「ウマ娘」から学ぶ昨今求められているソーシャルゲームの姿

初めに断っておくが、私は別にゲーム業界の人間ではない。
これは私が1プレイヤーとして、たまたま話題に上がっていた新しいソーシャルゲームを珍しくリリース直後にプレイしてみた感想みたいなものだ。

きっかけはTwitterでの誰ともつかないTLの会話というか話題というか、「ウマ娘のアプリが3年越しにリリースされたぞ」みたいな内容だった。
ああ、確かに馬を擬人化したコンテンツちょっと前に出てたなというのが所感だった。
ソシャゲといえばやたらめったら擬人化することが定着していると個人的なイメージがあるのだが、起こりはどこだったろうか。記憶は不確かだが、1キャラクターとして○○を擬人化!というのは2000年代後半から割とよく見かけた気がする。ゲームや一連のコンテンツとして題材に取り上げられたのはやはり「艦隊これくしょん」の影響が大きかった言って過言ではないと思う。
まぁ、同じか少し前の時期には三国時代や戦国時代の武将を女体化する類のゲームが乱立していたが、これはまた別の話か。

それから今に至るまで、さまざまな対象を擬人化(面倒なので全てこの単語に集約する)するコンテンツが世に排出されてきた。
有名どころで言えば「Fate/GrandOrder」や「ドールズフロントライン」「アズールレーン」「刀剣乱舞」「けものフレンズ」などだろうか。
さらに並べると「城」「デザート」「中華料理」「文房具」「お花」「電車」「駅」「お酒」なんてのもあるらしい。失礼だが何でもかんでもやればいいってものじゃないだろうと笑ってしまう。
しかも大抵が同じような軸のストーリーを持ち、同じようなキャラクターがいて、同じようなゲーム内容だったりするのだ。偏見かもしれんが。これだけのものが擬人化される昨今では、馬が女の子にされたところでなんの違和感も無いというか、驚くほどのものではない。
2018年当時はまだ分からなかったのかもしれないが、2021年にもなって馬の擬人化ゲームが今更出てきたところで手遅れでは・・・と思ってしまった。

上述の話から擬人化コンテンツの尻軽さのようなものが私はあまり好きではなく、進んで手を出すことはほとんどないのだが、Twitterの動画を見てプレイしたくなる興味深さが「ウマ娘」にはあったのだ。

単純に「ゲームとしての作り込み度合いの高さ」を感じるような動画だったのだ。実際はゲーム起動直後のデモレースのようなものだったが、ここまでやるのかw と少し驚いてしまった。
もちろんスマートフォンのスペックは年々高まっていて、自分が昔遊んでいたようなポチポチゲーからフル3Dグラフィックのゲームが主流に変わっていることは知っていたが、よくできてるなぁと感心してしまった。
画面遷移や操作のストレスの無さ、ユーザーから叩かれまくって洗練されたUIUXの完成度。「携帯アプリ」ゲームしかろくに遊んでこなかった自分にとっては衝撃的だった。

また、単純に興味があったのが、3-4年の開発期間をかけてなおリリースすることで、利益が出ると見込んだ要素についてだ。
一山いくらのキャピキャピ擬人化ゲーであれば話題が熱いうちにリリースして初速で稼ぐと考えるのが普通の考えだと思うのだが、アニメの話題から3年後になるアプリのリリースとは少し強気すぎる気がした。
それを差し置いても利益を出すポイントは一体どこにあるんだ?私はそれを知りたかった。

なんとこのウマ娘、レースで入賞するといきなりアイドルマスターよろしくのライブが始まるのだ。「意味わかんね〜ww」と思わず笑ってしまったが、おそらくここに利益のポイントがあるのではないかと推察する。
ある程度キャラ数がいて、レースごとにオリジナルの歌があって、入賞の組み合わせで歌うキャラも変わるとなると、この辺りゲームとは別にイベントライブやCDなんかをアレしてやれば結構儲けられそうな気がしなくもない。
もちろんそれはこのコンテンツの世界観が定着し、それこそアイマスのように裾野が広がってからの話にはなるのだが、夢はあるなと思ってしまった。

ゲームとしても旧来の競馬育成シミュレーション的なスタイルとなっていて、競馬をあまり知らないユーザーでも楽しくキャラクターを育てることができるように仕上がっている。わかりやすく言うとパワプロのサクセスモードを競馬に置き換えたような感じだ。
これもまた、育成が一通り終わるまで途中にストレスになるスタミナやポイントと言った要素が無いのが好感触だった。ソシャゲをプレイしていてスタミナにぶち当たるほど不快な要素は無いと思っているからね。

また、私もそこまで競馬には詳しくないのだが、プレイするとやはりオリジナルの競走馬の経歴が気になるものだ。例えば有名なサイレンススズカの最後などを知っていて、楽しそうに走る姿を見ると何か感じるものがある。
各キャラのパラメーター特性や幕間にある与太イベントなども、経歴や逸話と照らし合わせてみるとよく作り込まれていて、競馬通ならきっとニヤリとしてしまうことだろう。
ハルウララのストーリーの最後にあるミッションが有馬記念に「出場する」と言うのもなんとも言えない気持ちにさせてくれた。

補記:大抵ストーリーはレースに入賞することが目的となっており、入賞できない場合はそこでゲームオーバー(調教終了)になるのだ。
ハルウララの特性上、有馬記念で入賞することはほぼ不可能な仕様になっており、「有馬記念で頑張って走るけど残念ながら負けてしまう」という流れを作るためのストーリーになっているのだ。

1ゲーム分の調教期間というのは短く設定されており、3年を72ターンで進めていく形となっている。1回のスタミナ消費分と考えるとかなり肉厚な内容ではあるが、あっという間である。
その中でたくさんのレースで活躍させるためトレーニングをし、故障しそうであれば体調を整え、しょうもない与太イベントでパラメーターを上げたり下げたりとしている内に愛着が湧く。
最後のレースを走り切った後、ああもう追加のトレーニングも次のレースも無いんだなと考えるとなんとも言えない寂しさが込み上げてくる。

このゲームは競走馬の儚く短い生涯(馬はそこそこ長生きではあるが)に魅力を感じるように作られている。それはきっと実際の競馬ファンも同じ感情を抱いているのだろうと私は思った。

ここに来て人が求めるコンテンツというものには「歴史」や「ドラマ」が付き纏うものが多いなと感じた。
さらに長く支持されるコンテンツになるには「敬意」が含まれるのだろうと。
もちろんご都合の人格性別改変やエピソード改竄なんてのもありがちだが、人は物語を感じたいのだ。寄り添いたいのだと。
その要望に真摯に向き合い続けるコンテンツに人は魅せられるのだろう。


歴史や物語に触れるきっかけとなる作品と考えれば、「擬人化」も捨てたものではない。
                              了

ひとつだけお願いがあります ここにあるクソみたいな駄文たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください