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泥んこクイズで雪辱を遂げる--1989年9月3日

グアムに着いた翌朝は早速クイズ。
グアムと言えば、泥んこクイズだ。

この時より5年前、18才になり大学に入って初めてウルトラクイズの出場権を手にし出場した第8回大会で、私は当時後楽園球場で行われた第一次予選を突破した。じゃんけんに勝ち、機内ペーパークイズもなんなくクリアし、やはりグアムに辿りついたのだが、泥んこクイズで泥にはまり、敗者仲間とともに帰国した。
その泥の敗者仲間には、当時の早稲田大学クイズ研究会の幹事長、原さんと副幹事長、高橋さんがいて、彼らにけしかけられるようにして名大クイズ研を作ることになった。今から思えば、クイズ研の恩人と言ってもいいかもしれない。

5年前の泥んこクイズでは、トップバッターの千葉さんにつづいて、クイズに挑戦し、泥第1号になった。

今回は、じっくりと進行状況を見て、気持ちが落ち着いてから挑戦することにしようと思った。
このチャンスを逃すと、もう二度とチャンスは巡ってこないように思われたからだ。

トメさんの進行で、最初は機内ワースト3の挑戦からとなった。
最初は成田で同室だった名大の後輩の片山くんで、見事クリア。
3番目にクイズに挑戦した女性の佐藤さんが泥にはまって、最初の犠牲者となった。彼女とは、クイズが終わって日本に帰ってから飲み仲間になった。アベ姉やター兄もこの飲み仲間メンバーの常連で、毎週のように新宿界隈で集まって飲んでたっけ。いい思い出だ。

そのお次は、大学対抗戦ということで、最大多数派の東大と立命館の対戦となった。

立命館は、長戸、稲川の両名が突っ込んでくれ、思わず高笑いした。

長戸の28年前日記には、ボードを突き破った瞬間に私の高笑いする顔が浮かんだということだったが、まさしくその通り。
死ぬ瞬間というのは、いろいろ不思議な光景が見えてしまうのだろう。

私は最後のほうに順番が来て、正解しているが、どんな問題だったか日記には記していない。


習得困難な #ベトナム語 を巧みに操り交渉事を纏める「ベトナムの達人」#サイゴン 在住23年を経て2018年から #ハノイ 住まい。本業は #アパレル #生産#ベトナム の今を呟く。