アメリカ南部の深~いおはなし。②
はじめに
「おまえジオゲッサーがどうのとかいってるけど実際やってんの?」と思われそうでしたので、実際に有料メンバー登録してアメリカマップをやったら6回目ぐらいのチャレンジで金メダルが獲れました。
まあコレで「ある程度のガチ勢だ」と思っていただければ幸いです。ジオゲッサーのUSマップの場合、ナンバープレートとか電話番号を暗記とかしなくてもアメリカをうろついていた経験があれば金が獲れるのではないでしょうか。
さて、そんなのはさておき、わたしの南部語りはまだまだ続きます。
③テネシー州
ここでもう一回テネシー州の州旗を出しておきます。
上の州旗のように、テネシー州は東部、中部、西部と3つの地域に区分されています。
③-1 テネシー東部
実際の行政管区とは違いますが、私の体感としてテネシー州東部は「ブルーリッジ山脈とアパラチア山脈周辺地域」的な印象があります。大きな都市としてはチャタヌーガ、それからテネシー大学のあるノックスヴィルが東部に含まれます。
この東部を一言で表せば「山岳民族のふるさと」といった感じでしょうか。インターステート(州間道)であってもかなりぐねぐねしていて高低差あるのに、地元民が時速75マイル程度でびゅんびゅんと断崖絶壁を走ってるそばで「怖いよ~(泣)」とびびりながら車を運転していたのは私です(苦笑)。禁酒法時代に密造酒を売りさばくために暴走車が飛び交うことからNASCARが誕生した素地が見えたような気がしました。
「寂れている雰囲気」とは裏腹に、この地域はアメリカの公的事業が集中している地域でもあります。1929年にウォール街から始まった世界大恐慌の打開策として連邦政府が力を入れまくった、TVA(テネシー川流域開発会社)の本社(世界史やってたらTVAは死ぬほど出てきますよね)もノックスヴィルに置かれています。
しかし、「連邦政府の力が強い=地域としては人工的過ぎて栄えていない」というのが、アメリカ合衆国では半ばテンプレになっています。
首都機能を持つワシントンDCと、金融センターとしてのニューヨーク、古都ボストン+西海岸の玄関であるサンフランシスコやロサンゼルスとの栄え方の違いを思っていただければ大体判るかと思います。
とはいえ、マンハッタン計画の素地が作られたのがこの地域であったということからも、ネバダ州と並んで「連邦政府によって隠匿された場所が多い」と考えられても無理はないでしょう。公共事業がほぼ100年近く続いている割に、なぜか貧富の差はひどい気がします。
そしてアパラチアの山の中の集落に入ると集落の目抜き通りの家に南軍旗が並んでいた風景を思い出します。(おそらくGoogleカー立ち入り禁止)
③-2 テネシー中部
テネシー中部といえば、なんと言ってもナッシュヴィルです。
ナッシュヴィルは難民受け入れには寛容ですが、それでも白人の人口が圧倒的に多い、「南部白人の魂の街」とも言えます。
というのも、「カントリー音楽の聖地が二つある」ことと「路上演奏(buskingと言います)が禁止されていない」ことの二項目で、様々なジャンルの音楽が屋内でも屋外でもごく当たり前のように耳にできる街となっています。
*カントリー音楽
カントリー音楽の聖地の二つとは、一つ目は Grand Ole Opry。一見耳慣れない&見慣れない綴りですが、がっつり南部訛り由来の名前です。
Oleはミシシッピ州の所でも出てきましたが、Oldが南部っぽく訛ったものです。もうちょっと訛るとOl' とeすら取れてしまいます。
OpryはOperaが南部訛りになったものです。つまり標準北米英語に直すと「Grand Old Opera」になります。これはラジオ局の名前から取ったもので、そのラジオの放送開始はなんと1925年。このラジオ局の放送センター(Grand Ole Opry House)で、特にカントリー歌手や音楽家が演奏することは最高の栄誉となっています。(日本のミュージシャンたちの日本武道館的立ち位置です)
ただ、ラジオ局としては、公民権運動も経た現在はカントリー、ブルーグラスといった白人由来の音楽のほかにもアフリカ系スピリチュアルのゴスペルも放送されています。どっちにしても「ガチの保守系の人たちの音楽」であることは変わらないのですが。
