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禅宗と室町文化②

皆さんこんにちは。東洋大学茶道研究会です。

さて、前回は「旧仏教」と「新仏教」の違いは他宗を否定しているかどうかという点にあるという指摘をしました。今回は、その基準に従い、中世の仏教を再評価していこうと思います。

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まず、一般的に「新仏教」とされているものの、前回指摘した特徴には該当しない宗派が1つだけ存在します。それは栄西の臨済宗です。臨済宗の教義では戒律を重視しており、この点は「旧仏教改革派」に近い側面です。また臨済宗の特徴として、「旧仏教」と妥協的だということはよく指摘されることです。つまり自身の教義ではない年貢納入や寺院建立を修行と認めている訳ですから、臨済宗は「新仏教」の特徴である専修を教義としていないことがわかります。

次に、「旧仏教」と「新仏教」という名称は、実態を表す言葉として適切とはいえません。なぜなら、これらの基準は「昔からあるか否か」ではなく「他宗を否定するか否か」だからです。前回、「旧仏教」でも庶民を救済対象にしていくなどの新しい側面を見出すことができました。一方で、「新仏教」にも古い側面を見出すことができます。「新仏教」の開祖のうち、一遍以外は比叡山延暦寺で学んだ経歴を持ち、そこでの修行の中でそれぞれが大事だと思うものを1つ選んでいるのです。つまり、念仏も唱題も座禅も、古代から行われていた修行の1つでした。

これは開祖やその弟子たち自身の意識においても同じです。日蓮が一貫して主張していたのは「天台宗の復興」でした。「天台宗とは別に唱題に専念する日蓮宗を作った」のではなく「唱題に専念するのが本来の天台宗だ」という論理です。また、浄土真宗の本山とされる大谷本願寺ですが、鎌倉時代には延暦寺の末寺であり、これが独立して別の宗派の本山になるのは戦国時代に蓮如が登場してからです。親鸞たちも自身を天台宗に属していると解釈していたのです。

では、中世の仏教にはどのような名称をつければよいでしょうか。
現在の研究では、顕密仏教・禅律仏教・異端派という3区分で捉えるのが通説となっています。

顕密仏教とは、従来の「旧仏教」です。史料用語としての「顕教」(南都六宗。経典研究が中心)と「密教」(平安二宗。山奥での修行が中心)を総称した言い方で、一文字ずつ取ってきたんですね。彼らは鎮護国家・五穀豊穣の祈念を担当しました。これが権門体制でいうところの「護持」担当にあたるわけです。したがって、貴族や民衆は基本的に顕密仏教を信頼していました(貴族にとっては「鎮護国家」が不可欠、民衆にとっては「五穀豊穣」が不可欠)。
さらに末法思想を喧伝して、貴族や民衆たちに、それぞれその人にできる修行方法を提示していきました。それが前回から指摘する寺院建立や年貢納入といった易行だったのです。

禅律仏教は、従来の「旧仏教改革派」と臨済宗です。彼らは顕密仏教が戒律を軽視していることを問題視し、その結果戦乱が起きていると主張しました。そこで戒律を復興し、その遵守を求めたのです。しかし彼らは、決して顕密仏教を否定したりはしませんでした。顕密仏教は顕密仏教として認めた上で、その足りない部分を補うというスタンスを取ったのです。したがって、朝廷や幕府に受け入れられていきました。さらに慈善事業を推進することで民衆にも受け入れられていきました。

異端派は、従来の「新仏教」から臨済宗を除いた5つです。彼らは顕密仏教や禅律仏教の教義を否定しました。その上で、念仏や唱題といった修行に専念することを唱えたのです。さらに、他宗の否定は他宗を保護している存在の否定に繋がります。先程見たように、朝廷や幕府は顕密仏教や禅律仏教と親和的でしたので、必然的に異端派は朝廷・幕府と対立する存在になります。その結果、承元の法難・松葉ヶ谷法難といった弾圧を受けることになるのです。

さらに、民衆にとっては顕密仏教で極楽往生は叶うし、実際の生活については異端派より禅律仏教の方が力になってくれているわけです。当然異端派は中々広まりませんでした。異端派が日本社会に影響を及ぼすようになるのは戦国時代になってから、というのが現在の研究動向です。そしてこの顕密仏教を中心とした中世の仏教の体制を、学術用語では「顕密体制」と呼んでいます。

これらの中で、茶道に大きな影響を与えたのは臨済宗となるわけですが、どのような経緯をたどって茶道と結びつくのか、次回はそれを確認していきます。

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参考文献
高橋典幸・五味文彦編『中世史講義』筑摩書房〈ちくま新書〉、2019
谷口雄太『分裂と統合で読む日本中世史』山川出版、2021
黒田俊雄「中世における顕密体制の展開」(『日本中世の国家と宗教』岩波書店、1975)
平雅行「中世史像の変化と鎌倉仏教(1)」(『じっきょう地歴・公民科資料No.65』実教出版、2007)
平雅行「中世史像の変化と鎌倉仏教(2)」(『じっきょう地歴・公民科資料No.66』実教出版、2008)

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