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変わり行く薩摩土手 総集編

(要約)
薩摩土手とは、江戸時代初期に薩摩藩が安倍川の氾濫を防ぐために関わった堤防のことである。
安倍川は当時、駿河湾に注いでいたが、薩摩土手の建設により、流路が西へと変更されて藁科川と合流してから、駿河湾へと注がれるようになった。

この工事は、徳川家康から徳川秀忠への石槽船150艘の流用指示に基づいて行われたとされる。



石槽船とは、石垣や土塁を運ぶために使われた船で、家康が計画したが実現しなかった川辺城構想に関係している。

川辺城構想とは、家康が駿河湾に面したスペイン風の城を築こうとした計画であるが、その理由や詳細は不明である。

薩摩土手の歴史には多くの疑問や謎が残っており、さらなる調査と研究が望まれる。


 目 次
 1 これまでの薩摩土手の様子
 2 安倍川の流れの変更(西への移動による藁科川との合流) 
 3 藁科川と安倍川の関わり(平安時代からの藁科川)

 4 武田家(駿府制覇の時代)の雁行の信玄堤方式の採用 
 5 駿府城の築城計画(焼失の繰り返しによる再建築)  
 6 家康の築城計画(スペイン風の幻の川辺城構想) 

 7 家康から秀忠への石槽船 150艘の流用指示 
 8 各藩への造船時の500石制限
 9 北川と駿府城を結ぶ横内運河の計画と完成 

10 薩摩土手関連の各機関の掲載資料
11 薩摩土手の完成と権現様堤の名 
12 誤解されやすい薩摩義士との違い 

13 駿河国誌での薩摩土手の名 
14 安倍紀行、駿河國新風土記における薩摩土手 
15 明治の薩摩土手周辺の様子

16 大正の洪水被害と湯浅堤 
17 大正の薩摩土手を横切る安倍鉄道 
18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手 

19 平成の薩摩土手の碑建立
20 平成の土木学会による土木遺産の認定 
21 令和の緑地公園

ただいま各編21編調製中


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