21世紀のさだまさし

先日、さだまさしさんのニューアルバム「さだ丼〜新自分風土記Ⅲ〜」が発売になりました。

こちらはセルフカバーアルバムということで、昔の名曲の数々を今の声で再録した作品群になります。

実際、よく知られた代表曲の数々が収録され、演奏のクオリティも高いので、贔屓目に見ずともよくできた作品だと思います。知り合いにも興味を持つ人が多く、私もCDを貸したりもしています。

ただ、当作品に含まれている作品は70年代〜80年代の作品が多く、21世紀以降に発表された作品はわずか2曲しか含まれていません(「いのちの理由」、そして「にゃんぱく宣言」)。

こういう話を聞くと、さだまさしさんは「過去の歌手」というレッテルを貼られそうで、まあ確かにセールスの事を考えたら70年代〜80年代にヒット曲が集中しているのも事実です。

ただ、その頃の事をリアルタイムで知らない若手さだまさしファンの私としては寂しいですし、自分がファンになってから発表された楽曲にも強い愛着がありますし、実際ヒットはせずとも良い曲がたくさん存在することを知っています。

ということで、この記事では、さだまさしさんが「21世紀以降に」発表した楽曲の中で、個人的にオススメな楽曲を列挙していきたいと思います。思い込みの強い、「俺の考える最強のさだまさし」的な、誰得な趣になることをご了承ください。

たいせつなひと(2003年)

ベーチェット病に侵され徐々に視力を失っていく青年の姿を描いた「解夏」。さだまさしさんが書かれた小説を基に映画化された同名の映画の主題歌として作られたのが、この「たいせつなひと」。

映画自体もヒットしましたし、「たいせつなひと」はさださんの歌唱でNHKの紅白でも披露されています。
それ以外に、カラオケの世界大会(カラオケワールドチャンピオンシップス)で日本の田中照久さんが世界一になった際に選ばれた楽曲がこの「たいせつなひと」で、このことでも当時話題になりました。(生さだにゲストで呼ばれたりもしてました)

歌としては、論語における「中庸」的な価値観、世界観を感じさせる歌です。

愛ばかりを集めたら 憎しみまで寄り添う
ささやかに傷ついて ささやかに満たされて
このいのちを生きたい

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
たとえば、愛する人ができ、心の底からその人を愛し、無私の気持ちで尽くそうと心から思ったとしても、なかなか人間は無私になることなど難しく、自分の期待する反応が相手から無かった時に、「愛」と思っていた心の内側に「憎しみ」の感情が生まれたりします。

そんな葛藤を超越し、それでも隣にいてほしいと心から思える「たいせつなひと」がいる、そんな人とつないだ手を離さないでいられることが、本当の幸せである。と私は理解しています。
哲学的なテーマをさださんらしく歌い上げている、そんな歌だと思います。

遥かなるクリスマス(2004年)

こちらの曲もNHK紅白で歌われた楽曲です。

発表年は2004年、9.11 のあとの理由なきイラク侵攻をアメリカを中心とした国々が行っていた、そんな時期に発表された曲です。
発表から十数年の年月を経て、さまざまに国際情勢が変化した結果、この歌に歌われるテーマや言葉の鋭さは陳腐化するどころか磨かれ、今の時代にこそ胸に突き刺さる鋭さがあるような気がします。

独裁者が倒れたというのに 民衆が傷つけ合う平和とはいったいなんだろう

ギターのアルペジオから始まる静かな楽曲ですが、伝わるメッセージとしてはさださんの怒り、諦め、それでも大事なものは守りたいという切実な祈り。最後は、抑えきれない感情を爆発させるかのように激しいシャウトを繰り返す、そんな楽曲です。

僕の友人も、紅白などでさださんの歌唱を聴いて衝撃を受けた人が多かったです。「さだまさしはロックだ」と。予定調和しか存在しない紅白の舞台にこの楽曲をぶつけてきた、その姿勢も含めて。
一部の人に強烈な印象を植え付けた、さだまさしの世間的なイメージを覆した一曲かなと思います。

舞姫(2000年)

女優(2005年)

