テレビ屋気取り #59 限られた時間の中で
前回、全く卒業論文が進んでいなくて焦っているのに、このテレビ屋気取りだけは謎の使命感のもとに、まとまりがないながらも毎週更新してしまうという話をしました。
同じ研究室のメンバーの進捗状況を知って、いよいよ本当にやらなければならないと思ったのですが、なぜ自分は作業が進められないのかと反省してみたところ、その答えは簡単でテレビを見ているからだという結論に至りました。
マルチディスプレイを整備している私のデスクは、ながら見をするのに最適な環境となっております。
PCを2画面で接続してTVerなどの各動画配信サービスを流しておくことができたり、入力を切り替えれば全録レコーダーの録画番組を見ることができる、我ながら最高の設備だと思います。
そんな自慢はさておき、今回は「テレビを見る時間」について考えたいと思います。
わからなくもない同世代の意見
先日、テレビ朝日の芦田太郎さんのあるツイートが目にとまり、しばらくの間いろいろと考えてしまいました。
テレビ局を受けようとしていて、芦田さんに相談するような学生でも「生活していて1時間テレビを見続ける時間を捻出するのが難しい」と考えるのか…
というのが正直な最初の感想です。
ただ、言われてみれば自分にも思い当たる節はあって、最初にも触れたように基本的には何か作業をしながらテレビをはじめとしたコンテンツを見ることがほとんどなので、”番組(コンテンツ)のために”1時間を捻出することは確かに難しいなと思いました。
大学4年になり授業もほとんど出席しなくて良くなった今、遠方の大学に秋に1回のペースで片道2時間ほどかけて通っている私ですが、2時間ずっと落ち着いて移動できるわけではなく、自分で車を運転したり電車を乗り換えたりしなければならないので、実質じっとしていられる時間は30分もない気がします。
その移動時間を使ってTVerをチェックしたりしていますが、電車で立ちながら見たり、乗り換えの間は一時停止するのもめんどくさいから音声だけ聴きながら歩いたりと、正直ちゃんと内容が入ってきてるとは思えません。
単純に「他人事ではないな」と感じるとともに、これは自分に限らず多くの今の日本人に当てはまることではないかと思い始めました。
いくら便利になっても時間は変わらない
TVerという素晴らしいプラットフォームができて、徐々に視聴者に定着していき、今や視聴率よりもTVerの再生数の方がよっぽど信憑性があるのではないかとも言えるようになりましたが、どれだけ便利にテレビを楽しみやすくなっても、24時間365日という時間だけは皆平等に変わらないというのが、悲しいことに現実です。
限られた時間の中で、どうやって自分たちの番組に時間を割いてもらうか?
という発想が作る側にとっては必要不可欠になってきます。
もしかしたら、すでに(というか昔からずっと?)考えられていることかもしれませんが…
未来に映画はない
※ここからは、映画「サマーフィルムにのって」のネタバレを含みます。
この夏に私がどハマりした映画「サマーフィルムにのって」では、未来からやってきた少年によってある事実が告げられます。
未来に映画はない
時代劇映画が好きで自分も映画を作ってみたいと思い、製作に取り組んでいる主人公ハダシにとっては衝撃的な事実であり、映画のストーリーとして重要な分岐点となっています。
未来にいる少年のあるひとことが私自身も忘れられません。
未来には他人の物語に時間を割いている余裕はないんだ
おそらく今のこの時代をすでに風刺しているひとことというか設定のような気もしますが、この映画の設定では1分を超える動画なんて未来ではあり得ないとのことです。
決してフィクションではない未来が待っている
この「サマーフィルムにのって」の中の未来が、もしかしたら現実になってしまうのではないかとも思っています。
私がいまだに手を出せないのが「TikTok」です。
別に毛嫌いしているわけではないですが、そこに魅力を感じないというか、わざわざアプリを入れてアカウントを作るほどでもないなというのが正直な感想です。
たまに妹のスマホを覗き込みながら勉強してみようと試みているのですが、数秒しかない動画があんなに高速で流れていくのの、何がそんなに面白いのか、正直よくわかりません。
でもこれがリアルです。
少なくとも私と同世代、それよりも下の世代にとっては当たり前のことで、今後それが加速していくのではないかと思います。
細切れで本当にいいのか?
