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恋に落ちたら世界が違って見えた話

[この記事は、はとさん @810ibara の主催するぽっぽアドベント企画2019年12月13日担当分として、「私が動かされたもの」のテーマで書いたものです。はとさん、企画どうもありがとうございました!]

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 長く懇意にしている年上の友人から、英国ロイヤルオペラの公演に行くからあなたも行かないか?と誘われた。オテロとファウスト、どっち行く?と聞かれたので、スケジュールの都合も加味して「オテロなら」と答えた。私がオペラを聴きに行くのは、大抵こうやって受動的に決まった。なぜならその友人が、「人生の機微は全てオペラに詰まっている」と断言するくらいオペラに入れ込んでいたから。私は彼女の気まぐれに差し出す提案にagreeかnot agreeかを答えるだけで、演目も演者も様々な作品のチケットを、チケットセンターに電話を掛けることなく手に入れることができる。一度なんて、スカラ座の引っ越し公演(ホームの劇場以外に移動してかける公演)が日本でかかるその最中に、彼女がよりによってミラノに出張になり、スカラ座のチケットは(お気持ち程度の破格で)私の手へ、彼女は空の劇場のあるミラノへ泣く泣く旅立ったこともあった。彼女の前で私は、いつだって巣で口を開けて待っていればとりどりの餌がもらえる無責任な雛鳥だった。
 その日は朝から天気が悪かったけれど、日本大通り駅から地上に上がった時には、曇り空と湿った空気が残るだけで雨は上がっていた。久しぶりの神奈川県民ホール。オペラをかける劇場としては老舗で評判も良いホールだ。
 座席は前から10列以内のセンター。左右に流れる対訳は見にくいが、視野を全て舞台で満たせる、良い席だった。オテロには前奏が殆どない。ヴェルディは特に晩年、長大な前奏曲を書くことを好まなかったと言われている。客席の照明が落とされ、ホールが闇に包まれた後、無音のままするすると幕が開いた。
 暗い舞台の真ん中に、男性が仁王立ちになっていた。両手に白と黒の仮面を掲げている。2000人もの観客を前に、たった一人でスポットライトを浴び、二階席の方を睨みつけている。無音のまま、彼はゆっくりと、仮面を持った両手を動かした。緩急のある迷いのない所作で、まるで能楽や仕舞のようだった。
 オペラでは歌手が歌うだけでなく演技もする。しかしどうしても本流は歌であるので、歌いにくい演出を歌手は嫌がるし、歌わないのなら美しい所作を訓練されたバレエダンサー(踊らなくても)を出演させる。怠慢なことに私は、自分がこれから観ようとする公演のキャストをよく予習していなかったので、このマイムをする人は誰?バレエダンサー?と呑気に思っていた。思いながら、彼の一挙手一投足に釘付けになった。
 雷鳴のようなオケの音色が轟いて、短い前奏の後に合唱が始まった。彼が群衆に紛れた後も、私の目は彼を追っていた。彼のパートが始まって初めて、彼が今夜のヤーゴなのだとわかった。
 舞台は素晴らしかった。舞台装置はシンプルでモダンだけれど概ね正統的な演出で、ヤーゴだけでなくすべての役者に、極限まで演技性を要求していると感じた。舞台にうつ伏せて歌うなんて、歌手にしてみればできればやりたくないに違いない。今のオペラは昔よりずっと観客の要求度が高くなっているとしても、この劇場は歌と演技とどちらも完璧を求めるんだな、という印象を受けた。直感的に、シェイクスピアと演劇の国だ、と思った。
 それはさておき、私は演奏中ずっと、ヤーゴ役の歌手に釘付けだった。舞台の真ん中でオテロとデズデモナが歌っている時も、舞台の奥の脇、ライトの当たらないところで演技している彼を目で追っていた。ヤーゴが最後には裏切られるとも知らず、妻エミーリアに横暴を働き、嫉妬から奸計をめぐらせ、主人公たちを破滅させていくのを、不愉快に思うのではなくうっとりと見ていた。