もう一つのカントリー音楽の聖地はRyman Auditorium(ライマン公会堂)。こちらは毎年11月~1月の冬の時期にOpry at the Ryman(ライマン・オプリー)としてカントリー音楽のライブが開かれています。こちらの公会堂、元々はメソジスト監督教会派の教会だったこともあって、ステンドグラスが非常に綺麗です。(南部ではEpiscopal〔監督教会派〕は割と中~上流階級の白人でも所属しています)
*路上演奏 (busking)
路上演奏がほぼ禁止されている日本と違って、合衆国はわりかし多くの都市で路上演奏が行われています。ニューヨークなどは一見路上演奏者がいなさそうに見えますが、実は地下鉄の通路やプラットフォームで演奏してたりして、なかなかに楽しいです。
そんな合衆国の中でも路上演奏(バスキング)が盛んなのがナッシュヴィルを含めたテネシー中部です。
日本で路上演奏が禁止されているのは騒音に日本人が敏感な性質であることもありますが、「路上演奏=物乞い」と解釈され、物乞い行為は日本では軽犯罪法違反となります。
もちろん、合衆国およびテネシー州政府も「物乞い行為」に関しては罰則規定がありますが、路上演奏者に対しては①金銭は「演奏者への寄付」として受け取ること②「寄付の金額は明示してはならない」こと、③近隣への騒音にならないように十分に音量に気をつけること の3つだけの規則がつけられています。
よって、昼間はアンプつないだエレキでの路上演奏も見ることができますが、夜になると基本的にはアカペラのゴスペルシンガー達やフィドラー(ヴァイオリン演奏なのですが、クラシック音楽のヴァイオリンとは若干違います。むしろ東欧のロマのジプシー音楽やアイルランドのフィドル的な立ち位置)が路上で演奏しています。
私が好きなフィドラーにヒラリー・クラッグ (Hillary Klug )さんがいるのですが、こちらの演奏動画は、ウッドボックスの上に乗ってブーツでリズム音を出しつつ、フィドラーを演奏して歌う、というクラッグさんのトレードマークとも言える音楽にナッシュヴィルのナイトライフが映されてて、「ナッシュヴィルはどんな街か」が非常によく判ります。
ちなみにクラッグさんの演奏で好きなものはコレと、あとはカンバーランド川(ナッシュヴィルの都心を流れて中部テネシーを蛇行して流れる大きな川です)の川岸で、アメリカの大河川の象徴でもある外輪船(川は海よりも底が浅いので喫水が浅くても動ける外輪船は今でも観光としてよく使われています。日本の琵琶湖にもあります)が来るところで『おお、スザンナ』を歌っているこちらの動画です。いやー、フィドラーって素敵。
③-3 テネシー西部
テネシー西部はなんと言っても「光と闇のコントラストが非常に強い地域」と言っても良いです。テネシー州の西部のほとんどは元々「ミシシッピ・デルタ」と呼ばれる湿地帯でした。
*ルイジアナ州南岸のミシシッピ・デルタとは違いますが、沖積湿原という意味やオハイオ川とミシシッピ川の二つの大河川の合流地点という意味ではちょうど氾濫がこの辺りでしょっちゅう起きてたので「デルタ」と言ってもいいでしょう。
オハイオ川とミシシッピ川が合流した地点から少し南付近のこのデルタ地域はアメリカ大陸の形成時から常に氾濫が起きており、土質としては水耕作物の栽培に適したものになっていました。
よって、南北戦争以前は綿花や米、藍(インディゴ)が収穫できるゴマツナギの一大生産地でもあり、その農作業をするためにアフリカ系の奴隷が労働に従事していました。
アフリカ系(ガーナからセネガル、コートジボワール辺りまでの西アフリカ系がほとんどでした)の彼らは、アフリカの部族紛争にヨーロッパの勢力が介入し、負けた側が問答無用で奴隷船に乗せられて北米に連れ去られる、という状態で入ってきて、しかも親子が離別させられて売買されたため、同じ環境にあったアフリカ系奴隷はほとんどおらず、仕方なく奴隷主や現場監督の使う荒い英語でしかお互いに意思疎通ができず、さらに信仰もバラバラだったのを奴隷主が無理矢理キリスト教に改宗させた経緯で、独特の「聖地」の概念を持つようになりました。それがゴスペルの歌詞などにも出ています。(この辺りはアレックス・ヘイリーの『ルーツ』を読むとより理解が広がると思います)
私はゴスペル教会のピアニストの方とお話しをしたことがあるのですが、彼らは楽譜は読めません。コードの概念もないので「何で全部C-major(ハ長調)なの?」と聞いたら「ああ、君は楽譜が読めるんだね」と返ってきてはっとさせられました。言語が活字によって固められたのと同じく、音楽、特にクラシック音楽(20世紀初めまでぐらいの)は楽譜によって固められました。しかし、それらが無かった時代は吟遊詩人が口伝で物語を歌い、楽器はすべてジャズに使われるインプロビゼーションのようなスタイルで演奏されていたのが物語や音楽の本来の姿なのです。
