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ずっと何かになりたいのだ。

ここ数日のエモーショナルな感情が止まらない。何かが書きたい。かといって、なにを書けば良いのか分からない。

11月は毎年こうだ。なんだか最近おかしいな、と思って過去の日記を見てみると大抵この時期になると同じようにエモのスポットに入り込んでいる。誕生日の翌月だからだろうか。

今年、28歳になった。
18歳で人生が終わると思っていたわたしが、28歳になっている。あの頃、日々は苦しくも退屈で、女子高生で、東京に行きたくて、何かになりたくて、憧れるものがたくさんあって、それでも18歳以降の人生に想いを馳せることは一度もなかった。
さして可愛くもなくズバ抜けた才覚があるわけでもなく、田舎の17歳のわたしにあるものはただ若さだけで、その若さを失うのは人生の全てを失うことに等しかった。
高校時代が素晴らしくきらびやかで楽しかったわけでは決してない。息苦しくて、ここではないどこかにいきたくてたまらなかった。

偏差値40ほどの実業系高校だった。
私の価値は若さしかないと思い続けていたのにその若さを使う術もなくせめて、本当にせめても女子高生であることに意味を見出したくてその地区で一番可愛い制服の高校に進学した。すごく頭が良いわけでもなかったけれど、実力という意味で頑張れば、多分もう少し偏差値の高い高校には入れていたかと思う。しかし中学生の私の優先順位はとにかく、「女子高生であることに意味を感じられる高校」だった。
そしてイコールは、「可愛い制服の高校」だった。それが全てだった。

中学生もさして楽しかったわけではない。中学2年生なんて本当に窒息しそうな日々だった。ひたすらパソコンに向かって小説を書いて、その中の主人公に自分を投影してなんとか生き抜いていた。書いてた小説は大抵、思春期の男女が生きづらい日々を嘆きながらも何かに救いを見出して少しだけ日々が明るくなるような、そんな内容ばかりだ。

ずっと普通になりたかった。
変わってる、ちょっと変、変な子だと、周りの子からは言われていたし、私以外の子に向けられるあの子変だよね、にも敏感だった。
普通なんてこの世にないと、今大人になってからはいくらでも言えるけれど、当時の私は普通になりたかった。それは、組織の中で浮かない人間。
クソ田舎で普通に振る舞うなんて、正直嫌だった。私はここにいるべき人間じゃない。そう思い続けていて、ここから抜け出すために賞を獲りたくて小説を書き続けていたのに、誰も私を見つけてはくれなかった。

18歳になるとき、自宅の机の上で、息苦しくなるくらい泣いた。
終わってしまった。私の人生が。私に唯一あるはずの若さが失われてしまったと嗚咽が止まらなかった。
自分にズバ抜けた作家としての才能があるわけでもないことは気づいていて、あるのは若いのに書ける、ということだけだった。
それも通用しなければ、若さが失われたらそれまでだと泣いた。
2008年10月1日00:00。
これからどれだけ誕生日を迎えようが、あの日の誕生日の苦しさに勝る日はない。

そんな私が28歳になっている。
私は未だに何かになりたい。何かになりたいまま、歳を重ねている。
毎夜夢見た東京にいまいる。
漠然と抱いていた文章を書く仕事もしている。
18歳以降の自分が目標にした、デザインをする仕事も経験した。
22歳の自分が憧れたエンタメの業界にもいる。
間違い無く、遠回りしてでも昔の自分が恥ずかしいと思うような生き方はしていない。
それでも未だに私は、何者でもない。
その何者がなんなのか、言葉にするとしたら、あの頃の私の救いになるような大人なのかもしれない。
今の私は、あの頃の私のような窒息する日々を送る高校生の、救いになれていない。
救いになるような何かを作り出せたとき、何者と呼べるんだと思って生きている。
もう17歳は遠に過ぎたのに、私は彼女にすがり続ける。かつての私に、かつての私のような子たちに。



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