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母を好きだった頃もあった

昨日から目に付くのでどーしても気になって。
(あっ、タイトルがシンプル過ぎたので変えました(汗))

『母』

何でこれがピックアップで出てくるんだ!? と思ったら、自分で書いた記事にこの単語が何度か出てる……からかな?(汗)
noteさんが勧めてくる本当の理由は判らないのですが、この際なので母のアレコレを書いてみたいと思います。

あ、私の母の話です。私ではなく。念のため。
ちょっと長いのと、若干……というか気持ちが下がる系の内容なので、見たくない方はそっ閉じしてください<(_ _)>



幼少時は母のことは好きだったんですよ、ええ。
とても、と言っていいほどに。
ただし小学生以降の話です。
それ以前のことはほぼ覚えていないので。

母がいつだったかクッキーを焼いてくれた気がします。
当時はガスオーブンだった……と思う……うろ覚えです。

その後、私だけ愉快でダサい服を着せられたりとか。
妹は可愛い服なんですけどね。
私が幽霊みたいな長い髪で、変な服を着て、ニコニコ笑ってる写真も残ってたと思います。

それでも何故か私は母を好きだと思っていました。
……激烈に鈍かったのですよ、私。
嫌われているとか、差別されているとか、そういうことは微塵も思っていなかったのです。

入学式や卒業式、参観日の時、母はもの凄く気合いの入った化粧をして、良い服を着て、学校に来ました。
当時の私は無邪気に喜んでいましたが、その他のことは覚えていません。
多分、母は私を見てはいなかったんだと思います。私の同級生や周囲の人たちに、美人だともてはやされるのが心地良かったのかも知れません。

母は勉強の出来ない私を叱ろうとしたようです。叱るというか、呆れ?
でも強く言えないらしく。
母が言う前に私が言っちゃうんですよ。

授業が面白ければ覚えられるが、そうでなければ覚える気にならないとか。
性格が破綻している教師に教えられても納得出来ないとか。
全部、言い訳ですけども。

子供のくだらない言い訳だと判ると思うのですが、母は私には反論しませんでした。
でも母が怒らない分、父が火のように怒鳴るんですよね。
ほぼ毎日。それを母は止めなかったです。

何故か父には成績が悪いことは怒られなかったですが、それ以外のどーでもいいことで怒鳴られまくりました。
殴られることもありましたね。何故か私だけ。
妹はグレてしまったのに怒られることは一度もなくて面白かったですが。

私は両親に気に入られるように……勉強はダメダメでしたが、それ以外の部分では全力で頑張りました。
というか、格好なんて生徒手帳の通りにしてれば怒られないのですから、そうすればいいだけですし。
部活は好きだったので問題なかったし。

母に誉められたことは一度もなかったですね。
何を話しても「へー」で終了なので。
それでも私は何にも気付かず、母のことは好きだと思いながら成長しました。

でもやっぱりちょっとは気になったんですよね。
妹の方が気に入られているかな、と。

健康優良児だった妹と比較され、おまえは駄目な奴だと何度も言われましたし。
家には健康優良児と書かれた賞状が、額に入れられてばばーんと貼られてました。
それを見る度に言われるので、自分は不良品なのだと思いました。健康不良児? ですかね。

まあ、それまでにもお前だけおかしいとか言われていたので、自分のことは不良品だと思い込んでいた気がします。
目が悪いのも喘息なのも身体が悪いのはあんただけで、家族や親戚の誰もそんなことはない、とか。言われましたね。懐かしい。

健康優良児の妹とは喧嘩ばかりで、日本語が通じないのか会話が成立せず、それなのに意味もなく馬鹿にする言葉ばかり吐くので張り倒したことがあります。
妹がギャン泣きして、めちゃくちゃ怒られましたね。父親に。母はそういう時は必ず黙っているのです。
……よく考えたら変な話ですけど。