*エルヴィス・プレスリー
そういったゴスペル音楽やジャズに幼い頃から親しみ、彼らの独特のリズムを体得したのが「ロックの神様」ことエルヴィス・プレスリーです。
テネシー州西部の中でも最大の街であるメンフィス出身のエルヴィスは第二次大戦後に起こったベビーブームで生まれた人々から熱烈に支持されました。(支持されすぎて「不良の象徴」と学校業界からは嫌われていたようですがw)
『監獄ロック』にせよ『ハウンド・ドッグ』にせよ、エルヴィスの英語のほとんどは南部訛りとアフリカ系訛りが混ざって出来ています。
敢えて非常に有名なこの二つはリンクは張りませんが、YouTubeなどで探せば出てきますよ。
ここにリンクを張っておくのは、「アメリカ深南部」の説明で「現在は公開演奏禁止曲」となっているFrom Dixie with Love と Dixielandのライブ映像です。このエルヴィスの歌い方とメロディで「ああ、あの曲か」と判っていただけると幸いです。
この曲のこの歌唱があるからこそ、今でも南部では「なんちゃってエルヴィスショー」が各地で行われていて、わりかしおっちゃん爺ちゃん層に人気です(笑)。
*メンフィス豆知識(特にスラムダンクファン向け)
さて、テネシー州メンフィス、一見「漫画やアニメの『スラムダンク』と何の関係が?」と思われるかもしれませんが、実はあるんです。
テネシー州メンフィスにはメンフィス大学という州立大学がありますが、そこの男子バスケットボールチームの監督をしているのが、「ペニー」ことアンファニー・ハーダウェイです。ペニー自身、メンフィス出身でメンフィス大(当時はメンフィス州立大)でもプレイしていたことがあるNBAのスター選手でもありました。
さて、これでも「で?」という方に「ペニー」のメンフィス大プレイヤー当時の画像を張っておきます。
私も『スラムダンク』は好きで読んでましたが、連載当時このキャラが出てきたときに「ペニー以外の何者でもないやんけwww」と爆笑してしまいました。(コレでも判らない方へ最終ヒント→ヤマオーの「すぐ泣くぴょん」なエースです)
ちなみにペニーはメンフィス大で3年生までプレイしてからNBAドラフトの1巡目3位でピックされています。ピックされた後にチーム間トレードでオーランドマジックに行ったので、オーランド・マジック時代のシャックとのコンビとしての方が有名かもしれません。
ペニーは学業もきちんと修めていて、2003年にはプロフェッショナルスタディーズ(専門家研究:企業精神や起業家教育を中心としたスキルを学ぶ学問です。日本だと上智大学にあります)の学士号をメンフィス大から授与されています。
このおかげでペニーは現在、出身校のメンフィス大学の男子バスケットボールのヘッドコーチになれたと言っても過言ではありません。
同世代のジュワン・ハワードも母校のミシガン大の学士号を獲得したために現在ミシガン大学男子バスケットボールチームのヘッドコーチになれています。(日本と違い、アメリカの大規模大学のスポーツチームは学士号がないとどんなNBAスター選手でもヘッドコーチにはなれません)
おかげで現役プレイヤー当時から見ていた人たちがコーチとしてサイドラインで指示を出している姿を見るとほっこりする年寄りがここにおります。(大分趣味がニッチですw)
まあ、だからといってメンフィス大が現在強いかと言えば「??」となっていますね。毎年NCAAトーナメントには出場校として顔を出しはしますが、「プレイヤーにアンガーマネジメントを学ばせた方が良いのでは」と思うような荒いプレイをやらかす時もありますし、むしろコーチとしては「大御所のラリーブラウンさんの助言頼りかな?」と思う場面も多々あります。
いずれにせよ、ペニーのようなバスケットボールの逸材を送り出した大規模な街として認識されているおかげでNBAチームであるグリズリーズが中部のナッシュヴィルではなく西部のメンフィスにあるんじゃないかな、とぼんやり思っています。(元々グリズリーズはバンクーバーのNBAチームでした)
テネシーだけで語ることが多すぎて今回はこれで終わりにしておきます。
(最後に言っておきますが、私が一番長く滞在したのは別の州ですが、テネシーは割と良く車で行ってました)
一体私の南部語りはいつまで続くのやら(苦笑)。