見出し画像

第5回 見えないバリアを無くす~  なぜ、ユニカレを作ったか その3 (再掲 2018年11月)

障がいがある人の就職を全力サポートする障がい者ビジネススクール「ユニカレさが」の代表、大野のブログです。不定期にアップしていきます。

今日はユニカレ誕生秘話についてブログを書きます。3回シリーズの最終回です。

 前回、障害者のためのビジネススクールは佐賀では成り立たないと、障害者支援をしている先輩方から指摘され、本当にそうか?と疑問に思った、というところまで、お話いたしました。

 障がい者が就職するための訓練する福祉事業が「就労移行支援」というサービスです。障がい者ビジネススクールもこのサービスになるのですが、すでに佐賀で提供されている就労移行支援サービスは作業系のものが大半でした。つまり、作業系の仕事、工場でのピッキングや製造業、サービス業のトレーニングが中心だったのです。

前回お話ししましたように、障害者の一番のボリュームゾーンは精神障害者で、知的レベルでは健常者と変わらない方々なのです。彼らが就職したいと思うのは事務系のお仕事となります。したがって、作業のトレーニングはしたくないのです。中には過去に事務系の仕事に就労していて、うつなどの精神障害の発症で辞職した方や、発達障害などによる対人関係の不具合で辞職した方などは、事務系の仕事に復帰するため訓練がしたいのです。ところ、そのようなサービスがない。なので、彼らは仕方なく家に引きこもるしかないのでした。このような方のニーズに佐賀は応えきれていなかったのでした。

障がい者ビジネススクールは成り立たないとおっしゃった方々は、おそらく、これらの人を見落としていたのだと思います。しかし、それは仕方ないことだとも思います。なぜなら、佐賀での先駆者である諸先輩方が支援していたのは重度の障がい者や、知的障害がある方、つまり支援がなければ生活していくことが著しく困難な方々を対象にサービスを提供していますので、大変な挑戦をされている方々に他の障害の方のことを考えろというのも無理なお話ですし、何より重度の障害をお持ちの方々よりも軽度で日常生活に近いところにいる障害がある方には普段会うこともなかったでしょうからです。

重度の方々に比べれば軽いのかもしれませんが、軽度の精神障害がある当事者は当事者なりに苦しんでいる人がたくさんいました。「重度の人に比べれば障害が軽い私が、社会に出られずにいるのは申し訳ない」「働きたいのに働けない、見た感じは普通だから、怠けているようにしか言われない」「今までうまくいかなかった、どうすれば、就職できるのか全く分からない」など、私がお会いした方々の悩みや苦しみは、当事者にとっては深刻なものが確かに存在していました。

障がい者のためのビジネススクール。成功事例がある、ノウハウもある、佐賀のニーズも確認した、でも誰もやる人がいない、さぁどうする?とりあえず、自分がしなくちゃだめよね、というわけで、勢いでユニカレを作りました。2014年のことです。

でも、ただ勢いだけで作っても、障がい者の皆さんには信用されないだろうし、失礼な話です。ですので、社会的存在意義、つまりミッションをしっかりと柱として打ち立てなければならないと思いました。そこでたどり着いたのは「この社会から障害という言葉を無くす」ということでした。最初にそれを言ったときに、多くの方が「そりゃ無理でしょう」という顔をされました。でも私たちは可能だと信じてサービスを今日も提供しています。

私が尊敬してやまない国際協力の世界では有名人のムハマド・ユヌスさんという方がいます。バングラデシュの経済学者で2006年のノーベル平和賞受賞者ですが、彼の有名な言葉に「貧困が無い世界を創れると強く信じている」というのがあります。この後に「貧困の無い世界で唯一貧困を見られることができる場所は博物館の中だけだ。」と、言う言葉です。貧困というものを、過去の記憶を残すことが目的である博物館の展示物にしよう、と彼はいうのです。いや、かっこいいではないですか。なので、私は貧困を障害に変えてみました。

私たちも大先輩の足跡を追いかけるように障害という言葉を博物館に展示しましょう。ただ、ユヌスさんの言葉には前提があって「世界中の人が信じることで」という一文もあります。多くの人にそうなることを信じてもらえるような行動と実績が同じように求められているということも忘れてはいけないようです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
障がいがある人のための就職応援事業所
障がい者ビジネススクールユニカレさがの詳細、最近の活動はホームページ
http://unicolsaga.or.jp
を、ご覧くださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?