見出し画像

歴史的な建築物

 居酒屋風来の簾潜りは、私の日課の一つだ。
仕事帰りに立ち寄り、我間太朗氏と顔を合わせると、いつもの席に座って一杯やりながら、今日あったことや世間話をする。

我間氏は大声で自分の意見をぶつけてくるが、それがかえって気分転換になる。他の客に迷惑をかけていると思われるかもしれない。

 きょうも早速の話題は、氏が掲載しているが「風来だより」百号を迎えるということである。

これまでに発刊から毎号いただいているため、そろそろとは思っていた。
私の好きな言葉、まさに『継続は力なり』である。凄いパワーである。

「風来だより」の中身は、当たり前のことだが、自分の考えと合うときと全く合わないときがある。この差が大きすぎる。

風来だよりの読者の皆さんも当然知っている自由奔放の氏の書き方である。

 おめでたい百号を迎える今、あえて詳しく書くことはしないが、百号のお祝いである。

さしでがましいが、その直前の99号、人間でいうと白寿の祝い、その白寿号のペンを取らせていただくことになった。

いや、正確にはワープロを打たせてもらうことにしたというのが正しい言い方であろう。

 書き始めたこの日、9月7日は、ちょうど暦の白露、白が偶然にも重なった。

今まで、ものを書くといった経験はなく、まず、困ったことがあった。氏のようなペンネームがないことであった。

 あれこれ考えているうちに氏の勧めもあって、自分が生まれた静岡市西門町、通った幼稚園が宝台院のアソカ幼稚園ということで、名は、梵語のアソカをもじって、あすか---飛鳥。40、50は、はな垂れ小僧、自分の人生、まだ、幼稚園と言うことで。

そして、年柄でもないが、好きな歌手にあのチャゲ&飛鳥もいた。
 はずかしながら、「西門飛鳥 saimonasuka」。のちに祭門飛鳥に。

 自分としては、宝台院飛鳥としたかったが、宝台院の『宝』では、名前負けするということである。

本人の考えを無視した、非常に勝手な命名者の言い分であるが、まあ、気に入った。

 早速、仕事場での身の回りの出来事。「歴史的な建築物」のことが頭に浮かんだ。

この店では、左官業の茂兄という人と仲良くなった。彼は『鮎釣り名人』と呼ばれているが、私はその腕前を見たことはない。

 よく一緒に飲んで、色々な話をする。彼は笑顔が素敵で、話も面白い。私は彼と一緒にいると楽しい気分になる。

 もちろん、意見が合わないこともある。私はカラオケが好きだが、彼はあまり得意ではない。私は下手な人ほど人柄が良いと思う。

 彼は自分の歌が下手だと思っていないのだ。それが不思議だ。でも、それが彼の魅力でもある。

 風来の茂兄という人を尊敬している。彼は『鮎釣り名人』だけではなく、『人生名人』でもある。

 左官工事の親方として知られる茂兄は、カラオケ仲間としても人気がある。

1週間に2、3回はカラオケで歌っている。チョボチョボの歌唱力で周囲を楽しませる。歌う曲は、演歌が多い。

 左官左官工事で県内では伊豆の漆喰が有名である。
これらを使った建造物は、こだくみや、もく、番匠と呼ばれていた職人たちが作ったもので、漆喰芸術などの左官技術が見事に施されているという。

 この漆喰芸術は、明治13年に岩科村(現在の松崎町)の大工棟梁る計施工した岩科学校の2階部の上部に施されたものです。

漆喰彫刻には、真っ赤な色の『千羽鶴』などが見られる。

 岩科学校は、漆喰彫刻の名手として知られる長八の作品を多く紹介している古い歴史的建築物だが、全国的には、あまり知られていない。

しかし、岩科学校は、高木九五郎の技術とセンスを感じることができる貴重な建造物である。

 さて、「白寿」号のペンを取らせてもらうことにしたものの自分には氏のように、その日、その時の話題を、ちょいの間で、ものにしてしまう程の文才はない。

 したがって、読み手の皆さんが御大の仕事との関係上、建設、建築の仕事の方が、多いと勝手に考え、少し堅い話になって恐縮であるが、今まで自分の温めていたものを書かせていただくことにした。

 出社したある朝のことである。
 中日新聞の朝刊に「江戸の文化、消滅の危機、民家二棟、蔵一棟、貰い手いませんか」と5段の見出しで、大きく書かれた記事が載っている。

 良く読むとその記事の内容は、静岡市の登呂遺跡近く、安倍川餠で有名な「Y」所有の江戸時代の民家、蔵が同社の資金繰りの都合で、残念なことに取り壊されるということである。

 私はこの記事に興味を持ち、早速ネットで調べてみた。すると、「Y」社は江戸時代から続く老舗の餅屋であり、その民家や蔵は当時の建築様式や技法を今に伝える貴重な文化財であることがわかった。

