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魅力的な西郷さん



第15回敬天愛人フォーラム未来が終了しました。

今回は

「魅力的な西郷さん」として、西郷さんがどんな人柄だったのか、

いくつかエピソードをお伝えしました。

少しご紹介しますね。

●「肥え汁をかけられて」

ある日の夕方、西郷さんが田んぼのあぜ道を散歩している時、

狭い道を肥料桶を担いで通りがかった百姓のおじさんが、

行ずりに西郷さんが通られると気付き、

ヒョイと腰をかがめて挨拶した瞬間に

桶の中の肥え汁がチャプンと飛び出し、

西郷さんの着物の裾にさっとかかったそうです。

顔を青くして恐縮しているおじさんに西郷さんは

「んにゃ、おしいこつしたね(これはもったいないことをしたね)。

花も咲かせ、実も成らせる肥料を、

おいが(俺の)ぼろ着が吸い取ってしもて」

と言われて、裾もふきもせずにスタコラ歩いていかれたと。

●「若者の下駄の緒を立てる」

西郷さんが鹿児島で農業に勤しむ頃、

その時の西郷さんの格好は、まったくみすぼらしい百姓おやじ姿で、

どこの誰だかわからかったそうです。

ちょうど、道で出会った侍あがりの若者が、

「オイ、おやじ。おれの下駄の緒が切れたから立ててくれ」

と足を突き出すと、

西郷さんは、「ハイハイ」と答えて、自分の手拭いを腰から取り、

端を引き裂き、古下駄の緒を立ててやりました。

すると若者は「オイの足に履かせんか」とまた、足を差し出しました。

すると西郷さんは下駄の緒を手でゆるくして、若者の足を握り下駄を履かせました。

若者は、ろくに見向きもせず御礼の一言も言わずに立ち去りました。

あとから、その百姓おじさんが西郷さんだと人から聞かされ、

若者は青くなって西郷宅に飛んで行き、西郷さんに面会すると、

頭を地にすりつけ、

「下駄の緒を立ててもろて、西郷翁とは知らず御礼も申し上げもせず、お許し下さい」とあやまると、

西郷さんは笑って、咎めず、

「自分のことは自分でしたがよか」と一言だったそうです。

●東京での暮らし

西郷さんの東京での生活は質素なもので

その当時500円の給料をもらいながら

15円で10人あまりの書生と下僕、4匹の犬と暮らしていました。

残ったお金は必要とする人にあげていたそうです。

その時の庶民の平均月収は1円75銭とか。

また西郷さんは、明治2年の正三位も辞退されています。

自分如きの無名な藩士がこのような位階を受けては、

戊辰戦争などで戦死した多くの方々に申し訳がない、と言って辞退されています。

他にも

新政府の高官たちが贅沢な食事をする中、

一人だけ味噌をぬったおにぎりを食べていたとか、

大勢の人々が贅沢に流れていく中、

一番位の高い地位にいながら、素朴で質素な庶民的な生活を送り、

私利私欲の無い人だったと言われています。

まだまだありますが今日はこのへんで。

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