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魅力的な西郷さん
第15回敬天愛人フォーラム未来が終了しました。
今回は
「魅力的な西郷さん」として、西郷さんがどんな人柄だったのか、
いくつかエピソードをお伝えしました。
少しご紹介しますね。
![](https://assets.st-note.com/img/1702900883620-sgG1JIzPdQ.png)
●「肥え汁をかけられて」
ある日の夕方、西郷さんが田んぼのあぜ道を散歩している時、
狭い道を肥料桶を担いで通りがかった百姓のおじさんが、
行ずりに西郷さんが通られると気付き、
ヒョイと腰をかがめて挨拶した瞬間に
桶の中の肥え汁がチャプンと飛び出し、
西郷さんの着物の裾にさっとかかったそうです。
顔を青くして恐縮しているおじさんに西郷さんは
「んにゃ、おしいこつしたね(これはもったいないことをしたね)。
花も咲かせ、実も成らせる肥料を、
おいが(俺の)ぼろ着が吸い取ってしもて」
と言われて、裾もふきもせずにスタコラ歩いていかれたと。
![](https://assets.st-note.com/img/1702900883700-l4eG2ka0bM.png)
●「若者の下駄の緒を立てる」
西郷さんが鹿児島で農業に勤しむ頃、
その時の西郷さんの格好は、まったくみすぼらしい百姓おやじ姿で、
どこの誰だかわからかったそうです。
ちょうど、道で出会った侍あがりの若者が、
「オイ、おやじ。おれの下駄の緒が切れたから立ててくれ」
と足を突き出すと、
西郷さんは、「ハイハイ」と答えて、自分の手拭いを腰から取り、
端を引き裂き、古下駄の緒を立ててやりました。
すると若者は「オイの足に履かせんか」とまた、足を差し出しました。
すると西郷さんは下駄の緒を手でゆるくして、若者の足を握り下駄を履かせました。
若者は、ろくに見向きもせず御礼の一言も言わずに立ち去りました。
あとから、その百姓おじさんが西郷さんだと人から聞かされ、
若者は青くなって西郷宅に飛んで行き、西郷さんに面会すると、
頭を地にすりつけ、
「下駄の緒を立ててもろて、西郷翁とは知らず御礼も申し上げもせず、お許し下さい」とあやまると、
西郷さんは笑って、咎めず、
「自分のことは自分でしたがよか」と一言だったそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1702900883590-C5Yz9srVXT.png)
●東京での暮らし
西郷さんの東京での生活は質素なもので
その当時500円の給料をもらいながら
15円で10人あまりの書生と下僕、4匹の犬と暮らしていました。
残ったお金は必要とする人にあげていたそうです。
その時の庶民の平均月収は1円75銭とか。
また西郷さんは、明治2年の正三位も辞退されています。
自分如きの無名な藩士がこのような位階を受けては、
戊辰戦争などで戦死した多くの方々に申し訳がない、と言って辞退されています。
他にも
新政府の高官たちが贅沢な食事をする中、
一人だけ味噌をぬったおにぎりを食べていたとか、
大勢の人々が贅沢に流れていく中、
一番位の高い地位にいながら、素朴で質素な庶民的な生活を送り、
私利私欲の無い人だったと言われています。
まだまだありますが今日はこのへんで。
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