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許せないのは誰か?

今日、顔馴染みの訪問看護の人にカウンセリングをしてもらった。

紙に幼少期からの家族関係を書きだして行って、家族樹のような図を書きながら、

いろんな今までの人生の節目節目を質問され答えていく。

彼女との付き合いは4年目になるらしい。忘れていたけど、長い月日だと思う。

彼女が言った、おかあさんの臨終前の3日間、何ができた?と。

私は、母の髪をすいたといった。母は途中までとかさせてくれたが、もういいと言った。

おかあさんはあなたに何と言いたかったと思う?と聞かれた。

子どもたちを育てて幸せになりなさいと言いたかったと思うと言った。

それよ、と彼女は言った。

あなたが許せないのは、おかあさんの病気を隠して介護させなかったご主人でなくて、

介護できなかった自分を許せないんじゃない、と。

最後におかあさんに会った3日間、そこにあったことを思い出して、

できなかったこじゃなく、出来たことに蓋をしてる、出来たことを思い出して。

おかあさんの望みは何だったか、何ができたか。

子どもの顔を見せてあげること。それしか考えられない。

あなたはあなたのできることをしたの、おかあさんにも長女だけだけど会わせられたの。

わからなかった、彼女から観て私はどう見えているのか。

彼女の見ている私は、私からは想像もつかない人物のようだった。

そうね、津波や事件で家族をなくした人もいるんだよね、別れができただけ、私はまだ恵まれていたよね そう呟いていた。これは傲慢で冷たい考えかもしれない。

でも母は私にとって大事な人だった。

私は混乱したままカウンセリングを終えた。

私が許せないのは私?

でも、私は母との最期の時期を短いけど持てていたって事?

自分が許せないとは思っていた。何故もっと早く母に会いに行かなかったかと。

彼女は言っていた。身内の危篤状態に家族が耐えられるのは7日だと。

だとしたら、子連れの私が耐えられたのは3日でいい方だったかもしれない。

私は私に もういいよ と言いたい。

私は私に言う もういいかな?

私は私に言う もういいよと。

今日はここまでにしよう。



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