私が高校生くらいになって母の失言が増えました。
というか、私が気付くようになったのでしょう。
それまでは多分、鈍くて判っていなかったのだと思います。

あんたのせいで、というセリフが増えたのもこの頃でした。
妹の失敗は全て私のせいだと言われました。
妹も中学校で私と比較されて嫌だと文句を言い、母がそれに加勢しました。

それでも別に母のことは嫌いではなかったのですよ。
ただ、驚いただけで。
そして妹が贔屓されていると理解しただけで。

嫌いじゃなかったのですが、扱いに差があると判りました。
それが父親の怒りの度合いにもよく表れていました。
ていうか、そういえば妹が怒鳴られているの、見たことないw ですね。
今、気付きました。

いつだったか、母に「私より妹の方が好きでしょ」と言ったことがあります。
母は一瞬、硬直した後「そんなことない」と言いましたが、嘘を吐く必要もないのにどうしてだろう、と疑問に感じたのを覚えています。

一度、耳を疑ったことがありました。
母がその時不在だった父のことを「早く死ねばいいのに」と素で言ったのです。
たまたま私と妹がその場にいて、2人でドン引きしました。
さすがに「何を言っているのか」と2人で問い詰めたところ……

平然としているのです。母が。
さすがにおかしい。

そういえばいつだったか、母は自分の妹(私の叔母です)が癌で入院し、叔母の姉3人が交代で付き添ってました。
叔母は最後まで苦しんで逝ったようです。
それを看取った母が家に帰ってきて言いました。

「うちはあんな死に方はしたくないわー」

母は泣きもせず、淡々と言って私を含めた家族3人をドン引きさせました。
父が慌てて「こんな風に言って妹が死んで悲しいのを誤魔化してる」とフォローしていました。
母はその時も平然としていたのです。フォローになってないよ……。

それでも母を嫌いだとは思えませんでした。
父が母が外に出るのを嫌い、専業主婦を強いていた理由は、今なら何となく判ります。
でも当時の私は判りませんでした。むしろ父が横暴なのだと思っていました。

実は相続の件が発生するまで、私は母を好きだったのですよ。
色々あったけど、別に父も嫌いではなかったです。
おかしいとは思ったけど、そのことが大変なことだとは感じていなかったのです。

あれから色々あって、母が息をするように嘘を吐く人だと判りました。
それを知った私の価値観が一気にひっくり返ったのです。

一時期はもの凄い……何というか、反撃してえぇぇぇぇぇぇぇ! と思いましたが、触るな、とお医者様や周囲にも言われて、距離を取ったままにすることにはしました。

でも私の価値観がひっくり返った時、母は最悪の敵になりました。
倒さねばならないラスボスだと思いました。
周囲に止められなかったら何をしたか判りませんでしたね。

好き=味方、嫌い=敵と認定する私の感覚もおかしいのです。
中間がないんですよ。白か黒しかない。機械のように1と0しかないのです。
そんなはずはないんですよね。中間とかどっち寄り、みたいなことはあるはずで。

あ、母の話でしたね。

私も病気認定されていますが、母も変だと思うのです。
母は戦後すぐの産まれです。
戦後の混乱の最中、全ての親が子供をマトモに育てられたでしょうか。

母は明らかに何かが欠如している気がします。

今のように……今でも貧富の差はありますが、それでも食べるモノに困る人が少ないほどの豊かさはなく、子供が自分で食べ物を探さなければならず、しかも兄弟姉妹が多かった頃の話です。
全ての親が子供を完璧に育てられたとは到底思えない。
ということは、今よりずっと子供が育つ環境は悪かったとも言えるのではないでしょうか。

そう考えると何だかなあ、という気がして、母を責める気にならなくなりました。
嫌いですけど。
病院行け、とは思いますけど。

そうそう。
母はいつも半笑いの顔をしていました。
何かあっても泣くこともなければ怒ることもなく、大笑いすることもない。
笑っているのか呆れているのか判らない感じの表情です。

その表情が子供の頃に顔に貼り付いて、剥がれなくなっていたのかも知れません。


オチがホラーっぽくなってしまった!!!(汗)
何だかすみません……。


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