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テレビ屋気取り #37「たりないふたり」


「たりないふたりのチケット買った?」

先日、知人に急に声をかけられて少し身構えてしまった。

その知人というのは、仕事関係の知り合いで、立場も年齢も相手の方が上だというのに、いつもなぜか敬語で話しかけられていた。
それがなぜなのかずっと気になっていたから、急にタメ口で話しかけられて、余計に驚いてしまったのかもしれない。

昔の自分だったら、こういう場面でギアが入ってしまったら、うまく返答することが出来ずぎこちない感じで会話が終わってしまっていた。
しかし、この時はうまくクラッチを切って、こちら側から次の話題に転換することが出来た。我ながら成長したと思う。

ただ、自分の成長を勝手に実感したことも含めて、この一連の出来事を後から振り返って、「自分は“たりない”な〜」と感じてしまう。



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紹介する番組:「たりないふたり」シリーズ


2009年からはじまる、南海キャンディーズ・山里亮太とオードリー・若林正恭による漫才ユニット「たりないふたり」。

地上波での放送に加えて、イベントで漫才を披露するなど、シリーズの歴史は長く、コアなファンも多いコンテンツだと思います。



生きづらさを包み込んでくれる


「たりないふたり」というのは、華々しい芸能界で圧倒的に”たりていない”二人のことを指しています。

第一シリーズでは、番組本編で無言で二人がツイッター上でやりとりをする場面があります。

いかにも社会で圧倒的にたりていない人を象徴するかのような場面ですが、今の時代SNSに浸っている”たりない”人たちは多いのではないでしょうか。
もちろん自分もその1人です…

「たりないふたり」の醍醐味は、妬み嫉みにあふれるふたりの言動を笑うことですが、どこか他人事ではなく自分と重なる部分があって、それがすごく刺さることではないでしょうか。

人それぞれに「たりなさ」があって、2人を通してそれを自覚したり、自覚した上で前に進む活力をもらったりできます。
特に、「さよならたりないふたり」のイベント終了後は、自分も何か環境とか時代のせいにしないで、やりたいことを思い切ってやってみたいと思いました。同名でネットラジオをやろうと思いましたが、さすがに全く同じではよくないと思ったので、タイトルは変えつつも二人の関係性には似せて、後輩とラジオを始めたのを覚えています。



「たりない」のその先へ


「たりないふたり」のファンではない人も、今の山里さんと若林さんの活躍を見れば、「十分たりているだろ!」と思うはずです。

本人たちも自分では言わないものの、ユニットを結成した当初から比べれば置かれている状況や手に入れたものは格段に変化し、十分にたりているでしょう。

前回の「さよならたりない」でも、あの電撃結婚を果たした山里さんに対して、若林さんは今までの「たりない」とは違うものを背負っていて、さらにそれは自分だけではなくて周りへの責任も合わさっていると言いました。

人間は常に新しい環境の新人です。

前回の漫才の最後に若林さんが放った名言です。
自分にはこれがすごく刺さりました。

山里さんと当時の若林さんの比較で言えば、結婚しているからたりているとか、結婚していないからたりていないとかそういうことではない。人は誰でも自分の中で何かの基準に対して「たりなさ」を自覚しているわけだし、それは必然的なことである。
そして、それは特に新しい環境にステージが変化していくと顕著だということです。

明日、二人は「たりないふたり」を解散します。

ライブや漫才がどのような内容で終わりを迎えるかはわかりませんが、きっと「自分たちはまだまだ”たりないふたり”だ」と言って、先へ進んでいくことでしょう。

このお二人のことだから、何年後かに復活することは余程のことがない限りあり得ないと思います。

どんな終わりも受け入れる覚悟はできていますが、勝手ながら何か今の自分を後押ししてくれるような気づきがあればいいなと願っています。


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2021.05.30 作成

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