はじめまして。sagaeです。

おはようございます。

今日は晴れ。晴天。6月の良い日でした。

タイトルにもある通り、自己紹介。

ブログを本格的にやるのは初めてなので、いろんな方のブログを読んでみた結果、最初はみんな自己紹介するんですね。

そりゃそうですよね。

出来る限り詳しく紹介しましょう。



出身は福島県。
1992年生まれ。
B型。
職業美容師。

20歳までは地元福島県で過ごしました。

父親、母親、兄、と4人家族。
ごく一般的な家庭です。

よく質問されるのですが、両親は美容師ではありません。
兄もサラリーマン。親戚でも美容系の職は僕だけ。

幼少期は成績は割と優秀な一方で、落ち着きが無い子でした。

小学校ではリレーの選手で陸上大会では金メダルを取るほどでした。
今では想像もつかないかも知れません。

バスケットボールをやっていて小5から中2の間が人生で1番モテた時代でした。

練習試合に行った他校の女子にラブレターをもらった事もありました。

今みたいにLINEとか無いので直接手紙ってのがいいですよね。今でも覚えてます。

高校も地元の商業高校に進学しました。
バスケは好きでしたが、県内屈指の強豪校だったため、ここでの活動は遠慮しました。

中学3年の頃からロックンロールにどハマりした事もあり、高校時代はバンド活動にのめり込みました。
担当はギターボーカルでした。

バンドメンバーは皆、激しい音楽性、と言うか
いわゆる当時のロキノン系だったりメジャーで活動してるわけではないちょっとだけコアな音楽を聴く事に優越感を感じつつ、周りの学生とは積極的に音楽の話はしない事で、自分達をその道に詳しい人にしか理解されない孤高のバンドと言う様な、思春期特有のブランディングを展開しているバンドでした。

演奏技量が全く足りていなかったので、いわゆるその道に詳しい街のバンド界隈でも特に目立った活動は出来ていませんでしたが、

今思えば普通にRAD○INPSとかBUMP OF CHI○KENとかをやっておけば高校でももう少しはモテたのかなあ、と思います。




時期は前後しますが、美容師になりたいと思い始めたのは中学生の頃でした。

当時の僕は小学6年まで理容室しか行ったことがなかったため、基本的に刈り上げて、坊主に少し毛が生えた程度のヘアスタイルでした。

中学生になって初めて母親に連れて行ってもらった美容室で、なんとなく今までとは違う、どこか今風?なヘアスタイル。ワックスなんかもつけてもらって、仕上がった後照れ臭かったのを覚えています。

今となって思うことは、僕は常に2つ年上の兄に少しでも近づこうとしていた気がします。
洋服に興味を持った兄に置いていかれない様にファッション誌を読んだり、これは兄がいる人はよく分かりますよね。

髪型も、自分のヘアスタイルがダサいけどずっとどうして良いのか分からなかったので、初めての美容室で自分が変わった感覚を感じました。

どうにか認めてほしい、承認欲求が強い少年だったのです。


将来を決める上で最も大きい影響を受けたのは父親でした。

僕の兄は両親が20歳の頃に生まれ、僕は22歳の頃に生まれました。

20代前半で2人の子どもを育てながらだったので、父親が土日にゆっくり仕事を休んでいる姿を見たことが無かったのです。

そう言う仕事だったんですね。

学校の友達は週末になれば家族でお出かけは当たり前で、父親も母親も土日休み、夏には旅行に行き、友達家族同士でバーベキューなんて事をしていたり、

なぜ父親はこんなにも働いているのか、少し謎でした。

男は大人になると、一生ろくに休みも無く働き続けなければいけないのだと思いました。

父親はいつも疲れていました。しかし、家族を養う責任感が彼をそうさせているのだと、幼いながら感じていました。

そんな中で僕は、もし本当に一生働き続けなければいけないのであれば、本当に、心の底から、やりたい事を仕事にしなければ、地獄の様な人生になると考えるようになりました。


そんな事を考えながら美容師という仕事に触れたことで、この仕事はきっと人を幸せにする “良い仕事" だと、感じました。

僕が一生をかけてやっていくべき“良い仕事"はこれだ!!と思ったのは中学2年生でした。

まあ正直なところ、その当時はそこまで強くは思ってなかったかな。笑
でも常に魅力的な仕事であり続けて、高校2年生の進路を決める時期に、両親に美容師になりたい事を伝えました。

結果は、猛反対。


『お前は職人の世界で生きていけるような男ではない。』
父親はこんな言い分。

『普通に大学に行って普通の仕事をしてほしい。』
母親は大体こんな言い分。

このまま反対に押し切られて大学に行っても、やりたくない仕事に就かなければならないのは辛い。

大学に行かせてもらえるのはものすごく幸せな事だけど、僕は美容の仕事に魅力を感じていたので、全然興味が湧かなかったのです。

美容師の仕事は大変なイメージがついていると思います。なかなか続けるのも難しく、給料も安定してもらえるようになるまでは時間が掛かるなど、なかなかポジティブなイメージが無いので、両親が心配して反対してくれたのも分かります。

それでも半ベソかきながら説得して、なんとか美容学校に通わせてもらえることになりました。

ここで反対してもらえたことで、僕は美容学校に入ってから他の学生とは比べものにならない程の練習量で学生生活を送りました。
学校が終わったら練習して、そのあとは美容室にバイトに行って学校では学べない技術を教えてもらいました。

常に成績はトップクラス。

東京の一流店で働こうと決めました。

福島から高速バスで6時間東京、表参道の美容室を順番に見に行きました。

実際にカットしてもらったり、カラーしたり、見学だけ出来るところは連絡しまくって見せてもらいました。

僕が見てきた中で1番忙しくて、1番カットが気に入ったお店に就職しました。

入社してすぐは、毎日目が回るほど忙しく、何も考えられず、ただただ出勤して練習して帰る日々

時間も無くて金も無いけど充実した生活でした。

とにかく早くカットが出来る様になりたくて、毎朝毎晩練習していました。
両親の髪の毛を早く、上手く切れるようになりたかったですね。

会社の中でも歴代で1番早くスタイリストになることが出来ました。

アシスタント期間は2年8ヶ月。
それ以降はずっとスタイリストとして働いています。


その後はサロンワークを中心に、国内外の技術講師やヘアショー等を担当。



現在に至る。




こんな感じですかね。。笑


最後の美容師になってからは駆け足でしたが、今後も何かしらエピソードを書いていきたいと思います。


こんな感じで、今までの経験を活かしてブログ、YouTubeなどなど、、、

発信していきたいと思いますので。

よろしくお願い致します。


sagae

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