#ドリーム怪談 投稿作「七歳までは」

 子供は“七歳までは神のうち”と言うのは民俗学ではよく聞く話ではないでしょうか?
 諸説ありますが、昔は幼子が七歳まで生きるのは大変なことであり、まだ神様の領域にいる為に容易く死して神様の元に帰ってしまう、というある種の諦観なども含まれていたのでございましょう。
 数えで七歳を超えると人間として生きていく事になる、というのも、そこまで生きられたら一安心、働き手としても数えられるという事でもあったのでしょう。
 とある寂れた漁村でも、やはりそういった考えが根付いておりました。
 その村では男は日々、漁に出て魚を取り、女は近隣の土地が豊かな村へと魚を売りに行き、作物を買って帰っておりました。
 生活は決して豊かとは言えず、余裕のなかった村では子供は村全体で育てているようなものでございました。
 乳飲み子から数えで七歳を迎えるまで、子供達は『かんわら様』と呼ばれ、それは大切に育てられました。
 年寄りは日頃からかんわら様達に手を合わせる事もあり、不漁が続くとかんわら様達にご馳走を振舞って豊漁を祈願する風習までありました。不思議と、彼らの機嫌が良い時は漁も順調で、他の村で魚も高く売れ、手に入る作物も増え、村に余裕も生まれるのでございます。
 しかし、やりきれない事ですが、やはり幼子はちょっとしたことで命を落としてしまうものです。
 村で幼子が亡くなると、葬儀をあげる代わりに小舟を作ります。そして、ご遺体を小舟に乗せ、沖合まで船で引き、海へ放します。
 そう、海の神様の元へと、お預かりしていた子をお返しするのです。
 村の者達は、浜からそれを見送り、手を合わせます。
「かんわら様、かんわら様、わだつみ様にこの世は良き所であったとお伝えください。再びこの世にお戻りになる時も、どうか我らの元へとお出で下さい」
 みな、その様に祈願して、幼子の命が喪われたことを悼むのです。
 しかし、稀にではありますが、ご遺体を乗せたままの小舟が浜へと戻ってくることがございました。
 潮の流れの関係もあったのでしょうが、それは村にとっては大変な意味を持つ事だったのです。
 ――お返ししたはずの子が、神様に受け取って頂けなかった。
 しかし、それは否定的に取られたわけではありません。
 神様の元へと帰れなかった子。
 それは、まだ神様に定められたお役目がこの世に残っている子でございます。
 村では『ひる様』と呼ばれる存在です。
 ひる様が見つかると、村で一つきりの神社から神主が駆け付けます。
 祝詞を上げ、ご来訪を歓迎し、ひる様は丁重に神社へと運ばれます。
 そして、ひる様のお役目が済むまで、村では入れ代わり立ち代わり人が訪れ、ひる様のいらっしゃる本殿に手を合わせるのです。
 ひる様が訪れると、村では豊漁が続きます。
 ひる様のご機嫌を損ねてはなりません。たちまちに海は荒れ、酷い不漁に見舞われます。
 ひる様は昼となく夜となく訪れる村人の祈りを糧に、村を豊かにしてくださるのです。
 何より、ひる様は子供達が神社を訪れると機嫌を良くされると信じられておりました。
 そうです、かんわら様の一番大切なお役目はひる様の遊び相手でございました。
 かんわら様は貴重な品である香を焚きしめた、ひる様のおわす神社の本殿で遊ぶことを求められ、日々をそこで遊ぶことで過ごしていきます。
 かんわら様である子供達は、ひる様のお姿を目にすることが出来るそうです。
 その証拠に、ある子供が母にこう言ったそうでございます。
「こないだおらんようになった三郎がかえってきた、じゃから三郎と毎日あそぼうとみんなで決めたんじゃ」
 子供の母はその言葉を聞き、手を合わせてこう諭しました。
「三郎ではない、あの方はひる様じゃ。ひる様とお呼びして、ひる様の求めるままに遊びのお相手をするんだよ」
 この村では大人と言えど、かつてはかんわら様と呼ばれていたのです。それは村での暗黙の了解でもありました。
 ひる様が神社におわす間、大人は本殿に入る事を禁じられました。
 本殿に上がってよいのはかんわら様のみです。
 神社の本殿に上がり込み、ひる様の遊ぶお姿を見てしまった大人は、ひる様のお怒りに触れて祟られ、女であれば子を産めなくなり、男であれば生涯海に出られぬ体になると伝えられておりました。
 この寂びれた村では、女が子を産めぬのも、男が漁に出られぬのも死活問題です。
 故に、大人は決して本殿に入る事はなく、ただただ手を合わせて祈りを捧げたのでございます。
 そうして短ければ数ヶ月、長ければ数年を村で過ごした後、ひる様は正月一日にお姿を消してしまいます。
 その前日、大晦(おおつごもり)、かんわら様である子供達は神社の本殿でひる様のお声を聞くのだそうでございます。
『これでしまいじゃ、ととさま、かかさまに、ようようもうしわけがたつ』
 こう言葉を残されて、翌日を迎えるとひる様は旅立つのだそうです。
 ひる様として村に戻った亡くなった幼子が、数えで七歳となる正月までの間、村に富をもたらしていくのでございます。
 ひる様はお骨すらも残さずに消え、神様の元へとお帰りになるそうです。
 神社ではひる様のお帰りをお祝いする祭を元日に開き、村を豊かにしてくれたお礼を述べたのだとか。
 ――かんわら様としてひる様の言葉を聞いた子供達は、生涯頑健にして、良く子宝に恵まれたといいます。
 子供達は長じるにつれて気付きます。
 それが、人間になることなく神のうちに亡くなってしまった幼子の、せめてもの親孝行であることを。
 神様は幼子の想いに応えて、神のうちにいる間だけ、この世で過ごす時間を与えて下さっているのだと。

 今となっては、この村は漁を止めて久しく、静かな浜辺の街となりました。
 かつてのかんわら様、ひる様信仰も、いつの頃よりか絶えてしまったそうです。
 それは子供達が健康に育つことが出来る時代になった事と、決して無関係ではないでしょう。
 ですが、時折。
 幼子を見かけると手を合わせて微笑むご老人がいらっしゃるそうでございます。

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