見出し画像

旅のはじまり--1989年9月1日

当時は東京・中野に住んでいて、この日の夕方、麹町の日本テレビ集合で、成田にバスで移動。

日記は次のように始まっている。

「朝10時30分起床」だと。
まだ若いころだから、朝の遅いな。
今なら、黙っていても早く起きられる。

「...12回の三択をやってみる」
12回の三択のおさらいをしているところなんぞ、さすがクイ研会長!

「成績はかんばしくない」
このころはペーパー3択ならたいてい7割前後とっていたから、「かんばしくない」とはいえ、66-68%くらいはとっていたはず。

「西田さん」は、名大クイ研で一緒にサークルを立ち上げた先輩。
彼がいなければ、彼が就職浪人してなければ、名大クイ研は生まれなかった。たぶん出発前に会おうとかいう話をしてたんだろうな。

「恵実ちゃん」は吉野恵実。サークルの後輩で、仲良しの鷹野とともにドームで私にずっとついてきていたので、100人に残れたラッキーガール。

「とんかつや」は新中野駅の4番出口すぐのところにある『とんかつ丸福』だと思う。晩飯でよく行ってたお店。もちろん「勝つ」気満々やな。

仲睦まじかった大将ご夫婦、元気かな?


麹町に集合すると、「日本テレビではおなじみの顔ばかり」だったのだが、これはドームの予選通過時点でわかっていたこと。日本テレビに集まったメンバーの3分の1くらいは各大学のクイズ研メンバーではなかったろうか。激烈な戦いの大会になることは見えていて、結構、緊張していた。

名大クイ研メンバーも7人いたはずだ。

この頃は競馬が好きで、クイズ仲間でも趣味の合う人と仲良くさせてもらっていた。
日記のこのページには何人かの名前が出てくるが、成田に向かう道中に競馬の話で一緒に盛り上がった「青木さん」は同級生のクイズの女王「青木紀美江」さんだし、慶應大の「松岡」くんの名前も出てくる。

成田に着いて、ホテルで一緒に酒を飲んだのは、名古屋の社会人クイズサークル『どえりゃあもんくらぶ』仲間の「田中さん」と「稲川さん」。プロデューサーがすぐそばにいたのに、大声で悪口かなんかしゃべっていたらしい。こういう顰蹙な場面にはやはり彼の名前あり。

名大クイ研の盟友「仲野」も予選通過しているが、彼は就職前。FM東京の下請会社に決まっていて、翌年は東京で再会できることになっていた。

この日の同室は名大経済学部2年の片山泰宏くん。「クイズ研以外から唯一の生き残り」と記している。

「ぜんぜん眠れへんかった」としてあるが、やはり興奮して眠れんかったんやな。無理もない。


習得困難な #ベトナム語 を巧みに操り交渉事を纏める「ベトナムの達人」#サイゴン 在住23年を経て2018年から #ハノイ 住まい。本業は #アパレル #生産#ベトナム の今を呟く。