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抜け落ちるスクリプト

電気がついているのに、なぜかいつも薄暗く感じるんです。
昔は、リビングとダイニングの間にブラウン管のテレビがありました。
赤と白のチェックの布がかかった棚を、お父さんがDIYで作ってくれたんです。テレビゲームを入れる、私たちの夢がいっぱいつまった宝箱。そう。あの時は宝箱だと思っていました。

その棚の向こうにはダイニングとキッチンがあって、そして、冷蔵庫の手前には、お父さんが作った大きな棚がありました。固定電話や鉛筆立て、アルバムに料理本…いろんなものが入っていました。

光っているのに、薄汚れて見えるもの。なんだかすべてが灰色で、重苦しくて、色があるはずなのに、色がないような、なにかがないような、そんな気がしていました。ずっと、大事なものが抜け落ちているような感覚で、ずっとそのピースを探しているのですが、どこにもないんです。そのたびに、私が探しているものは、この世にはないのかもしれない、と、がっかりしてしまうんです。

縫いつけられた人形は、踊ろうにも踊れません。人形は、笑わないのです。そこにあるのに、そこにないもの。やっぱり、ここにもありませんでした。
なんだか悲しくなってきました。どうしたら、あんなふうになれるんだろうって、うらやましくて、うらやましくて、一生懸命ジャンプするのに、何を掴みたいのかもよくわからなくて、霧を掴むような、何をめざしているのか、いないのか、ええ、目指したくもありませんでした。
マリオネットは、動かす人がいないと、その場に崩れ落ちるしかないのです。ええ、モノクロの舞台ですら踊れない。もう幕引きにしたいのです。

どこまでもどこまでもつながって、銀河の線路を進んでいく蒸気機関車が、流れ星のように、向こうへ消えていくとき、何もなくなって、それでやっと、すとんと、夢から覚めることができるのかもしれません。

依然として暗闇の洞窟を歩くような不安感があって、どうしてもだめですかって、先生に聞いてみるのですが、答えは何も返ってきませんでした。
階段教室の上の方から駆け下りていく男子生徒を眺めています。
外は穏やかないい天気です。

私はどこに居ても、ぼーっと、幽霊のように、あっちへふらふら、こっちへふらふらしているような気がします。生きているようで、死んでいるような、亡霊のように日々を送っていました。

だって、実体を持つのがこわいんです。輪郭がはっきりして、質量を感じること。何かを手に掴んだり、足の裏で床を踏みしめている感覚を感じること、笑うこと、楽しむこと、体験すること、生きること、なんだか、すべてが怖いんです。

生きていてはいけないのでしょうか。生とはなんなのでしょうかと、誰に問いかけるでもなく、問いかけながら、その場にしゃがんで、水色の涙を、ぽたぽたと流しました。涙を流した分、少しずつ、体がかるくなります。
向こうの方に虹がかかっているのが見えます。いい天気だなあって、ふと思って、頬に当たる日の光を、あったかいなって感じて、ほっこりとした気分で満たされて、自然と笑顔があふれて、また涙をぽろぽろこぼして、こぼした涙が川になるまで涙を流し続けて、川になるころには、夕日が、夕日の赤が川に沈んで、それはそれは美しく、きりっとした気持ちで、今日も一日を終えることができたのでした。

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