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ノート・ル・ダム

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日記のような、エッセイのような、ポエムのような。それぞれの中間のような文章を書かせて頂いております。
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#エッセイ

縁起でもないことについて語ること

「縁起でもない」という言葉が力がなくなっているように感じる。 もし飛行機が落ちたら、もし津波が来たら、もし自分が死んだら、とかそういうことを考えるのはタブーでなくなってきたように感じる。 自分が死んでしまうかもしれない、というのは考えるべきでないことだった。まあ、これは完全に個人の実感なのだが。 10年くらい前までは、死を口にすることは、「縁起でもない」と叱られているのをよく目にした気がする。 実際のところは、自分の考えの変化かもしれないけれど。 死について語ること

レシートが片付けられない

レシートを片付けるのが苦手である。 別に、特段、難しいことではない。 誰だってできる。 しかしながら、わざわざレシートを片付けるために時間をつくるというのは非常に難しい。 なぜなら、レシートを受け取った瞬間は、後ろの客が控えているからである。特にコンビニにおいてそれが当てはまる。すぐに財布に入れ、その場を離れなくてはならない。 飲食店である場合には、後ろに客がいなくとも、となりに知人にいるから、話に集中しなくてはならない。すぐに財布に入れ、食べたラーメンの味の感想を述べ

考えることは実は考えてない

「すぐに答えなくてもいい、一度じっくり考えてみればいいさ」 おどろくような提案がされたときに、よく聞くセリフ。だいたいドラマで出てくるイメージ。 海外転勤が決まった交際相手にプロポーズされたでもいいし、友人から起業に誘われたでもいいし、そういう感じの大きな意思決定。 個人的見解をいえば、こういう決断をするとき、たいていの場合、メリットとデメリットを比較して、論理的な結論を導くことはほぼないです。 これがしたいか、これをしたくないか、という感情的なところ

空白をつくる

自分が自分であることに疲れることがある。 人と関わりたくないときがある。 生きていることがめんどくさくなることがある。 そういう時にいったい何をすればいいんだろう? と思ってしまう。 僕の場合、だいたいそういうときには頭の中に情報が詰まりすぎている。 いつでもどこでも人と繋がれる、情報と接せられる時代になって、僕はいささかお腹いっぱいです。 いろんな物事を自分の中で消化できる速度がとても遅いのです。 世の中が目まぐるしく動いていくペースについて行くのがむずかしい。

生きるというのはこういう事じゃないか

 とわかった気になりました。  僕はまだ二十代で、まだまだ、まだまだまだ経験も足りていないとは重々承知しています。というか、生きていても分からない世界が残されたまま生きていって、死んでいくということじゃないでしょうか。  5歳の時よりも、15歳の時よりも、確実にこの世で生きていくということについて理解してきたんじゃないでしょうか。経験的な蓄積もそうですし、知識的な蓄積もそうです。  自分の理解できない人間を否定したりバカにしたりする人もいれば、最先端の技術を開発したりす

説得力のあるポエマーになりたい

いや別にポエマーそのものになりたいわけじゃないんです。という言い訳を先にしておきます。 詩という言葉は、しっかりと地位を築いているような気がします。詩人というのは、谷川俊太郎さん的なプロフェッショナルに詩を書いている人たちを指しているのが、2018年時点での一般的な意味だと私は解釈しております。私にいくらかの常識感覚が備わっているのであれば、だいたい合っているのだと信じて止まないです。止まない雨はない。 その、noteを書き始めて思うのは、noteのフォームが私の中のポエ