#ドリーム怪談 投稿作「お堀端の待ち人」

 お城の周り、お堀端通りを通る時、目を引くものがある。
 朱塗りの橋の傍らに立つ女性だ。
 落ち着いた雰囲気の振袖を纏った彼女は、何故か雨の日にだけ橋の傍らで傘を差して佇んでいる。
 差している傘は、着物に合わせたのだろうか、和傘だ。現在では雨の日にはほとんど使わないというから、余計に彼女の姿は目につく。
 降りしきる雨の中、物憂げに立つ彼女。
 晴れた日には姿を見せることがない彼女。
 雨のお堀端通りを行く時、私は自然と彼女の姿を探す様になった。
 いつもの場所、橋の傍らで、傘を差して佇むだけの女性。
 傘で翳って顔は良く見えないが、雨に溶け込むような儚い雰囲気は伝わってきた。
 そんな彼女に声を掛けられる程、私は肝が据わっていない。
 従って、私はいつも傘を差して、雨の中を心持ちゆっくりと歩いて彼女の前を通り過ぎるのだった。
 雨のたびに、彼女はずっとそこに立っている。
 梅雨時、春秋の長雨の時期、そして……台風の時でさえ。
 そう、台風が接近し、強い雨と風に見舞われている中、帰路を急ぐ私はやはり、橋の傍らに彼女を見た。
 袖が風に靡き、質の良さそうな着物は裾の方が横殴りの雨で濡れてしまっている。
 それでも彼女は微動だにせず、そこに在った。
 私は流石に放っておけず、ついに彼女に声を掛けてしまっていた。
「どうなさいました? これから台風が直撃するそうですよ、危険ですからお帰りになった方がよいのでは?」
「いいえ……」
 静かな声で彼女は言った。
「私は、愛しい人をお待ちしているのです」
「あぁ、待ち合わせなんですね?」
「はい」
「それは失礼しました。しかし、お相手に急いでいただいた方がいいと思いますよ、お気を付けて」
「――ご親切にありがとうございます……」
 彼女は少しだけ頭を下げて、再びぼうっと立ち尽くしていた。
 私も強まる風雨にそれ以上その場に留まるのは憚られ、急ぎ足で彼女の前を通り過ぎた。
 それでも気になって僅か振り向くと、彼女はそこに在るのが当然とでもいう様に立ち続けていた。
 それからも、彼女は雨の日にだけ橋の傍らに姿を見せていた。
 声こそ掛けなかったが、いつも気にはなっていた。
 彼女は「愛しい人を待っている」と言っていた。となれば、いつもあの場所で待ち合わせをしているのだろう。
 しかし、それにしては雨の日にしか待ち合わせをしないというのはどういう事だろう。
 そんな疑問が胸をよぎり始めた折り、お堀端通りに差し掛かった私は急な雨に降られていた。
 生憎と傘の持ち合わせがなく、バシャバシャと水音をさせながら急ぐ私の視界に、彼女の姿が入った。
 いつもの様に傘を差して立っていた。
 癖になっていたのか、自然と速度が緩み、彼女に近付くにつれて足は止まってしまった。
 同時に、降り付けていた雨が勢いを弱め、次第にポツポツとしたものに変わり、ついには真っ黒な雨雲は行き過ぎて、晴れ間が出てきた。
 どうやら通り雨だったようだ。
 私は当然の様に彼女は傘を畳んで、愛しい人を待ち続けるのだろうと思っていた。
 だが、私は傘を傾けた彼女の顔を見てしまった。
 顔を流れているのは雨……いや、涙かもしれない。
 すうっと頬を伝い、輪郭に沿って地に落ちる直前、彼女の顔にひびが入った。
「何故何故何故……」
 見る見るうちにひびだらけになった顔が、乾燥し切った砂のように崩れていく。
「どうしてどうして来て下さらなかったのですか……あぁ、雨が……!」
 彼女の嘆きの声が耳を打つ。
 突然の異状に呆然と見ていると、顔が完全に消えてしまった彼女は背後を振り向くなり、柵を越えてお堀に飛び込んでしまった。
「ちょっ……!」
 流石に慌てて駆け寄って水面を見ると、今し方人が飛び込んだとは思えない程、お堀の水面は静かなものだった。
 何が起きたのか、まったく意味が分からない。
 ただ、雨の日にしか彼女が現れなかったのは、雨の間しか存在できないからではないかと漠然と思った。
 気になって地元に住んで長い祖母に聞いてみたところ、祖母は痛々しそうに呟いた。
「まだあの場所にいらっしゃるんだね……婆ちゃんも昔、雨の日にお見かけしてね。婆ちゃんの婆ちゃんに『昔の話だよ』って聞いた事があったんだけど」
 祖母は、己の祖母から聞いたという話を語り出した。
「あの方はね、ずいぶん昔のお武家様の娘さんだそうだよ。側室としてお城に上がることが決まったんだけれど、好いたお方が街にいてねぇ。添い遂げるためならと雨の夜に待ち合わせて、駆け落ちをしようとなさったんだけど、相手のお方はとうとう姿を見せなかった。雨が上がった時に裏切られたことを悟って、彼女はお堀に身を投げてしまったんだよ。それからだというよ、雨の日になると彼女があの場所に立つようになったのは」
「武家がいたような頃からずっと?」
「あぁ、そうだよ。彼女は愛しい人を今でも待ち続けていらっしゃる。だから、雨の日に彼女に出会ったら絶対に言ってはいけない言葉があるんだよ」
 祖母は、手を合わせて拝む様にすると、言った。
「誰かお待ちですか?――そう訊ねると『貴方を待っていたのに』と恨めし気に言う彼女にお堀の底に連れていかれてしまうそうだよ」
 ひやりと背を冷たいものが撫で下ろした。
 あの時、彼女に声を掛けた時。
 もし私が知らずにそれを口にしてしまっていたら。
 ――それから、私は雨の日はお堀端通りを避けて歩くようになった。
 彼女はそこで、まだ来ぬ人を待っているのだろうから。

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