見出し画像

GO! コン、そしてアジフライ

「なあ。GO! コン、来てくれね? ひとり急に来れなくなっちゃって。明日なんだけどさ」
あれは大学時代、確か2回生の秋のことだった。ドイツ語のクラスが一緒だったことから緩い交流のできた友人に、誘われたのだ。GO! コンに(もちろんその時はその音を『合コン』と脳内で変換して聞いていたわけだけれど)。
僕はその頃恥ずかしながらまだ合コンやら女性との飲み会やらに参加したことのなかった純朴な田舎出身の青年で、こんな機会でもなければ、という思いから割とすぐに首を縦に振ったように記憶している。

僕が参加を表明すると、友人は会場の場所や開始時間を手帳に書きつけ、破ったページを僕によこした。彼は軽薄な話し方と性格の割に、いつもボールペン字を端正に書く人だった。会場は大学の近くだったが、知らない名前の店だった。友人は僕に必ず時間厳守で、と念を押し、それから詠嘆口調で言った。
「いやあ、助かるなあ。お前はいつも俺を助けてくれるなあ」
何だその大仰なセリフは、と友人にツッコんだことがやけに印象に残っている。

◇ ◇ ◇

翌日、友人に渡されたメモの通り会場に着いた僕は目を疑った。僕の目が正しければ、会場として指定されたその店はどう見ても小さなペットショップだったからだ。通りに面したガラス張りのケースに入った子猫が、僕を見て小首をかしげるような仕草をした。僕だって首をかしげたかった。
もしかすると今日の会場は会員制や一見さんお断りの店で、ここは単に待ち合わせのための場所なのかもしれない。僕はとりあえずペットショップの店内に入った。

ペットショップは思いのほか広かった。店構えからは想像できないほどの奥行きを持った店内は、壁がすべてケースになっている。犬、猫などのいわゆる定番から、水槽になったケースには熱帯魚も。それだけじゃなく、ヘビやカエルに、カラスみたいな変わり種の動物までいた。こんなペットショップが大学の近くにあったなんて全く知らなかった。カラスを売るペットショップなんて、ちょっとくらい話題になってもよさそうなものだけれど。僕は待ち合わせのつもりだったのに、だんだんこのペットショップ自体が気になり始めていた。

「……お兄さん。あの、お兄さん、もしかしてGO! コンに来た人ですか?」
背後から肩を叩かれはっとした。カラスの黒々とした羽をしげしげと眺めていた僕は、後ろから声をかけてきた女性に気づいていなかったのだ。しかもどうやらこの人は僕と用事を同じくしている人らしい。僕は慌てて振り向いた。
僕に声をかけてきたその女性は、それこそカラスの濡羽色というのが相応しいような黒髪を長く伸ばした背の高いひとだった。たぶん、僕より少しだけ身長が高い。
「あ、はい。えっと……あなたも?」
「よかった。私、GO! コン参加するの結構久しぶりで。ちょっと不安だったんです」
「そうなんですか。実は僕も、お恥ずかしながらこういうのは初めてで……」
「あ、ほんとに? じゃあ、仲間みたいなものですね!」
仲間、という言葉のチョイスに僕は少しだけ笑ってしまった。

そのまま女性としばらく雑談を交わす。どうやら彼女もこの店についてはあまり詳しく知らないようだった。会話の途中で、女性は思い出したように言った。
「あっ、名前まだ言ってませんでしたね! 髙島肇、16歳の高校2年生です!」
「あ、すいませんご丁寧に。僕は島村大晟っていいます……ん?」
僕は反射のように名乗り返して、それから一瞬フリーズしてしまう。
「……えっと、それは?」
「…?」
「あ、いや、高校生…なん、ですか?」
「そ、そうですよ?」
僕の問いかけに、髙島さんは怪訝そうな顔で頷いた。僕の混乱は激しさを増していく。
僕は1年間浪人して大学に入った。誕生日は5月の上旬だから、もう20歳なのだ。髙島さんの年齢が本当だとすれば、僕は今日未成年と合コンをするというのだろうか。僕が知らないだけで合コンってそうなのか。成人男性が未成年に手を出したら捕まるんじゃなかったか。色んな考えが頭の中を高速で流れていく。