また、この民家や蔵は野外博物館や歴史公園などに移築保存することを希望しているが、費用や手間がかかるためになかなか引き取り手が見つからないということだった。

 私はこの記事を読んで感じたことは二つある。
一つは日本の伝統的な民家や蔵が失われてしまうことへの残念さである。

私は建築に関心があり、特に江戸時代の民家や蔵はその構造や意匠が素晴らしいと思っている。

時代を経た民家などは、日本人の暮らしや文化を映し出すものであり、後世に伝えるべき貴重な遺産だと思う。
もう一つはこの記事が示す現代社会の問題点である。
 
 この記事から日本人が自分たちの歴史や文化に対する関心や尊重が低下していることを感じた。

それは「Y」社だけではなく、私たち一般市民にも言えることだろう。
私たちは日々忙しく生活しており、自分たちが住んでいる土地や建物について深く考えたり調べたりする機会が少ない。

それどころか、古いものや不便なものはすぐに捨ててしまおうとする傾向がある。
これは非常に危険なことだと思う。

歴史や文化を知らなければ自分たちがどこから来てどこへ行くべきかわからない。

 この記事では、静岡県内にある歴史的に価値のある民家について紹介している。その中でも、特に注目したいのが、Y社が所有する建物である。

この建物は、明治時代に建てられたもので、木造建ての立派な造りになっている。しかし、この建物は老朽化が進んでいる。

Y社は、この建物を取り壊して新しいものを建てる計画を進めているという。

 この建物が歴史的にも建築的にも貴重なものであると主張し、保存を求めているこえもある。

 記事の終わりに、この話を聞いた一市民が、「こんな立派な民家をつぶしてしまうなんてもったいない」と感想を述べている。

これに答えて、「Y」の社長も「できれば私も壊したくない。この建物を理解してくれて、再利用してくれるなら、喜んで差し上げたい」との話である。

 更に、堅い話で恐縮だが、ここら辺りで、読んでいる方に風来だよりを投げられてしまうかもしれない。

 文化財保護法などで指定されている重要文化財建築物、県内の民家では、韮山町の江川家住宅、相良町の大鐘家住宅、そして、森町の友田家住宅など民家で保護を受けているのは、この6件だけである。

 このように文化財保護法などで守られているものは、十分とは言わないまでも、何とか今まで保存されている。

また、これ以外でも、中村興資平が実施設計したあの屋上がドームの静岡市役所本館庁舎などは、公共団体が保存するから、言い換えれば、税金で保存するから、金銭的にはまあまあである。

