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愛を生きたスクリプト

子供の頃は、何も映らないテレビが、畳の居間にあったんです。

よくあるブラウン管よりもっと前の、つまみを回してチャンネルを変える、大きな木製のテレビ。

あれはいつの日だったかなあ。
外で蝉がうるさく鳴いて、何もしなくても汗がじわじわ溢れ出すようなかんかん照りの日。居間で寝転がりながらソーダの棒付きアイスを食べていたんです。
袖と襟が青い、白のTシャツに、デニムの半パンを履いていました。

蛍光灯の点いた木の天井をぼんやり眺めながら、ああ、夏ももう終わりか…としみじみ思ったんです。

そう、もう全てが終わる。
始まったときは止まらなかったワクワクが、今はもうひぐらしの鳴き声のようで、陽炎のようで、水平線に沈む夕陽のようで、散っていく桜を見ているようで、なんだか切ない気持ちになるんです。

まだ終わってもいないのに、もうすでに懐かしい。
今があの頃と重なっていて、あの頃が、鮮やかに蘇る、あの瞬間。僕は確かに今を生きていた。

あの夏の花火が忘れられず、あの夜の星空が愛おしい。
確かに僕たちは生きていた。

セピア色に色褪せたフィルムが、映写機の中でカタカタと動いて、ここでは永遠に同じ時間が流れていく。

あの頃のような生はそこにはなくて、でも、確かにここに、僕の心の中に、君と生きた証があるから、僕はまた歩き出していける。

見送った君が笑顔でありますようにと祈りながら、僕は晴れやかな気持ちで、軽やかに生きていけるのです。

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