 休憩時間に、うっかりファウストの追いチケットをした。ファウストはファウストで、素晴らしかった。その時ヤーゴ役の彼が出る公演もまだ席があったが、先約があったため買わなかった。今となっては、先約をキャンセルしてでも行けば良かったと後悔している。
 神奈川県民ホールの公演を聴いた後は、横浜中華街で食事をすることにしている。友人は最近過激なダイエットに成功しており、胃が小さくなって「そんなにたくさんは食べられない」と言うので、飲茶の店に行った。そこそこ美味しかったと思うのだけれど、何を食べたか、友人と何を話したか、よく思い出すことができない。
 帰宅してから深夜まで、ヤーゴ役の彼の名前でインターネット検索をかけた。

 その日から時間が空くと、経歴から彼のSNSから他人の評、そういったものを鬼のように検索した。YouTubeの公式動画として観られる限りの演奏とインタビューを聴いた。彼のことが頭から離れず、ずっと彼のことを考えている。私は自分のSNSに「恋に落ちた」と呟いた。彼の夢女子になったという意味ではないが、たった数時間ーー実際のところ冒頭の数分ーーで心を鷲掴まれたことは、そう比喩しても差し支えないだろう。
 私にとって推しとのこのような出会いは初めてではない。そういう時、私はだいたいSNS上の友人に想いを暴露し、同士を探す。しかしクラシック音楽奏者にここまでハマったのは初めてで、そのことが私を困惑させ、この感情をどう処理していいか持て余した。
 折しも私は、数ヶ月前にAmazonプライム・ビデオのオリジナルドラマであるGood Omensに大変ハマって、しばらく遠ざかっていた物を書く世界を取り戻そうとしていたところだった。恋に落ちるにはタイミングが悪すぎる。どちらに対しても今それどころじゃない、というのが正直な気持ちであった。
 脳内に渦巻く感情は、表出の道を与えてやれば正しく外に出て行ってくれる。「今それどころじゃない」私は、その出口を手っ取り早く知るために、元凶を作った友人を訪ねることにした。
 彼女の職場は、都心とは思えない鬱蒼とした緑の中にあった。趣のある石造りの建物なのに、これでも構内では3番目の古さなのだという。正面階段も剥き出しの石でできており、たくさんの人間の往来で表面がツルツルに磨かれ、中央がはっきりと窪んでいた。私は靴底を取られないよう、端を選んで慎重にその階段を登った。
 真鍮の、緩んでいてガタガタする丸いドアノブを回すと、所狭しと並べられた本棚の間、無垢材でできたデスクのところに彼女がいた。
 一通りの挨拶をした後、私は端的に切り出した。「恋に落ちてしまった」と。本当にそう言った。もちろん説明は付け加えた。
 彼女は顎に手を当ててしばらく考え込んでいた。ごく短い時間だったはずであるが、彼女の裁定を待つ間、私は論文を添削される大学院生の気持ちを味わった。彼女の職業は大学教員である。
「それは大変だ」と口を開いた彼女は言った。「大スターってわけじゃないからね。そうそう日本には来ないでしょう」と
 そうなんですよ、と思った。と同時に、ハナシ早、とも思った。どういうこと?と質されることも、そうか恋に落ちたんだね、という受容もなかった。彼女は学者ではあるが夢想家でなく実務家であり、恐ろしい量の仕事を成し遂げている。とにかく彼女と話していると、議題はサクサクと前に進んだ。
 そうなんですよ、と私は口に出した。そして彼が英国ロイヤルオペラハウス (ROH、ロンドン)やメトロポリタン歌劇場 (MET、ニューヨーク)の常連であること、ロンドンに拠点を置き、グラインドボーン音楽祭やプロムスにもしょっちゅう呼ばれていること、日本に来日したのは4-5年ぶりだということなど、自分の調べた情報を力説した。脳内に渦まくものが流れる先を見つけたようだった。
 ROHやMETの常連なんて、十分すぎる輝かしいキャリアだ。そもそも歌手を志し、歌って食べていけること自体が非常に狭き門だ。それでもなお上には上がいて、日本において巨大なコストを払って引っ越し公演をするのに、彼の名前ひとつで客を呼べるかと詰められると少し心許ない、厳しい世界であった。ROH自体来日するのが4 年ぶりであり、次に彼を日本で観られるのがいつになるのか、見当もつかなかった。無理してでも、今回の公演を全て見ておけば良かった。
