テレビ屋気取り #69「総合演出」
やらなければならないことが多すぎて、しかもどれも自分が先頭に立ってしまっているから、周囲を動かすという意味でも指示を与えたり、終わったタスクに対してのフィードバックとか次の指示を与えるとか、もう頭がパンクしそうです。
ここで書いた通り、できれば自分はそういう役回りを避けたいと思っているんですがね…
ということもあって、今回もかなり適当になってしまいますがお許しください。
と言いつつも、今回のテーマが1番書きたかったことかもしれません。
それはずばり「総合演出」です。
前にもこの「テレビ屋気取り」で書いたことがあるかもしれませんが、私は「総合演出」になりたくてこの業界を志望しています。それは「めちゃイケ」の“総監督”だった片岡飛鳥さんに憧れたからです。
今回はその「総合演出」について、まだ業界に足を突っ込んでいない自分の勝手なイメージとともに書いていけたらと考えています。
総合演出とは
そもそも「総合演出」ってなんだよ、という方のために。
というか、改めて自分でもしっかりと事実を抑えるために。
(間違っていたら指摘をお願いします…)
番組の演出面での最高責任者というのが正しいでしょうか。
「総合演出」はチーフディレクター(CD)と言われることもあります。
ただし、東京のゴールデンの番組だと「チーフディレクター」と「総合演出」で別の人が立てられていたりもするので、その具体的な役割の違いについては、足を突っ込んでいない自分にはよくわかりません。
就活中に「ディレクター」と「プロデューサー」の違いについて質問をする学生がいたり、企業側からインターンのプログラムの一環として説明をする場面もよくあったりしました。
私から言わせれば、「そんな違いもわかんねえ奴がこの業界目指すなよ」という話です。
少し言い過ぎましたが、「PとDの境目なんて難しすぎて誰にもわかんねえよ」という風に少しだけ補足させてください。
「演出」というのはディレクターとしての役割にオプションで追加されたものとイメージすることができますが、よくネットでインタビューされているような「総合演出」の方たちは、「P・演出」という肩書の方がほとんどです。局員の方は。
プロデューサーにも乗っかってくるわけですね、「総合演出」というオプションは。
これは私の勝手な想像に過ぎませんが、局員の場合は年功序列的なイメージで、ある程度のキャリアになると「プロデューサー」という肩書がついて、「演出」業務を担当している人はプラスしてそれも乗っかってくるような気がします。局や番組ごとでも方針は違うと思うので一概には言えないと思いますが…
それで、最初にも少し書いたように「総合演出」になるのが自分の目標であるということをここで書いていきたいと思います。
自分には素質があるのか
就活しながらも思っていたことですが、「そもそも自分に“総合演出”になる素質があるのか?」という話です。
面白いことを考える爆発的なセンスを持ち合わせていないことは自覚していますが、正直それだけでは務まらないこともわかっています。
それならば、そのセンス以外の面で自分が「総合演出」に向いているところはなんだろうというのは、これまでずっと考えてきたことです。
大変恥ずかしいですが、自分自身で見つけた答えとして、「ピュアなこと」がそれに当てはまるのかなと思いました。
散々いつもnoteで毒を吐いては自分の腹黒さに呆れてしまうような奴が、自分でも何言ってるかわからないですが、それはそれとして、自分の1番内側にある「純粋さ」が“総合演出”に向いている要素の一つではないかと感じています。
先にも少し書いたように、総合演出にはいろいろな責任が伴ってくるため、主に視聴率を気にしすぎるあまり骨組みがバラバラになっていくこともよくあることだと思います。自分がやりたいことと世間から受け入れられることがぐちゃぐちゃに混ざった結果、自分がやりたかったこととはかけ離れたものであっても、それが自分がやりたかったことのように錯覚してしまうということもあるかもしれません。もちろんこれはど素人の意見です。
以前、佐久間さんが何かのインタビューで「視聴率のために意識していることはあるか?」みたいな質問に対して、「それよりは自分が見たいものをやることを意識している」というような発言をされていました。
佐久間さんくらいの人だから、こういう感覚にたどり着いたと思うし、こういう感覚を持ち合わせていてもヒットするものを作っていくことができるのだということは肝に銘じますが、でもこれを知ったとき、「確かにそうだよなー」と思いました。
実は趣味でYouTubeチャンネルをやっていたりもしますが、そのチャンネルにアップする動画も、「これはタイミング的にも再生回数伸びそうだな〜」と思った動画が全然はねず、逆にただただ自分が好きで作ってみた再現料理動画の方が1000回近く再生されたりして、自分が見たいものをその素直な思いとともに表現した方が見る相手にも響くというのを身をもって経験しました。本当に次元が低いお話ではありますが。
どれだけ周りから評価されなくても自分の感性を信じて進む。
数年後にこの感覚を覚えていられるように、自分の純粋さとほんの少しの頑固さを貫いていこうと思います。
何を目標として演出になるのか
これ以前のところまで書き進めてしばらくの間下書きに保存していたので、正直この後に何を書きたかったのかが全く思い出せません。