 しかし、このような歴史的に価値のある重要文化財建築物公共建築物のほかにも、すばらしいものが県内の各地に残されている。

所有する人が、歴史的に価値のある建築物に住み、使用しながら、保存して行くことは大変ご苦労なことである。

そして、その地域、風土といったものに合わせて造られた物が、残念なことに、いつの間にか、取り壊されて行く運命にある。

 自分の今まで関わった仕事とは少し違うが、スタッフや上役と何だかんだといいながら、これらを何とかできないものかと手を出してみた。

 こういうことは、国では文化庁、県や市町村であれば、教育委員会が得意である。

 文化関係の担当課を尋ねたところ、やはり、10数年前に、県内の民家を調査したとのこと。

調査名は、「民家緊急調査」。この調査の結果があるということである。

 それによると、歴史的に価値のある民家は、当時、県内に395戸。もちろん家屋として現在使われているものである。

 これらの民家が地域の都市化の波に勝てずに、ビルなどへの建て替えを理由に取り壊されている現状であった。

 あたりまえの話であるが、これらの建築物は取り壊されたら、二度と戻らない。

 歴史的な建築物を保存するには、どのようなことをすればよいのか。
簡単に言えば、取り壊しの危機にある建物を所有者から引き取り、移築して保護するという方法がある。

 しかし、これは簡単なことではない。
移築するには、建物の価値に見合った費用がかかる。

一軒だけでも数千万円、十軒なら数億円にもなる。
さらに、移築先の土地も確保しなければならない。

そう考えると、現実的には難しいと感じるだろう。
寄付者が大勢いてくれればいいが、そういう人はそうはいない。

 そのようなことから、「夢を見るなら大きく見よう」と思って、ある計画を思いついた。

まず、何人かの篤志家に声をかけて、財団法人を設立する。
そのためには、最低でも十億円の基金が必要だ。

その基金を運用して得られる利益で、毎年五千万円分の移築事業を行う。移築先は、過疎化が進む地域にする。地域振興にも貢献できる。
 
 考えた場所は、大井川沿いの桜の名所だ。
そこに歴史的な建築物を集めて、観光スポットにする。

SLに乗って訪れる人たちに、「タイムトラベル」の体験を提供するのだ。「桜トンネルはタイムトンネル」というキャッチコピーで宣伝する。

 これは夢物語かもしれないが、夢は現実化する可能性もある。
この夢を実現するためには、まず具体的な計画を立てる必要がある。

歴史的な建築物を保存するには、どのようなことをすればよいのか。
簡単に言えば、取り壊しの危機にある建物を所有者から引き取り、移築して保護するという方法がある。

しかし、これは簡単なことではない。

 移築するには、建物の価値に見合った費用がかかる。
一軒だけでも数千万円、十軒なら数億円にもなる。

さらに、移築先の土地も確保しなければならない。そう考えると、現実的には難しいと感じるだろう。
寄付者が大勢いてくれればいいが、そういう人はそうはいない。

 プレゼンの相手となる重役は、仕事では厳しい言葉を使うことが多く、失敗したら「銃殺刑だ」と言うこともあるが、実際には誰も銃殺になったことはない。

 何とかして、私のアイディアは、少なくとも却下されることはなかった。

 さて、最初の関門は突破した。次は、経理担当に資金の手配をお願いすることだ。

事業の内容や見込みなどを伝えると、相手は『うーん、難しいなあ。』と言った。

 こういうときは意外とチャンスがある。「左手パーを右手で打つ」の得意技である。

 色々と交渉しているうちに、建物だけでなく、丸子の町並み全体も対象に入れて、事業費は倍になった。

仕事の規模は大きくなったが、それで良かった。

他の新規事業に比べても、苦労はしたが、何とか、この歴史的建築物保存事業は立ち上げることができた。

 自慢になるかもしれないが、この提案で受賞し、その賞金もいただいた。

 さて、ここからが本番だ。「歴史的建築物・歴史的町並み」の写真集の発行である。

その対象となる建物や町並みはたくさんある。民家だけでも二千棟以上、町並みも五十以上ある。その中から選ぶ作業が待っている。

 この仕事は、友人が指揮した6月間の調査で、約500人のボランティアの協力を得て、歴史的建築物・歴史的町並みの写真撮影を完了した。

この調査の詳細は、この本にまとめられている。
 ちなみに、以前に取り壊されるとお伝えした「Y」の民家は、伊豆の方に移築されて保存されている。

 最後に、氏から感想文をいただきましたので、ご紹介する。

 働き盛りの飛鳥氏は、風来だより投稿ということで、情熱的に、この作品を書き上げてくれましたことをまず、御礼申し上げます。

 日頃、思っていることを文章にまとめるということは、難儀なことです。

 氏は仕事柄、建築物とか建造物などの専門知識のある方で、ことあるごとに、楽しく話を聞かせてもらい、私なども、色々な知識を吸収させてもらっています。

運動不足気味なのか、近頃はやや太り気味の体型を重そうに、歩く姿に同情しています。

 町内会のンフトボール大会などでも、一緒に遊んでもらう機会があり、敏速に運動している氏は、頼もしく思えますが、肥満した身体を重そうに動かしている光景は、やっぱり同情的な見方をしてしまいます。

 風来だより92号で、簡単に氏を紹介させてもらいましたが、今後の風来だより作家として、読者の皆さんも楽しみにしていることと思います。

 新聞、テレビ、週刊誌などでは、知らされない、秘話なども、氏の情報網から、提案していただき、中身の濃い風来だよりを作り上げていきます。

 秋ともなると、山歩きとか、旅行シーズンということで、盛りだくさんの話題が取り上げられることと思っています。

 今までは、私一人が風来だよりを書き上げてきましたが、これからは、氏と共に目立たない隠れた話などをご招介していきたいと考えています。

 この99号は、特別に氏の苦労した体験談を掲載していただきましたが、百号は、風来だより百号突破記念作品として、九州、屋久島に取材旅行をして、屋久島に伝わる隠れ話などを聞き出して、風来だよりで読者の皆さんにご紹介したいと思っています。

 私、共々、飛鳥氏を今後とも、よろしくご指導いただきたくお願い申し上げます。

                     我間太朗「がま・たろう」 

参考

2020.9.12、加谷 珪一氏がホームページ「社会の今、未来の私」で、「日本の歴史的建物が次々と壊されている本当の理由」について、次の通り書かれている。

 オリンピック特需もあり、ここ数年、都市部を中心に大規模な再開発が続いてきました。

一方で、歴史的に重要な建物が保存されないという問題も発生しています。日本はすでに成熟国家なはずですから、古いビルをあえて残すことで、これを経済的利益につなげられるはずですが、なぜ、うまくいかないのでしょうか。