 すると彼女はこう言った。
「ロンドンに行きなさい。劇場で入り待ち出待ちすればいい。そうしたら会えるから」
 うんうんそうだね行きたいです。と強く頷きながら、私はあれ、こういう話どこかで、と思い出していた。私のSNS周りには海外、特に英国俳優を好む人が多い。誰かの舞台があれば、フォロイさんの誰かが渡英して、入り待ち出待ちした時の様子や、舞台の感想をアップしてくれていた。オペラやオーケストラなどのクラシック音楽の世界でも、同じ手が使えることは知っていたが、積極的に行使しようと思ったことは今まで殆どなかった。
「会えるうちに会っておいた方がいいよ。彼は若くないから。もちろん男性の方が女性歌手より少し長持ちするけれど」
 彼女はネガティブなことを口にする時、少し声を潜めた。それもわかっていた。彼は今年59歳で、歌手とは身体を使う商売である。リゴレットのタイトルロールで有名なバリトン歌手であるレオ・ヌッチは、御年77歳で舞台からの引退を宣言したが、誰にいつ何が起こるかは、誰にもわからない。彼女の発言の最後の部分で、私は彼女が、彼女と同い年のソプラノ歌手の熱烈なファンであったことを思い出した。彼女は自分のキャリアと老いを、自分の推しに重ねているところがあった。
 脳内に溢れる推しへの情熱の表出を許されたので、私は嬉々として話を続けた。
「彼の出演するオペラのDVDが出ている。日本でも買うことができるんだけど、リージョン情報が付いてなくて、観られるのかどうかわからない」
 私は普段洋画洋ドラ周りにいて、幸いなことに、推しの円盤を探して輸入する、という事態には慣れていた。ちょうどGood Omensのファンダムが巨大になって熱量を上げているところで、主演俳優にハマった人たちが初めての輸入盤購入を検討し、慣れた人たちがリージョンコードについて解説する、というやりとりが目の前で繰り広げられていた。苦労した先人たちが後から来たものに蓄積された知識を渡していく。この沼の温かいところでもある。
 しかし、今回の目的のDVDには、肝心のリージョン情報がないのだ。例えば同じアマゾンジャパンで売っていたとしても、洋画洋ドラ関係ではリージョン情報が必須なのに対し、クラシックのDVDにはどこにも書いていない。クラシック盤輸入専門サイトでもそうだ。私はその不便を友人に訴えた。
 結論から言うと、それは大変甘い考えであった。友人はひとつ息を大きく吸うと、カッと目を見開いた。
「リージョン情報なんて必要ないんですよ。いいから買え。観られるかどうかなんて関係ない。これはお布施である。1枚じゃなくて2枚でも3枚でも買え。これから発売なら必ず予約して買え。それが推すということだ」
 聞いたこともない彼女の迫力ある低い声に、私は目を丸くした。この台詞も、洋画洋ドラ界隈ではしょっちゅう聞いていた。自分で言ったこともあるかも知れない。しかし、それを、この、彼女の口から聞くとは。
 彼女は私より10歳以上も年上で、品格があり、多分テレビはNHKしか観たことがなく (推察)、漫画など読んだことのない (読み方がわからない、と言われた)ような人だ。推すだのお布施だの、そんな単語が彼女の口から出てくるなんて、今まで想像したことは一度もなかった。
 私が面喰らっていると、彼女は少しトーンを落とし、目を伏せた。
「さえりちゃんは、そんなにオペラが好きじゃないんだと思ってた」
 そんなご無体な、と唸った。今までどれだけ一緒に行ったと思ってるんだ。そう言ったら彼女は「だって断られる時もあるし」と反論した。当たり前である。行きたい演目の時もそうでない時もあるし、他に好きなものもあるし、仕事の都合も財布の都合もあった。最優先で全力投球なければ好きじゃない、とは、ずいぶん極端な考え方ではないか。こういう過激派、洋画ファンにもいる……映画は公開初日に観に行き、好きなら同じ映画を何度も観るのが当たり前、みたいな。彼女の言い分は、彼らとちっとも変わらないではないか。