この数週間の間に、ここでも何回か書いていたサークルの卒業制作が終わりました。生配信パートの演出も含めて8割強の部分を自分の思い通りに動かし、技術面も全て自分が指揮。
結果は、盛大な放送事故をやらかしました。
事前に薄々気づいていながらもPCが重くなり、映像はカクカクでとても見えたものではない。
1時間以上の中断時間があって、なんとか予定していたプログラムを終えることができました。あんなに長時間の中断が許されるのは、雨天の高校野球中継だけだと思います。一緒に頑張ってきた同期や見てくれた人たちに申し訳ない気持ちとともに、所詮アマチュアの素人ができることにはやっぱり限界があるのかと落胆しました。
そんな散々な結末を迎えて、そしてなんとかそれを終えて数日が経った今、自分はなんのためにあんなにも夢中になって卒業制作に取り組んでいたのか、その目標というか目的がなんだったのかがわからなくなりました。
結論から言うとそんなものはありません。
でもよく考えると、明確な目的、というか原動力がなければ、あんななんの利益にもならないことに、残された大事な学生生活の時間を割く事はなかったと思います。仕事じゃないから給料も発生しません。ただ楽しい時間を仲間と過ごすだけの世の一般的な大学のサークルとも少し意味合いが違います。
実際、同期の間でも明らかな温度差がありました。自分で言うのもバカバカしいですが、間違いなく1番の熱量を持っていたのは私です。そして、その真逆にあった数名はろくに台本すら読み込んでこず、こっちが一生懸命スタートに間に合わせようと配信システムの整備をしている時になってようやくチンタラと台本を読み合わせていました。案の定、本番での噛み具合には絶望しました。噛んだことが許せないのではなくて、読み込んでもない台本を一言一句そのまま読もうとしていて、「せめて自分の言葉で喋れるように準備してこいや!」とキレそうになりました。どこまでも器が小さい男です。
話を戻します。
今冷静になってその「原動力」がなんだったのかを考えると、「見栄」だったのではないかと思います。もちろんサークル活動の集大成なので、「同期と思い出作りがしたい!」という思いもありましたが、そんなことのはるか何倍も強く自分の心の中にあったのが「見栄」でした。
サークルに入った年に見た先輩方の卒業制作、そのすごさに圧倒されながらも、「3年後には絶対にこれを超えられる、というか超えなければならない。」とどこか自分の中に自信があったのは事実で、その翌年の先輩方の卒業制作は、世の中の急な変化に伴い急遽オンラインでのライブ配信に切り替えなけらばならないという状況になって、その分野に興味があって多少の知識があった自分は、偉そうに先輩方に助言をして、コーディネーターとして自分が貢献したとでも勘違いし、意気揚々となっていました。
いざ自分が卒業する年になって、その先輩方に「すごいね」と言わせたい。
この状況下であまり関わりがなかった後輩たちにも、「やっぱりあの先輩たちはすごいことをやっていたんだ」と思わせたい。
とにかくその一心で夢中になっていたのに、結果は先にも書いたような散々なものに。当然、息巻いていたほどの成果は残せず、先輩からも後輩からも「すごいね」の一言はもらえていません。
悔しさもなければ自業自得でしかないこの状況に、自分でも呆れ返っています。
ということは、今回のこの一連の経験を踏まえると、自己満足を達成するために何かに取り組むというのは、結局うまくいかないということです。
それでは、世のクリエイター、演出家たちは、何を目的として日々制作に励んでいるのでしょうか。当然人によって違うだろうし、答えなんてないのはわかっていますが、それぞれが正直に思うことを1人ずつに聞いて回りたいです。
「なんのためにそこ(総合演出)を目指すのか」
以前にもここで書いたと思いますが、やはりこれは私にとっての永遠の課題です。入社していろいろな仕事を経験すれば、そこに対する明確な答えが自分の中に出来上がっていくのかもしれないし、逆にこの世界に絶望して、そんなのはどうでもよくなるかもしれません。
何はともあれ、今のうちはこんなことで悩まなくてもいいという結論に至りました。
ミーハー心を忘れず、目の前に現れること全てに感激しながら、ゆっくりと自分が本当にやりたいことを見つけていくことにします。
なりたくてなるものではない
今回改めて文章にする前から薄々気づいていたことではありますが、総合演出はなりたくてなるものではないと思います。
「こういう番組がやりたい」
「あの人と番組がやりたい」
自分がやりたいことを並べてそれをクリアした結果、その先に自然と待っていること(ポジション)ではないかと思います。(めちゃくちゃかっこよく言うと)
もしかしたら人によっては、「年功序列のひとつに過ぎない」と言う人もいるかもしれません。テレビマンの大半が会社員である以上、会社(番組)という組織の中の役職(ポジション)と捉えることもできるため。
そう考えると、実力主義の中そのポジションを掴み取りにいく必要性と、組織の中で与えられるポジションであるという必然性が、なんか矛盾するように両方絡んできているような気もして、深く深く考えるのがバカバカしくもなってきました。
自分の中で新しい見方ができるようになったところで、今回は終わりにしようと思います。
仕事が始まってからの今後も、自分の周りの人にバレない程度に好きなことを書いていくつもりです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?