「……お、いたいた。島村……あれ? 髙島ちゃんもいるじゃん。なに? お前らって知り合いだったの?」
店のドアを開けて入ってきたのは、僕を誘った友人だった。ふと視界に時計が入る。僕に「時間厳守」と言った通り、彼が来たのは確かに定刻ぴったりだった。
「あ、いや、さっき髙島さんが声かけてきてくれて……って、そうじゃないんだよ」
僕はこれ幸いと友人を引っ張り、髙島さんから少し離れたところへ移動する。友人は髙島さんと同じように怪訝な顔をしていた。

「何だよ、急に」
「何だよじゃないって。髙島さん、高2って言ってたんだけど。マジ?」
友人は僕の焦りながらの問いをいとも容易く首肯した。まだ怪訝な顔をしている。
「お、おう。何でそんなに焦ってんだよ……GO! コンなんだしそんなもんだろ」
「合コンだからだよ! お前の倫理観はどうなってんだ! っていうか髙島さんも何で来てるんだよ!?」
「い、いやお前マジで何言ってるんだ……?」
心底不思議そうに首をかしげる友人。どうやらどこかで話がずれているようだ。僕は一度深呼吸をして、それから友人にこう問うた。
「……なあ。僕、合コンとか初めてでさ。こういうものなのかとか、正直分かんないんだよ。でも僕はもうハタチだし、髙島さんは未成年で……それって、いいのか?」
「いや、いいも何も……ん? ……お前さ、もしかして『合コン』だと思って来たのか?」
一瞬の沈黙が僕たちの間に流れる。言葉遊びのような問いかけに、僕は口を開くこともできなかった。
「今日はお前、『GO! コン』だぜ? 『合コン』じゃなくて。『GO! コンテスト』……そっか、悪いな、勘違いしてたのか」
「……は?」
僕はもういよいよ何が何だか分からなくなった。友人はそんな僕を見て、手帳にさらさらと何やら書きつけ、僕に見せてきた。そこには、「GO! コン → GO! コンテスト」という端正な文字。端正なのに無茶苦茶だ。
「……あー、すまん、俺が説明不足だったわ。まあ、せっかくだし今日は見ていってくれよ、『GO! コン』」
友人は申し訳なさそうにそう言った。僕はといえば、「GO! コン」については何も分からなかったけれど、とりあえず犯罪じゃなくなりそうなことには安堵していた。

「……あの、お話終わりましたか? そろそろGO! コン始まるらしいですよ」
髙島さんが僕と友人を呼びにやってきた。指し示す先には、犬用の首輪が並んだ棚。あれが何か、と思ったら、店主らしき男性がその棚を押しのけた。棚の下には地下へ続く階段がある。もういよいよじゃないか、と僕は天を仰ぎたい気持ちだった。もういよいよ、おふざけじゃすまない領域に来ちゃったじゃないか。
「おい、行くぜ」
前を歩く友人の声に引っ張られるようにして、僕は階段を下りた。

◇ ◇ ◇

ペットショップの地下は、ちょうどペットショップから棚を全部取り払い、ケースからすべての生き物を逃がしたみたいな内装になっていた。何も入っていないケースが並ぶ壁は妙に怖い。そして、そんなところにそれなりの人数がどんどん入ってきたのはもっと怖かった。

「……はい、あいつは……代わりなんですけど、GO! コンは初めてなんで、今日は見るだけってことで……はい、はい」
友人はおそらく主催者と思われる男性と話していた。僕のことを紹介してくれているらしい。友人との話が終わると、主催者の男性は僕のほうを振り返った。彼はほぼ完璧に「ドカベン」の山田太郎みたいな体つきと顔つきをしていた。「ドカベン」の実写化ならこの人に頼めばいいんじゃないか、というくらいだ。

