おかあさん(母親)の写真と動画はちゃんと撮って残しておいたほうがいいかもしれない話

つまり僕はそれをほとんどしなかったということ、結果的には残せなかったのかもしれない。

四年前、僕が自室でおかあさんから病気の話を聞いた時、今でも覚えている。
僕は泣いて、おかあさんを抱きしめながら、何故かごめんねと何度も泣いた、僕はなにもしてあげられないから。
そして実家に帰ることを決めた、それまであまり撮ることの無かった人物の写真や動画は、自撮り以外ますます撮らなくなった、それは自分の中に、ある決意がうまれたからであった。

僕は生きてきた中で、母だけが唯一僕に無償の愛を濯いでくれていた自覚があった。
そんな僕にとって、母の居ない明日を想像すると恐怖でしかないし、居なくなってしまった今だって怖い、今は悲しみのほうがまさっているかもしれない。
僕はいつだって母に、自分は大丈夫だから、安心してと笑った、笑うようになった、最後の方はより上手になった気が自分ではしている。
しかしそのために代償をひとつ払った、それは母との思い出を心の中にだけ残すと言う僕の思想だった。
母が僕の写真を取るのは良い、動画もそう、もともと僕は写真を取られるのが好きでは無かったけれど、喜んで母の撮る写真には写るようになったと思う、一つでもやりたいことをさせてあげたかったから、でも僕は撮らなかった、でもね、ホスピスさんに入る移動の直前に、一つだけ撮ったよ、二人の動画、動画の中のおかあさんは、また帰ってくるからねって言ってた、その動画、たぶん撮って良かったよ、だから記事を書いている。

僕のおかあさんはとても美人で、最後まで美人だったけれど、病気になるまえのもっと健康的な姿しか僕はほとんど写真に残していない、動画をもっと取ればよかった、話をしたことを振り返る動画が、僕にはあったほうがよかった。

僕は父と不仲だ、今も昔も怖いし苦手だ、写真は父とのトラブルの最中、人生で初めて壊してしまって連絡用の携帯、この中には、母親との辛さと幸せの合わさった会話が録音として残っていた、簡単にはもう聴けなくなってしまった。
不幸中の幸いというか、画面はみえないので探すのは困難だが、スピーカーに繋ぐと辛うじて録音は聴ける、でも危ない使用法ではあるだろうし、いつまでそれができるかもわからない。

僕は人の声が好きだ、声を聞けばいろいろと思い出せる。
僕がこれからの人生で、母に頼らずに生きるには、写真や動画などで振り返らず、前に自分から進む必要があると思っていた、想い出は過去であるべきだと思っていたから、今は半信半疑、いや、動画と写真を撮るべきだったと思っている、それは何故か。

これは結果論でしかないけれど、僕は母と過ごす四年間で、人としてとても変わった、そして独りになって気づいた、僕は仮におかあさんと写真や動画を撮っていたとしても、悲しみやさびしさ、恐怖、たのしかったことに対する姿勢にあまり変化はなかったのだろうと、思ったから。
写真や動画があっても、僕はたぶん僕だったから。

母とすこしの間、一緒にゲームをした。
僕はゲームが大好きだ。
母はよく僕のゲームを褒めてくれた。
おかあさんとの最後の半年ぐらい、それを、ゲームを遊ぶことをほとんど初めて一緒に共有した。
僕のおかあさんだけあって、おかあさんは僕が教えると、僕よりも早くゲームが上手になった、僕より上手になったよ、対戦だって僕が教えただけで自分でランク20になったんだよ、不自由な手で、一緒に遊んでくれたんだ。
写真は最後にくれたもの。

ゲームをしていると、おかあさんと一緒に遊んだ日々を思い出して、ゲームをするのが辛くなる、もういないから。
辛くなる時がある、でも遊んでくれた思い出だから、ありがとうね、本当にありがとう。

ここまでは今年の2月の僕が書いた文章、ここからは7月の今の僕。

お母さんとの写真も動画もたくさんとって残すべきだった。
病気と聞いたあの日から、撮れるだけの写真と動画、音声も、なんでも残すべきだった、互いの笑顔を、一緒にたくさん記録として残すべきだった。
過去の思い出なんかにしなくても前には進めるし、おかあさんは僕にしかみせなかった声、話し方、話題、表情、笑顔がたくさんあったんだ。
あのときの僕はよわくて、間違えて、思い出を記録しなかった。
今も弱い僕はそれを間違いだったと思うし、後悔もできてる。
だからみんなは、おかあさんとの動画も写真も撮ったほうがいいよ。
僕はそう思う。
おかあさん、ありがとう。