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泥の中のスクリプト

緑色のTシャツが干されています。ぱきっとした、緑色。折り紙のような緑色。あまりファッションに興味はないけれど、気が付いたらお気に入りになっていました。本当は毎日着たいくらいだけど、今は寒いから、夏がくるまではタンスの中に入れておかないといけない。でも、この緑色が好きで、今の時期でも部屋の中でつるしておきたくなるんです。

気が付いたら、お気に入りのものがこの家の中にたくさん増えていた。あれも、これも、それも。自分では増やした覚えはないけれど、いつの間にかそばにいて、生活の一部になっている。
大切なものが増えるということ。それは、豊かになることだと思っていました。でも、実際は、大切なものがどんどん増えるごとに、宝物が、沼の中を歩くように、足や背中にまとわりついて、身動きが取れなくなって、やがて沈んでいってしまうような気がして、怖くなってしまうんです。

沼の底で、呼吸を、ゆっくり、感じてみます。泥の中の気持ちよさを感じながら。やがて、泥と一体になって、心地よさの中で、少しの間、眠っていました。夢も何も見なかったけれど、このままずっと起きなければいいのに、と思いながら、ゆっくり、ゆっくり、ゆーっくり、水面に上がってきます。はあーーー、と、息を大きく吐いて、体の中の空気を全部抜いて、全部を入れ替えるみたいに、何回も、何回も、ため息をついてみます。ため息をつくごとに、体が軽くなって、誰かが引っ張り上げてくれているみたいに、泥の中から少しずつ腰を浮かせていきます。泥は冷たいけれど、体温が上がっているのを感じます。やがて、体の内側からあたたまっていくと、ガラクタだらけだった世界の一つ一つが、パズルのピースのように、かけがえのないものに見え始めたんです。僕はただ、大切だな、と思うだけでよかったんです。それ以上は必要ないんだってわかったんです。

空に向かって咲く蓮の花のように、すがすがしい気持ちで、まっさらになって、また明日から、一日を生きていこうと思います。


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