今人気のバラエティは果たしてこの未来に立ち向かっていけるのか?
これを考えていこうと思ったのですが、見るものにだいぶ偏りのある私には、今世間でどんなバラエティが受け入れられているのかを判断する自信がありません。
もしかしたらそれは違うだろという番組が含まれているかもしれませんが優しい目で見てください。
「有吉の壁」(日本テレビ系/水曜19時)
まずはゴールデンの人気番組「有吉の壁」について考えたいと思います。
深夜の特番時代から見ていた番組なので、ゴールデンに進出するのはいかがなものかと思う時代もありましたが、一般人の壁選手権で出てくる芸人のキャラクターや、おもしろキャラ芸人の壁選手権で出てくるオリジナルのキャラたちが人気を集めているのが、毎週番組をチェックできていなくても人気ぶりが感じられました。(あれだけ流行った「kougu維新」も名前くらいしか知りませんが…)
「有吉の壁」もワンコーナーだけで1時間の放送が展開されていくのではなく、大体2つくらいのコーナーで展開されていくからこそ、長さの面で見ていられるのかもしれません。
もっというと、一般人の壁は各芸人の登場パートごとに区切ってみられるので、各SNS等でも切り抜きで上げられたものから人気が集まっているというのも事実ではないでしょうか。
もっとたくさんの人ゴールデンのバラエティを分析していきたいのですが、個人的に何が人気あるのかの想像がつかないので、少し論点を変えていきます。
「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」(中京テレビ/日本テレビ系)
同じく日本テレビ系のゴールデンバラエティから、中京テレビ制作の「オモウマい店」について触れていきます。
この記事を書いたのは春先でかなり前にはなるのですが、いまだにこんな私の駄文であっても閲覧数が伸びているという、大変おこがましいですがおそらくこれもこの番組が注目を集めている証拠なのかもしれません。
その割に、いいねが1つしかついてないのはどういうことなんでしょうね。皆さん恥ずかしがらずにいいねしてくれてもいいんですよ!(冗談です)
話を戻します。
この番組はどちらかというと細切れではないと思っています。
(ドキュメンタリー要素が強い番組のため)
ただ、一回のオンエアの中でいくつかのお店を取り上げて、それを部分的に組み込んでいく構成という点では細切れなのかもしれません。
この番組が細切れではないとするならば、この番組の人気ぶりによって時間的な制約で番組の面白さが決まるということの証明ができなくなっていると思います。
だったらまだまだテレビがTikTokに対して勝ち目があるわけです。
表現の幅と感じ取れることの量
細切れの何がいけないのか?
いけないというわけではありませんが、作り手の視点としては表現の幅が狭くなるのは事実だと思います。
「サマーフィルムにのって」の未来が本当にやって来たとしたら、動画は長くても1分以内になるということで、テレビ的なことを言ったらアバンとか煽りのVTRも短くなってしまうというわけです。
まず動画からストーリー性は消えると思います。
「起承転結」なんて言葉は概念ごと消し去られるのでしょうか。
その結果、見ている側としても、感じ取ることは少なくなってしまうというか、動画を見ても何も思わなくなるのではないでしょうか。
派手さだけをみて面白いと思う。
世の中は一発ギャグであふれかえるのかもしれません。
かなり強引にポジティブに捉えるとすると、受け取る側の感じ方の幅が広がるということくらいでしょうか。
時間は限られているが…
24時間365日、確かに時間は限られています。
その中の1時間をテレビ番組を見るのに費やすのをもったいないと思うか、その先の自分の人生の肥やしにすると思ってどうにか時間を捻出するか。
もちろん自分は後者でありたいし、どれだけ社会が変化してもそう考える人が居続けてほしいです。
たいした影響力のない青年の願いでした。
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2021.10.31 作成
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