見出し画像

禅宗と室町文化①

お久しぶりです。新年度の授業には慣れてきたでしょうか。

今回のテーマは、茶道に大きな影響を与えた禅宗についての話です。その前提として、中世の仏教がどのようなものであったのかというところから確認していきましょう。

中世の仏教といえば、高校の日本史では「鎌倉新仏教」(以下、「新仏教」)が有名かと思われます。「新仏教」は庶民を救済対象としたと評価され、また修行方法として易行(「いぎょう」。簡単な修行)・選択(「せんちゃく」。修行方法を1つ選ぶ)・専修(「せんじゅ」。選択した修行に専念する)が注目されています。

しかし、このような評価は実態に即しているとはいえません。まず、庶民を救済対象としたのは「旧仏教」も同じです。律令体制の崩壊により国家の保護を受けられなくなった「旧仏教」は、荘園領主化していきました。高校ではこれを「旧仏教の世俗化」と捉えますが、一方で「旧仏教」が末法思想を喧伝することで、荘園農民に布教していったのもまた事実なのです。つまり、庶民を救済対象としたことは「新仏教」の特徴とはいえないのです。

次に、易行・選択・専修という修行方法について見ていきます。

1つ目の易行ですが、これも「旧仏教」が「新仏教」に先駆けて行っています。具体的には、農民なら誰しもが行う年貢の納入を修行の一環と捉え、その報酬として極楽往生を約束しました。もちろん、従来の経典研究(顕教)や山岳信仰・修験道と結びついた修行(密教)の特徴がなくなったわけではありません。これらに追加で新しく修行方法を構築したわけです。
さらに、顕教や密教は貴族ですらやることが大変です。貴族は年貢を納入することができないわけですから、彼らに対しては寺院の建立を修行の一環として極楽往生を約束しました。こちらは平等院鳳凰堂など高校の授業でも習いますね。これらも一般的には世俗化と捉えられる事例ですが、易行の1つと捉えることも可能です。

2つ目の選択ですが、やはりこれも「新仏教」に独特な特徴とはいえません。「旧仏教」の中で特に「改革派」とされる人々は、たくさんある修行のうちで戒律を選択しその復興をめざしました。また、先程触れた年貢納入・寺院建立・経典研究・山岳での修行などは全てやる必要はなく、それぞれの立場に応じてできることをやればよい、というスタンスです。これが選択ということです。
つまり「大変で一部の人しかできない旧仏教」と「誰でもできる新仏教」、「たくさん修行をしなければならない旧仏教」と「1つだけやればいい新仏教」という二項対立による解釈は無意味だということです。

3つ目の専修ですが、これは実は「旧仏教」にはない「新仏教」の特徴といえます。これまで見てきたとおり、「旧仏教」は従来の大変な修行を否定せずに、年貢納入・寺院建立・戒律復興などの易行を認めていったわけですから、多様性を重視した宗派といえます。一方で「新仏教」はどうでしょうか。
例えば日蓮は「南無妙法蓮華経」の唱題を選択しましたが、その教えの1つである四箇格言(念仏無限・禅天魔・真言亡国・律国賊)からは、他の修行方法を否定する思想がうかがえます。これこそが専修なわけです。この特徴は、念仏を選択した浄土宗・浄土真宗・時宗などに見出すことができます。

このように、一般的に「新仏教」の特徴とされているものの多くは、実は「旧仏教」も実践しており、その点で「新仏教」と「旧仏教」を区別することは不可能だということが明らかになりました。ただ唯一、他宗を否定しているかどうか、という点で相違点があることがわかりました。しかし、この特徴に注目した際、本当に現在の「旧仏教」と「新仏教」という線引きが妥当といえるでしょうか。次回はこの点について詳しく見ていこうと思います。

参考文献
篠山晴生・佐藤信・五味文彦・高埜利彦編『詳説日本史』山川出版社、2015
谷口雄太『分裂と統合で読む日本中世史』山川出版、2021
黒田俊雄「中世における顕密体制の展開」(『日本中世の国家と宗教』岩波書店、1975)
平雅行「中世史像の変化と鎌倉仏教(1)」(『じっきょう地歴・公民科資料No.65』実教出版、2007)
平雅行「中世史像の変化と鎌倉仏教(2)」(『じっきょう地歴・公民科資料No.66』実教出版、2008)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?