 私は小さい頃から音楽に縁があり、色々な楽器を試し、一時はこれで身を立てようと思ったこともあった。そうしなかったのは、荊の道で傷だらけになっても本望だという、そこまでの情熱がなかったからのような気がする。特にインプットの方については、冷淡なくらい冷静だった。音楽は好きだし聞くけれど、必死に追い求めたり知りたくて堪らなかったりするものじゃない。演奏するのは大好きだ。そのために必要なことはする。音楽はいつでもそこにある。でも気が狂うように好きな対象は、それまでクラシック音楽ではなかった。
 ワグナーを聴かない者は人に非ズ、みたいにマウントしてくる人は好きじゃなかったけれど、一緒に音楽をやる仲間の中にあって、そこまで入れ込めない自分に対してどこか引け目もあった。どうしたらそんなに好きになれるの、と思っていた。答えは簡単だった。恋に落ちれば良い。そうしたらその先は、今までと違うところに道が続いていた。そして恋とは、しようと思ってできるものではないのだ。
「今まで普通に好きだったんです。あなたのこれは、狂気」
 冗談ぽく、でもだいぶ辛辣な言い方をしたが、彼女はふふっと笑った。自覚はあるようだった。私は今まで、彼女がどうして私を気に入っているんだろうと思っていた。オペラを好きじゃないかも知れなくて、いつもついてくるとは限らないのに?どうせ語る言葉がないからマウントしてこない、と思っていたのかも知れないが、彼女のオタク気質が、私のオタク気質を嗅ぎつけたのかもと思った。
 秋が深まっていく季節の太陽が傾き始めた。西向きの彼女の部屋の大きな窓から、夕方の陽光が差し込んでくる。狂気だ、と言い放った私に、彼女はおどけたように軽く両手を広げた。
「ようこそ」
 この沼へ、という意味だろうか。オレンジ色の光を背に受けた彼女の顔は逆光によって影になり、ニコリと微笑んだのかニヤリとほくそ笑んだのかはわからなかった。


 これは私の好きな人を皆さんに紹介するための文ではなく、極めて私的なエッセイでした。オペラ歌手に歌ではなく演技で落ちてしまうという邪道の話であるため、できれば検索エンジンで引っかけられたくないのですが、せっかくなのでご紹介します。恋に落ちた相手はGerald Finley氏と言います。SNSに上げる写真で彼は、いつでも目を細めて笑っていて、穏やかで誠実そうなくまちゃん、という感じ。オーラや色気や声量で圧倒するようなタイプでなく、朗々と張りがあって安定したバリトンです。他の歌手に比して突出しているのは演技力で、計算された細かい演技によって、舞台という距離のある場所からでも役の意義が伝わってきます。オペラでこんなに芝居つけるの?と驚くし、彼ならストレートプレイも見てみたいと思う。彼の演技が観られるDVDがいくつか出ていますが、少し若い時分だけれど、話のとっつきやすさから「フィガロの結婚」はいかがでしょうか。フィガロ役、本当に可愛いんだ……出演作のさわりを観られる公式動画もあるので、芝居の好きな方にはぜひ観て頂きたい。

 恋に落ちたばかりの不安定さは今では落ち着いて、複数いる推しの一人として彼を見られるようになった。自分でも驚いた変化は、クラシック音楽、それもオペラだけでなくオーケストラ等器楽も含め全てを、すんと冷めた気持ちでなく、心から聴きたいと熱望するようになったことだ。そうしているうちにいつかまた、あの日のような出会いがあるような気がするのだ。ずっと前から家にあるCDも、今再生すればキラキラして聴こえる。新たに何かを手に入れることなくても、もう既に持っているものが自分の心持ち一つで魅力的に変わるのであれば、なんとお得な……幸せなことだろう。
 友人についてもそうだ。あの彼女にこんな、過激とも言えるオタク気質が隠されているとは知らなかった。私たちにはこの先、また新しい友人関係が拓けていくかも知れない。いつか折を見て、クラシック音楽以外の私の好きなものについて、話してみようと思っている。

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