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母の日に想うこと

五月に入ってから急にメルカリで衝動買いしてしまったかりゆしウェアが、申し訳なさそうに振り始めた雨の日にすべて届いた。

かりゆしウェアというのは沖縄版アロハシャツのことで、もうだいぶ前にクールビズが叫ばれた時代に生まれ、なぜか歴代の総理と閣僚が一時着たりするやつである。
その当時欲しくもなんともなかったわたしが最近になって探し回っているのが自分でも不思議で、振り返ってみるとわたしが今やっていることは亡き母がしてきたことと一緒だということに気がついた。
それが母の日だった。

母は家事育児全般を身内のわたしが贔屓目に見ても普通以下で、綿と麻のシャツしか着ず、映画好き。持てる力を芸術分野に全振りしたような人だった。
たとえばわたしが現代詩手帖という詩の雑誌の投稿欄に初めて出した詩が佳作に入って、喜んで見せに行った所、母が放ったことばは
「詩は載っていないのか」
それだけだった。
現代詩手帖では佳作に入っても入選しなければ詩は載せてもらえない。
思い返せばその時わたしの中にあのゴッホのひまわりのごとき母の血が受け継がれた瞬間だろう。
形にならなければ、賞を取らなければ、入選以外は許されない。
故に初めて佳作に採ってもらった詩は残らず燃やしてしまったのでもうこの世にはないし後悔もしてはいない。

それから母の死と共に沖縄を離れ、母の故郷高知で気づけば母のしてきたこと、母がしたかったことを無意識になぞり、体感している自分が増えてきた。
今まで着なかったシャツが欲しくてたまらなくなったり、頻繁に映画を観に行くようになった。母が私の故郷沖縄で探し回っていた物を、今度は逆に母の故郷高知で娘である私が同じ事をしているのだ。それがとても不思議でおかしくて、なんとなく文章に残したくて、衝動的にnotoを始めたのである。

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