「……君が島村くん?」
その体躯から考えると高すぎる声で話しながら、男性は僕に手を差し出してきた。とりあえず握手をする。手がとても温かい。
「島村くん、GO! コン初めてなんだよね。僕はGO! コン運営委員の吉田って言います。今日はリラックスして楽しんでいってね。島村くん、素質ありそうだし、今日GO! コンに興味を持ってくれたら嬉しいよ」
僕はなかなか手を離してくれない吉田さんに怖さも感じつつ、ただただ頷いていた。素質があるって、こっちはGO! コンが何かも分かっていないのにと愚痴を言いそうになったけれど、飲み込んでおく。
「……GO! コンはね、つまるところ『美』なんだ。上位に食い込みたいなら努力は絶対に必要だけど、その努力は全部隠さなきゃいけない。努力の跡が見えたらね、それは『野暮』ってことなんだよ。分かるかい? 島村くんならたぶん分かると思う」
吉田さんは握手した手を決して離さないまま僕に滔々とGO! コンへの思いを語り続けた。僕は途中からほとんど泣きそうだったけれど、何とか我慢できた。もう20歳なのに人前で泣けやしない、という常識が、こんなふざけた状況でもまだ僕の中に生きているのが何だか虚しかった。

突然室内の照明が落ちた。吉田さんはパッと僕の手を離す。
「始まるね。僕は裏で色々しなくちゃいけないから、じゃあまた」
吉田さんはそう言って、奥のほうへと駆けていった。僕はとりあえず解放されたことに心の底から安心する。
スポットライトが点いた。その中心で照らされているのは、濡羽色の長い黒髪。髙島さんだ。髙島さんは観客たちに向かって一礼し、それから手に持っていたマイクを口に近づけた。でも、まだ喋らない。何かタイミングを計っているようにも見える。
「髙島ちゃんが『GO』って言ったら、三拍置いて『GO!』だぞ。まあ最初は俺らの見て、途中から入ればいい」
隣に立つ友人が僕に耳打ちをした。それがGO! コンのルールなのか。GO! コンのルールって何なんだ。

「……GO」
髙島さんは散々間を置いて、ようやく消え入るような声でそう言った。静まり返った観客たちは、しかしきっかり三拍置いて一斉に声を発する。
「GO!」
その様子を見渡し、髙島さんは深く頷く。観客たちの「GO!」の余韻も消えたころ、彼女は再びマイクを口元へ寄せた。
「…GO」
どうしてか、今度は僕も参加してみよう、と思わされてしまった。三拍を心の中で数える。隣に立つ友人が息を吸うのが少しだけ聞こえたような気もした。
「GO!」
ぴったりだ。僕の声は友人や他の客や、たぶん吉田さんの声とも混じり合い、空間に溶けていく。
「GO」
「………GO!」
「…GO」
「………GO!」
繰り返される「GO」が僕の頭を支配する。僕はどうやらもうすっかりGO! コンの虜になっているらしかった。
ふと、マイクを持って「GO」と呟いた髙島さんの背後に、僕は吉田さんの姿を見つけた。吉田さんは、「ドカベン」の山田太郎そのものみたいな笑顔で、サムズアップをしていた。僕は、サムズアップを返しながらきっちり三拍の後に「GO!」と叫んでいた。

◇ ◇ ◇

結局「GO! コン」を満喫してしまった僕は、23時に帰宅した下宿の自室でぼんやりと寝転がっていた。コンテストが終盤へと進むにつれ激しさを増していった「GO!」の声が、まだ耳に響いているような気がしていた。友人に説明された当初はふざけた言葉遊びにしか思えなかったGO! コンに、僕はいつの間にかすごく心を動かされていることを認めざるを得なかった。
「GO! コン、なぁ……」
結局僕は人生初の「合コン」を体験できなかったわけだ、と僕はそんなことも考えた。こんどはあの友人以外に誘ってもらうしかないだろう。大学生なんだからいくらなんでも合コンのひとつやふたつは経験しておきたい。

僕は少し目を閉じて、それから手帳を開き「GO! コン → GO! コンテスト」と書きつけてみた。友人ほど綺麗な字は書けなかったが、少しだけ満たされた気持ちにはなった。
明日の昼は大学の食堂でアジフライを食おう、と僕はその文字を見ながら決意する。そして、シャワーも浴びていないのに、僕はもう一度ベッドに寝転がってそのまま目を閉じた。

(おわり)