兵庫県尼崎市内にある洋風建築「ユニチカ記念館」が解体の方向で検討が進められていることが明らかとなりました。

ユニチカ記念館は、同社の前身である尼崎紡績の本社として1900年(明治33年)に建てられたもので、国の近代化産業遺産にも選定されています。

 建物を所有しているユニチカは、当初、リニューアルを計画していましたが、耐震工事に4~5億円の費用がかかることが分かりました。

市民からは存続を求める声が上がっていますが、尼崎市も財政難から資金を捻出できず、このままでは解体されてしまう可能性が高いとのことです。

東京の神保町では、90年にわたって街を見守り続けてきた旧相互無尽会社(神保町ビル別館)の解体が始まりました。

現在の所有者は隣の土地と合わせて新しいビルを建設する予定ですが、趣のあるビルですから、一部から解体を惜しむ声が上がっています。
 近年、日本では歴史的建造物の取り壊しが急ピッチで進んでいます。

東京都港区の赤坂には、世界的な建築家として知られた丹下健三氏が設計し、文化的な価値が高いとされた「赤坂プリンスホテル」が建っていましたが、築29年であっけなく解体されてしまいました。

日本モダニズム建築の傑作といわれた「ホテルオークラ東京本館」も取り壊され、すでに高層ビルに生まれ変わっています。

オークラの取り壊しについては、各国の文化人らが反対を表明するなど海外でも話題となりましたが、計画は予定通り実施されました。

 京都市では、歴史的景観の保全を目的とした建物の高さ規制について、市が緩和する方針を打ち出したことが波紋を呼んでいます。

オフィスや住宅の開発を促進することが目的とのことですが、美しい景観が損なわれることを危惧する声が上がっています。

 建物の取り壊しが問題になると、決まって
「経済成長のためにはやむを得ない」

「日本は地震国なので解体は当然」
「高温多湿な日本の気候は諸外国とは違う」

「文化遺産の保存と経済は両立しない」といった意見が出てくるのですが、これらはすべて誤った認識に基づいています。

建造物を建てては壊すといった、いわゆる新規の建設需要で経済を回すのは、かつての中国など発展途上国が採用する成長モデルです。

先進国の場合、古い建物を活用することで、そこに付加価値を生み出す成熟型モデルを採用した方が圧倒的に大きな利益を得られます。

 ロンドンではテムズ川のほとりに廃墟として放置されていた発電所がリニューアルされ、大規模なオフィスやレジデンスとして生まれ変わりました。

ニューヨークの超名門ホテルであるウォルドルフ・アストリア・ニューヨークは、建物の美観維持を条件に投資家に高値で売却されています。

古いものをそのまま生かすだけで大きな富を創出できるのは、文化遺産が多い先進国ならではの芸当といってよいでしょう。

 再開発計画が進められていた頃のロンドン・バタシー発電所。
その印象的な姿はピンク・フロイドの’77年作『アニマルズ』のアルバムジャケットをはじめ、数々のアートワークや映像作品で使われている。

確かに日本は地震国ですが、それを言うなら米国のカリフォルニアやイタリアも日本に匹敵する地震多発エリアですが、古い建物がたくさん残っています。

高温多湿というのも日本だけの話ではなく、米国にも日本並みの気象条件の州はたくさんありますが、建物の保存が出来ないという話は聞いたことがありません。

 日本にも先進諸外国と同じように活用できる資産がたくさんあるのですが、残念ながら、こうした資産を生かそうという方向には進んでいません。

日本は特別なので、諸外国のようにはいかないというのは、完全な思考停止といってよいものです。

 実は90年代までは、日本でも文化的な遺産を保存し、これを経済的利益につなげようという動きがありましたが、2000年以降、こうした動きは一気に萎んでしまいました。最大の理由は、経済の落ち込みでしょう。

 先ほど、先進国は文化遺産を有利にお金に換えられるという話をしましたが、それは、豊かな成熟社会を実現した後の話です。

本来であれば、日本もすでにそのような国になっていたはずですが、バブル崩壊以降、日本の成長率はあまりにも低く推移したことから、相対的な豊かさは先進諸外国の3分の2から半分に落ち込んでしまいました。

今回のユニチカのケースも、たった4億円の費用が捻出できないという話ですから、結局のところ、文化遺産で利益を上げる前に、社会が貧しくなってしまったということに他なりません。

しかしながら、目先の利益を優先した経済運営を続けていると、最終的には大きな富をもたらすはずの貴重な文化遺産をすべて失ってしまいます。

 近年は、あまり成長しなくてもよいという意見も耳にしますが、筆者はそうは思いません。

健全な経済成長ができなければ文化は衰退し、結果的に文化で利益を上げることもできなくなってしまうのです。
                 
 加谷 珪一 Keiichi Kaya 
1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。

野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。

現在は、経済評論家として金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。

著書に「スタグフレーション」(祥伝社新書)、「貧乏国ニッポン」(幻冬舎新書)、「感じる経済学」(SBクリエイティブ)、「お金持ちはなぜ、「教養」を必死に学ぶのか」(朝日新聞出版)など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?