それぞれ、「舞姫」「女優」ともに、恋愛に一途な女性の姿が描かれています。忘れられない恋人をいつまでも待ち続ける女性、様々な虚実交えた恋愛を繰り返しながらも真実の愛を探し続ける女性。
時に激しく、ときに寂しさを纏い、目まぐるしく行き来するその感情を表すかのように、「舞姫」と「女優」は変拍子、転調を重ねながら、スペインの 民族音楽を思わせるようなドラマチックで激しい楽曲になっています。

これらの曲もまた、一般的なさだまさしさんのイメージから遠くはかけ離れている楽曲で、特に女性から強く支持をされているように思います。

コンサートでは、間奏のバイオリンのパートは基本的にさださんが担当することが多く、激しいリズムの中とても多彩なテクニックを披露してくれるのも見どころの一つです。ライブではとても盛り上がりますし、さださんはやはりバイオリニストなのだなと強く再認識させられる楽曲です。

いのちの理由(2009年)

浄土宗の開祖、法然上人の没後800年を記念して作られた作品。
最近は、さまざまな世情もあってTVなどで歌われることも多く、さだまさしさんを代表する楽曲のひとつになっていると思います。

さださんはステージトークなどで「浄土宗から依頼が来たけど、俺なんかに頼んで良いの?第一ウチは浄土真宗だし」などと軽口を言って笑いを誘っていますが、歌の世界からは法然上人の教えである「専修念仏(南無阿弥陀仏を唱えれば、誰でも等しく救われる)」の考えをよく汲み取った作品になっていると、個人的には感じます。

しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ

片恋(2010年)

フォークギターのハーモニーと、後ろで流れるチェロのメロディが心地よい楽曲です。歌も、聴いていても、自分でカラオケなどで歌っても、サビの「あなたに届け」の部分が気持ちよく、ついつい口ずさんで歌ってしまう歌だと思います。

歌の世界としては、いじらしいくらい相手のことを思い続ける人が描かれています。
阿川佐和子さんがご自身のテレビ番組で、「この楽曲が好きでよく聴いている」とおっしゃっていました。

残春(2014年)

「残春」は、さださんが執筆された短編小説「サクラサク」の映画化にあたって、主題歌として作成された曲。
映画はアジア国際映画祭で最優秀監督賞、女優賞を受賞しており、さださんの「残春」も最優秀映画音楽賞を受賞しています。

「サクラサク」では、認知症の父、冷めていく家族の感情、失われていく家族の絆、そしてそれらを受け入れた上で家族が回復していくまでの物語が描かれています。
さださんの「残春」も、テーマとして描かれているのは人の「老い」。老いを受け止め、人生のたのしさもかなしさも受け止めた上で、生きていくことの喜びについて歌われた歌です。

涙に逃げず
怒りに任せず
笑顔を汚さず
悲しみに負けず
未来を憂えず
過去を惑わず
いつか 夢見た
いつか 届く場所へ

「関ジャム」で寺岡呼人が「こんな曲はさださんにしか作れない」と激賞していました。
私も「第二楽章」ツアーのオープニングでこの曲を聴き、「さだまさし今だ健在」を強く感じた一曲でもあり、いまだに深い沼から抜け出せずにいます。

風の宮(2015年)

いにしへ(2017年)

おんまつり(2018年)

伊勢神宮(風の宮)、熊野古道(いにしへ)、春日大社(おんまつり)をそれぞれ舞台にした楽曲です。

名所旧跡や古典に範をとり、独自のロックサウンドを奏でる世界観を、私は勝手に「いにしえロック」と呼んでいます。

「風の宮」では、伊勢神宮の静謐さや厳かさを表すためにか、サビの部分の歌詞に、百人一首でも有名な「西行」の詩を引用しています。
古今東西、西行の詩をサビに引用する流行歌手は世界中でもさだまさしさん一人だけでしょう。

あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき
何事も かはりのみ行く 世の中に おなじかげにて すめる月かな
なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

「いにしへ」は、歌の前奏/間奏がイングリッシュホーンのサウンドをリードに、バイオリン、チェロ、ベース、パーカッションでおりなす変拍子のジャズセッションようなサウンドで構成されており、これがとてもおしゃれで格好良く、おそらく初見の人でこの曲を「さだまさしの曲だ」と当てられる人はいないと思います。

