禅」を統合し、「双修禅」と呼びました。

 さらに、白隠は、「念仏」を「信心の修行」と呼び、「双修禅」と「念仏」を結合し、「三昧耶形」と呼びました。

 この「三昧耶形」を用いて、多くの人々に禅の教えを伝えました。

追記
 臨済寺お庭は、日本庭園の代表的なスタイルである枯山水を用いた美しい作品です。

この庭園は、石や砂、苔などの自然素材を組み合わせて、山水の風景を表現しています。

庭園の中央には、大きな石が並べられた「虎の子島」と呼ばれる島があります。

 この虎の子島は、日本庭園の代表的な作品の一つです。
虎の子島は、池の中央にある小さな島で、その形は虎が子供を背負っているように見えます。

この島は、仏教の教えに基づいて造られたと言われています。
 仏教では、虎は慈悲と勇気の象徴であり、子供を守るためには命を惜しまないとされています。

虎の子島は、このような親子の愛情や信頼を表現していると考えられます。

 また、虎の子島は、自然と人間の調和を示すものでもあります。
池に映る虎の子島は、四季折々に美しい景色を見せてくれます。

静岡の臨済寺お庭の虎の子島は、日本文化や仏教思想を感じることができる素晴らしい場所です。

 このように、仏教の極楽浄土を象徴しており、庭園の見どころの一つです。庭園を眺めると、心が静かになり、禅の境地に近づくことができる。

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