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ネット検索で重要な2つの能力

友人から、教育に関する記事に書かれていたことを教えてもらった。簡単に言うと、とある学校に子供を通わせている保護者が、

"学校で週1回、図書館で本を自力で探す時間がある。そんな学校は素晴らしい!"

とインタビューで話していたという記事。


非常にうる覚えだが、そういった内容だった。恐らくこの保護者が言っていることは、

「学校でもデジタル化が進む中、楽して検索できるのは子供の脳の発達にはよろしくない。自分の頭で考えて自力で探すトレーニングは、子供の脳の発達に良いに違いない!」

と言うことかと思う。

…素朴な疑問。本を自力で探すことが脳トレになるのだろうか…?



私自身、子育てをはじめて感じることは、子供の教育でもすごくデジタル化が進んでいるということ。でもそれと同時に「昔ながら」を取り入れることが”良し”とされる風潮がある。

・ミルクよりも母乳の方がいい。
・iPadで見る本より、紙の本の方がいい。
・室内でゲームするよりもどろんこになって遊ぶ方がいい
・ネット検索で簡単に情報を得られるのはよくない。自力で頑張った方がいい。

これらいくつか例に挙げてみたけれど、親目線の私からも「うん、いいと思う」という感想が出てきた。じゃぁ何に違和感があるのかというと、「〜の方が」という部分だ。

初乳はもちろん母乳がベストだけれども、最近の技術?の発達でミルクも母乳にすごく近い栄養素で作られるようになったし、本を読むのは紙もいいけど、これからの世の中のことを考えるとiPad”にも”慣れておくと本人のためになると私は思っている。

また、どろんこになって遊ぶのは大賛成だし、けれども室内でゲームするのも本人が夢中になっているのであれば、それも子供の気質を活かすと考えれば大いに大賛成。

「ネットで簡単検索」については、後ほど詳しく持論を述べたいが、自力で探す力もあるといいし、でもネットでの検索能力も必要だと思う。


つまり、どっちかが良くてどっちかが悪いということではなくって、どっちもいいよね!っていう着地が、私には一番しっくりくる。

さて、「ネットで簡単検索」についてですが、ここで言及したいことは、「ネットで簡単に検索できてしまうことの是非」です。

こんな言葉をよく耳にする。


「ネットで検索してすぐに答えがわかってしまうのは良くない。自力で考えなさい。」


ん・・・?どこかで似たようなセリフを聞いたな。


「人にすぐ質問しない!まずは自分で調べなさい!」


あ、会社で聞いたことのあるセリフですね。


とにもかくにも「楽はよくない」。冒頭で述べた記事の内容は、ネットで簡単に検索できてしまうのは、脳の発達に何の役にも立たないので、小さい頃はネットに頼らず自分で探し出せるトレーニングをした方がいいよってことだと思いますが…

思い…ます…が、、、

果たして本当にネット検索というものは簡単なのでしょうか?たしかに、動作的にはGoogleやyahooの検索欄に調べたいことを打ち込むだけでいいので簡単なのですが、その調べたいことを「打ち込む内容」が実は重要で、人によって能力が問われるところである。

仕事をしていてわかったことがある。わからないことがあった場合、まずはネットで検索することが私の中では当たり前になっているが、そうではない人がまだまだ沢山いるということ。

また、検索キーワードが「欲しい情報を引き出すワード」になっていない。そもそもネット検索しようとしても、どんなキーワードで検索していいのかわからない…そんな状態の人がまだまだ多いということ。

ネット検索することを「簡単」「楽をする」という風に捉える人も多いが、私はそうは思わない。確かに昔に比べて色んな情報に簡単にアクセスできるようになり、便利になったのは確かだ。

ただ、逆に情報が溢れかえるようになってしまっている。良い情報もあれば、嘘の情報もある世界。その中で「正しく自分の欲しい情報を引き出す」「その情報は本当に正しいのか」を見極めなければならない能力が必要になってくる。

①自分の欲しい情報を引き出す正しい検索ワードが思い浮かぶ能力

②導き出した情報の”質”を見極める能力


私が小さい頃、テレビがあることが当たり前だったように、今の子ども達はネットがあるのが当たり前の環境。そんな中で、その環境に染まらず1人の人間としての土台を作った後にオプションとしてネットを使う(私たちのような?)。それとも、土台を作る過程でネットを織り混ぜて構築していくのか。

私は、後者で子育てしていきたいと思っている。

理由は、この先を生きるためにネットは必要不可欠で、もう水のような空気のような存在になっている。だから、空気のような存在として、土台に組み込んでおくことで、時代を生き抜く=時代の波にのれる人間に育つといいなという願いを込めて…だ。


土台にネットを組み込んだからといって、必ずしも時代の波にのれる子に育つ確証はもちろんないが、前者と後者のどちらが確率が高いかと聞かれたら、私は後者だと思うからだ。


じゃぁこの2つの能力を鍛えるには、どうすればいいのか??


…どうすればいいのだろうか?
検索能力は高いと自負している私は、何をしてきたのだろうか?

①の検索ワードを思い浮かぶには、人の思考を読み取る能力を鍛える必要があるかもしれません。ネットにある情報というものは、どの情報であっても全て「誰か」が作成したものに他ならない。「誰か」の頭の中が反映された産物がネットにうじゃうじゃとある。

といういことは、検索で欲しい情報を得るには、ヒットする検索ワードを打ち込むためには、自分の欲しい情報を的確に捉え、且つ、その情報を集約している単語を日本語の中から見繕う。

そして今度は、ネットで情報を作成した人の思考をトレースする。自分の欲しい情報をネットに書いている人は、どんなキーワードで記事を書いているか、など。

そしたら、見繕った単語と作成者の残したキーワードを照らし合わせて、1番マッチングする単語を2〜3語ピックアップし、検索エンジンの検索欄に入力する。

②の情報の”質”を見極める能力を鍛えるには、最初はとにかく膨大な量の情報を浴びることだと思っている。色々な情報に触れることで、だんだんと「これは本当っぽい」「これは作ってるっぽい」「これはあおり記事だな」など、なんとなく記事の後ろにいる作者の思惑がわかるようになってくる。


以上で、私が思う①自分の欲しい情報を正しく引き出す検索ワードが思い浮かぶ能力、②導き出した情報の"質"を見極める能力を習得する方法についてご紹介しました。

面白いことに、同じことを検索していても、100%他の人と合致するってことがないから不思議。
「あの人が探しだしてきた情報はどこにあった?」など、よくある。

情報社会に流されず、でも波に乗る能力を身につけるぞ!


#情報社会
#これからの教育
#子供とネット

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