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悲しいが、そこじゃねえ。

この事件(ステラ廃人氏が父親に殺害されたやつ)の供述記事ね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191228-00010606-bengocom-soci
一応ツイにも書いたけど、母親父親とも「謝るとこそこじゃねえんだ」と言いたい。
勿論、息子がとんでもなくクズで小物でイキリ系ネット廃人なのは遺されたツイッターのログ見れば判る(ていうかツイッターで実名晒すとか私からすれば「どんだけ炎上体質だ」と言いたい)。
ただ、娘の自死は両親からしか語られていないし、両親が「長男のせいで」という言葉も、本当に息子の妹=娘は自分の家庭について、親について、兄について、どう思っていたのかなんて息子を殺してしまった今、語れる人なんていない。
「人を殺しかねない子供」というのはほんのわずかの確率だけど、確実に存在するし、それを徹底的に隠蔽した佐世保弁護士父は結局自宅で首を吊った。
ただ、ステラ廃人氏のツイッターその他での言動を見てると「言うだけ番長な面を多々持ってた」と思われる節がある。バイト先で上司に腹が立ってブログで悪口三昧書いて職場に包丁持ってこうとしたというのは事実だろうが、実際には誰も負傷はしていない。
そして、私が一番腑に落ちないのは父親の逮捕当時の「すぐ裏の小学校の運動会の歓声にイラついた息子が『ぶっ殺すぞ』と言っててカリタスのように小さい子供を無差別に殺しかねないと思った」が、実際には法廷の場では「確かに小学校の運動会の音には苛立っていて『ぶっ殺すぞ』と言っていたが、私(父親)に激しい暴力を奮った後に、自分に向かって『ぶっ殺すぞ』と言って来たため、『自分が殺される前に殺さないといけない』と思った」と事件に結びついた直接の動機が変わっている点。
ちょっと待て。事件当時の「カリタスみたいなことを息子に起こさせたくなかった」の動機が盛大にズレとるがな。
まだ幼い子供を持つ母親たちなんかは「子供に危害を与える前に事前に防いでくれてありがとう」などとツイその他に投稿してるのを多数見掛けたが、「じゃああんたらの子供が成長してこの息子みたいにならないって確証がどこにあるんだよ」と言いたい。
確かに子供は可愛い。自分の子供だったら猶更だと思う。だが、だからって「自分の子供を自分の所有物や作品みたいに扱うのは間違ってないか」と散々毒父からモラハラ行為を受け続けて来た私は思う。(いやもう死にましたんでどうでも良くなりましたが)

まあ昭和の父母はそういう価値観を捨てきれなかったんだろうけど、公判での父親(被告)と母親の次のような言葉は余りに傲慢だろう。
【母親「アスペルガーに産んでごめんなさい」】
いやだから、謝る処そこじゃねえですお母さん。アスペルガーだろうが発達障害だろうが、結構環境の変化や信頼関係の有無で全然違う、愛される生き方を出来ているor出来るようになった人を私は多く知っている。母親のこの謝罪の文句の裏に「息子は失敗作でした」という一方的な思いが透けて見えて仕方がない。多分、ステラ廃人氏は幼少期に既にそういう母親の傲慢を見抜いていて攻撃的イキリになった一面は絶対にあると思われる。
そりゃ、母親からすれば自分の子宮から骨盤開かせまくって生まれて来た子供だから、どっか「自分のもの」という思いがあることは否定しないし、人間の幼少期ってのはどうしたって保護者無しでは行動できない仕組みになってますよ。
でも、臍の緒を切った瞬間から、その子は「ひとつの独立した存在で、自分とは違う存在だし、見えてる世界も時代も違う」とどうして思ってあげられないのか。親戚がどうだろうが、世間体がどうだろうが、その子の世界観を大事にしつつ、それでも何とかなだめて、諭して、今の社会で生き残れるような道筋を作ってあげるのが親の役目なんじゃないのか。そりゃ母親にとっては「言う事聞かないからおもちゃを壊した」程度だろうけど、当時の息子にとっては「唯一自分の心に沿っていてくれていたモノを壊された」って、小中学生の限りなく狭い視界と世界観にとっては破滅地獄でしかない。
中学生のクラスメートがステラ廃人氏のツイッター見て「中学校の時の物言いと全く変わっていなかった」という言葉からも「彼の世界観や社会的な視界は10代前半のめちゃくちゃ狭いままで止められてしまっていたんじゃないのか」とどうしても思ってしまう。

