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ムスコのために生きるのをやめた話

しんちゃお!

みんなツイてる??

おし!ツイてるね! 私もツイてる!!

街はすっかり師走ですね。そろそろ今年の総括もしなくては、と思う今日この頃。

10か月になったムスコと二人で暮らし始めてから、はや10年が過ぎようとしています。

あの頃は、生きていることがあまりにも過酷な罰ゲームだったわ。リタイアせずに今の私があるのは、ムスコがいてくれたから。(詳細は60歳で出版する自叙伝にて公表予定w)

でも私は

「ムスコがいるから働かなければならない」

「ムスコのために大学資金は奨学金なしで行けるよう貯めなければいけない」

「ムスコが18で独り立ちできるように身の回りのことは早くできるようにさせなければいけない」

という強迫観念にかられていた。(べき論オンパレード!しかも極端!!笑)

なぜなら、その大役を終えたら、私は有り金全部持って海外でも放浪してあとはどうでもいいから風になりたい(?)と思っていた。

2歳で配膳を手伝わせて、3歳で風呂の掃除をさせて、くまもんの子供包丁も持たせて野菜も切らせていた。

5歳で洗濯ができるようになるという私の(勝手な)目標も、彼はクリアした。あのとき、私の中で、「もう私がいつ死んでもこの子は大丈夫」という氣持ちが芽生えたことは、黙っていようと思う笑

勘のいいムスコは、いつか消えてしまいそうな私のことを、全力で守っていた。2歳半で「泣いてもいいよ」なんて言って母を抱きしめてしまうような、そんな子どもにしたのは私のせいである。(反省)

今、私はムスコのために生きようとは思わない。

ムスコがいるから私は私の生きたい人生を生きていられてる、と思っている。

私が楽しく毎日を過ごしていることで、余計な心配をすることなくムスコはムスコで自分の毎日を生きていられているのだと思う。

つまり、彼は私を幸せにしようとすることをやめたのである。

なぜなら、私がもう幸せに生きていることがわかっているから。

「仕事をするのは私が私らしく楽しく生きるため」であり、

大学進学は、18のムスコがどうするか決めればいいだけの話だし、

奨学金は、まあそのときどうするか考えればいいか笑

ディフェンスメインで生きてきた5年を、ホーチミン生活を始めると同時にオフェンスに切り替えたら、勘のいいムスコはやっぱり私を全力で応援してくれた。

いい男だ。爆

今の私をまるっと抱きしめることができるまで、5年かかったけど、

一人では闘えなかったから、神様は私に最強の味方を用意してくれていたんだね。

今あの頃の私のように地底にいる人がいるなら、ちゃんと上を見上げてみてほしいの。

あなたが落ちた真っ暗な穴の上にはぽっかりと丸い空の青が見えていて、そこから多くの人があなたを呼んでいるから。

みんな手を伸ばしてくれている。だから振り払わずに、信じてつかんでみて。

必ずあなたを引き上げてくれます。大丈夫、あなたは一人じゃない!

そして、サイゴンの輪も、その無数の手のうちのひとつであることを覚えていてね。

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【著者 kayo *自己紹介】
1985年11月1日生まれ。
ADHDとASDを診断されている10歳のムスコが相方のシングルマザー。
結婚や離婚、人生の紆余曲折で仕事を変わるが、いつもだいたい営業職。(下着販売、複合機、生命保険、広告代理店、不動産)
2016年に当時6歳だったムスコを連れて、
行ったこともない、友達もいないベトナムに渡る。
現在は地元である兵庫県西宮市北部にて「みんな違ってみんないい」をキャッチコピーとしたベトナムカフェを開業すべく、マイノリティや、多様性を認めあえる空間をSNSを通して発信している。
 
Instagram:saigon_no_wa
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