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「かなえたい夢」を見ようとしたら…

54年間生きてきて、「○○になりたい」という夢はたくさんありました。

幼い頃の記憶に残っている最初の「なりたい」は、「オーケストラの指揮者になりたい」でした。たぶん、テレビを見て「かっこいいなあ」とか思ったのでしょうか?もう、覚えていません😅次は、「アナウンサーになりたい」だったかなあ。

たしか10歳くらいのとき、『熱中時代』『3年B組金八先生』がテレビで放送されたんです。このシリーズに夢中でしたね。そしたら、その後27歳くらいまでずーっと「教師志望」。「社会の先生になりたい!」、これが続きました。

長く恋した夢?でしたが、これ破局しました。恋愛でいったら、「ルックスだけに惹かれた」に近かったのかなあ。

表層の心の願いは、「必ず先生になる!」。深層の心の願いは、「たくさんの人の前で話すのは絶対に嫌!」。さあ、この綱引きどっちが勝ったでしょう?

表層パワーは、公務員を辞めさせて、1年間みっちりと勉強を強い、採用試験突破を実現!見事に最終合格までこぎ着けました。

そしたら、「先生決まり!」と思いますよね。普通。

でも、届いた知らせは、「採用候補者名簿に搭載されましたが、採用には至りませんでした」との葉書が一通。

このとき、実はほっとしたんです。あの感覚は今でもしっかり覚えています。深層パワー、本音の力恐るべしです。

それ以降、恋愛がうまくいかなくて苦しいふりをしたり、経済的に厳しい時期が続いて、悩み続けるふりをしても、私はちゃ~んと知っているんです。

「いちばん深い願いや本音はいつもかなってる」と。今も完璧に願いはかない続けています。

まあ、私は不幸好き、貧乏好きのネガティブ人間だなあって、常に思ってきました。

そんな私に響くメッセージがお正月に届いたのです。実際には ネットニュース見ていただけなんですがね😅

「(遺産を娘にはのこしてあげるんやろうけどと、司会の西川きよしさんに言われて)子どもには一切残すつもりはないんです。それは息子にも娘にも言ってます。だっておもしろくないじゃないですか、2人の人生が。だって、ぼくら芸人は明日どうやって過ごそう?と思って生きてたんが楽しかったわけじゃないですか。だから、子どもにもそこを楽しんでほしい」(MBSテレビ「春一番!笑売繁盛」より、明石家さんまの話)。

さんまさんが好きだからかもしれませんが、「あ~そうかあ、そうなんだあ」と響きました。

不幸で苦しむ?貧乏で悩む?いやいや違う違う。さんまさん的な見方で言えば、「楽しんでいた。面白がっていた、ある意味ワクワクしていた」になる。

そんなときは「表層の心も便乗すればいいんだ。苦しんでるんじゃない!スリルを楽しんでる!冒険好きなんだ!」とな。

そう考えたら、気が楽になりましたね。だいぶ、長いことハラハラものばかり楽しんでいたなあってね。おかげさまで、見方が少し変わりました。

ただ、「歳もとったし、ドキドキ、ハラハラを控えめにしないと疲れが抜けん😅。表層と深層のパワーをそろそろひとつにして歩みたいなあ」。そんな気持ちが、数年前から湧き始め、ますます強くなってきました。

「note」の投稿企画「#かなえたい夢」とは、そんなタイミングで出会いました。昔話がついつい長くなってしまいましたね。

さて、そろそろ本題。

かなえたい夢、それは「親友をつくる」です。ターゲットは、決まっています。54年もずっと一緒です。ほとんどの期間、私は彼が大嫌い。そう、それは「わたし」。私(表層)と「わたし(深層)」の関係が毎日毎日よくなっていきます。これが今年のいちばんです。言葉を変えると、「自分を知る」「自分を理解する」ことでしょうか。

あとは経済的な苦労が絶えない私ですから、当然それに関連した願い事があるはず。だけど、お金に関係する願いは、表層の心にしかありません。これじゃあ、実現不可能。

あるメンターは言います。「ワクワク、情熱こそ、あなたの核心のエネルギー、魂の願い」と。別の表現で言うと、「しないではいられないこと」。

そんなものあるかな?「ご飯を食べる」「寝る」「お風呂にはいる」「着替える」「衣類の化学繊維はマックス35%まで」😅こんなことしか思いつかない。

強いて言えば、「文章を書くのは好きで、書き出すと夢中になっている」、これが1つ。

2年前から再開した、「家庭菜園」も夢中になる。暑さも虫も苦手なのに土いじり、野菜作りは楽しい。これが1つ。

これらが、「ワクワク」の近くにあって、すでにその道を歩んでいます。

その延長線上にあるイメージは、「本を一冊書いてみたい」。それと「貸し農園から始めて、木村秋則さんが提唱する自然栽培を学ぶ。個人としては、30坪でもいいから、小さな畑を持ち、自然栽培を行う。地域活動では、小学校には学校農園、中学校には菜園クラブをつくる働きかけ(新聞投稿など)を続ける。そして、近くの高校に自然栽培クラブをつくり、同耕者になる」。

文章づくりや畑づくりは表層と深層の綱引きが生じないので、歩みはスムーズ。ただ、み~んなお金にはつながらないけどね😅

ところで、「今」を丁寧にみつめると、「すべてが本音のとおりにかなっている」。一方「今」を味わわず、視点を「今」からずらすと「かなえたい夢」でいっぱいになるようにみえる。不思議ですね。

そこにあるのは、表層と深層の綱引きがあるだけ。「わたし(深層)」がつくった今に「私(表層)」が不満を言い続けている構図、これが、「かなえたい夢」の正体なのかもしれない。

必要なのは、「綱引き」より「さんまさん的な見方・味わい方」。この極意で「今」を楽しみつつ歩んだら😃、その延長線上にあるイメージが次々に「新しい今」となり、「綱引き」から生じる「かなえたい夢」は生まれないのかもしれない。

なぜなら、常に願いがかない続けていることを実感しているのだから!

私と「わたし」のよい関係も、不仲を嫌わず、むしろ違いをおもしろがることから始めたらいいのかもしれない。これは「今を嫌わず今を味わう」と、言いかえることもできそうです。

不仲な感じをおもしろがって見る。「今を嫌っている私」をおもしろがって見る。なんか気が抜けてきます。少し楽な感じがします。

こんな感じで歩んでみます。

「かなえたい夢」を見ようとしたら、かなえたい夢が姿を消して、「今を味わい、今を楽しむ在り方」だけが姿を現しました。

これが「『私とわたし』のかなえたい夢」の姿なのかもしれません。

どんど晴れ

(➡️岩手の方言。これでおしまい、めでたしめでたしの意)


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