【父親「もう少し息子に才能があれば、アニメの世界に進めたと思います」】
何故に公判で「たられば」論を語るか。確かにお母さんに比べればこのお父さん、一生懸命息子に沿ってあげようとしていたのは事実ですよ。その点は「頑張ったんだな」とは思うが、それでも息子を殺せば殺人なんですよ。
父親や、医師や関係者から、息子に何とか沿おうとしている姿はある意味母親が「暴君」だっただけに、涙ぐましさすら感じる(大体このお父さんの年代だと父親の方が暴君で母親は奴隷看守な事が多い)。
でも、その「沿い方」が必死過ぎて逆に盛大にベクトルずれてる気しかしない。そら父親が官僚で事務次官なんていうと、今の日本の価値観じゃ、息子は「偉大過ぎる父=自分の男としての存在を否定されたようなもの」にしかならない。しかもホモソーシャル万歳な私立男子校に入ってしまって、更に落ちこぼれの自覚あれば性格曲がるなと言う方がおかしいでしょうが。
個人的には、こういう子に中学受験は本当に合わないと思う。ましてや、独特の世界観持ってる子の場合、通信制やフリースクール、もしくは親の全く届かない全寮制の離れた場所で、のびのびさせた方が良かった気がする。
確かに息子は昭和50年代生まれだし、その頃はそこまでの環境整った教育施設は日本に無かったかも知れないが、お金は潤沢にあった家だったんだから、いっそ国外の施設に預けるという方法だってあったと思う。国外だと、「父親は次官なんだ」とイキったって、全くそれが理解されない。ある意味加減の無い荒療治に近いけど、それが実現できるだけの財力がある家だったのは今までの報道で明らかにされている。
私の実家の知り合いにだって、似たようなアスペルガーや発達障害の男の子は居た。けど、大体の家はそういう子供にかけるお金なんて無かった。チンピラ稼業に手を染めてヤクザの鉄砲玉になって命を落とした子だっていた。
この事件の場合、父親は母親に比べれば懸命になってたのは判る。懸命に寄り添おうとして、結果的にずっと手元に置いていたような環境になってしまって、息子を狭い繭の中に閉じ込めてしまっていた印象が強い。
だけど、さっき言ったように、父と息子は全く別個の存在。息子に父離れさせること、父が息子離れすることは、凄く辛い作業だけど大事なことだと思う。
息子に「アニメの才能がある」と呪縛を掛けてしまったのは父親の方じゃないだろうか。確かにステラ廃人氏はアニメ好きだったろうけど、「好きが仕事になる職業」なんて太平洋に浮かぶカヤック以下の微小な確率でしか存在しないし、「仕事とする=生計を立てる」である以上、嫌な事だって受け入れなければお金は貰えない。好きな事に興味がなくなるのなんて、それこそ秒単位で可能だが、仕事を続ける上では「好き」はある程度棄てて割り切らないと食べていけない。

念のため言っておくが、息子に非が無いなんて言う気は私には全く無い。ツイッターやネトゲ界隈の噂から漏れ聞いただけでもとんでもないモンスタートラブルメーカーなのは有名だったし、目白の高級住宅街の一戸建てをゴミ屋敷にして昼間っからアダルトDVDを窓開けっ放しで大音量で流すとか、常識を逸脱しているにも甚だしい行為だろう。
息子が脳内が派手にイカれた中年ひきこもりゲーマーだったのは承知の上で「でもやっぱり殺すのはちがうだろ」と言いたい。親が「息子」という名前のついたゲームを強制終了させても結局は残ったのは「こぼれたミルク」のみ。器を失ったミルクにザオラルかけてもザオリクかけても復活は絶対にしない。
息子にも多大な問題があったろうし、それで両親や妹は長年苦しんで来たと思う。
でも。それでも。父親と母親の公判での言動を見るに「何か違わないか」とどうしても思ってしまう。
「誰が悪いなんて絶対に言えない、本当に悲しい事件」だとは思う。こういう事件を目にして、子育ては本当に難しいし繊細な作業だと身につまされた思いがする。
子育てをしている親たちにとって、この事件は、「自分の子供が助かって良かった」じゃなくて「自分の子供にとって、自分も実はこういう傲慢な親なのかもしれない」と、一度自分の中を見つめ直す良い「他山の石」なのかもしれない。
毒父のモラハラを浴びせ続けられてきたお蔭で、「子育て」に参加することを放棄した私のような「落伍者で少子化の戦犯」が言うのはお門違いかもしれないが、これだけは言える。
毒父毒母育ちだろうが、自分自身は変わろうと思えば変えられる。だって親とは全く違う存在だから。


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