この「いにしへ」は、普段のさださんのコンサートのバックバンドを務める「さだ工務店」のメンバーで作られており、コンサートで披露するパフォーマンスそのままのクオリティで収録されています。
客観的に見てもその演奏技術は国内トップレベルで、さだまさしファンはこんなクオリティのサウンドを日常的にコンサートで聴いているんだ、と知って嫉妬する若いファンもいるかもしれません。

「おんまつり」は、サビの「おおぉぉ」という警蹕の声の迫力と、前奏/間奏の重厚なオーケストラの演奏が圧巻です。さださんも、オーケストラとコンサートで共演する際には何度もこの曲をチョイスしており、サウンドとしても気に入っていそうです。

いずれにせよ、この独特な、おそらくさださんにしかなし得ない「いにしえロック」のサウンドを十分に堪能することができる3曲ではないかと思います。

たくさんのしあわせ(2017年)

この「たくさんのしあわせ」も印象的な曲調で、端的に言うと「盆踊り」サウンド。多くの日本人の骨身に染みている「パパンパン」というリズムに乗せた楽曲です。

実際、コンサートでも、会場の皆が立ち上がり、みんなで息を合わせて盆踊りのような踊りを踊る、というのがコンサートでの定番になっています。その風景は、年始の「生さだ」などでもおなじみでしょう。
会場となる両国国技館で、さだまさしを筆頭にゲストの岩崎宏美やももクロのメンバー、そして会場の1万人の観客がいっせいに盆踊りを踊るのが、年始の風物詩になっていました。

この曲は、一部には「ダサい」と感じているファンもいたみたいですが、それでも1万人の老若男女が皆アゲアゲで踊れるダンスサウンドなんてなかなか無いですよね。それを実現しているさださんはすごい、と個人的には思っています。

この歌は歌詞の内容も素晴らしく、「みんなとちょっとずつ幸せを分け与えていくこと」が幸せの一つの形なんだ、と思える歌になっています。歌っても踊っても、幸せな気分になれる、そんな曲です。

しあわせあげましょ 隣にまわしましょ
いつかまたここに 帰って来るでしょう

夢見る人(2015年)

「夢見る人」は、TBSのドラマ「天皇の料理番」の主題歌でした。ドラマ自体はかなりヒットしたため、僕の周りでも「さだまさしの歌がいつもドラマの一番良いところでかかってきてズルい」という反応を複数人から聞きました。ちなみに私は申し訳ないですが一度もドラマは見てません。

潮騒(2017年)

「潮騒」は、押しては引く波の情景、海の情景を歌にした作品です。
さださんは、長崎出身ということもあってか、「海」を見下ろす風景を舞台にした歌が多いです。
そして、全てのものが生まれそして帰りゆく存在として、終わった恋や、なくした人の思い出や追憶を語る際の道具として、「海」を扱うことが多いです。代表的な作品としては「夕凪」「黄昏迄」「青の季節」など。

この「潮騒」も、寄せては返す潮騒の情景に仮託した、とても静かで寂しげな歌です。「黄昏迄」などと異なるのは、海に帰り行く主体はおそらく歌い手のさだまさしさん自身であること。自分の人生の終わりを見つめつつ、その上で自らが幸せだと感じる思いや感情を、寄せては返す潮騒に託した歌だと思います。

喜びは数えない
悲しみも数えない
泣けるだけ泣けたなら
それで良いと思う

この曲は、当曲が含まれたアルバム「惠百福」の名前を冠した2017年のコンサートツアーの最後の曲として演奏されていました。セットリスト全体の流れの素晴らしさもあり、とても感動的で印象的な演奏でした。「さだまさし今だ健在」を強く感じた一曲でもあり、いまだに深い沼から抜け出せずにいます(再掲)。

残したい花について(2020年)

存在理由~Raison d'être~(2020年)

ひと粒の麦~Moment~(2020年)

さだまさしさんの最新のオリジナルアルバムから3曲ピックアップします。この「存在理由」というアルバムは、コロナ禍を事前に予測していたのではないかと思わせるくらい今の時代に寄り添ったメッセージの込められたアルバムで、サウンドのクオリティも素晴らしく、個人的にはここ数年の中で最もクオリティの高いアルバムだと思っています。

「残したい花について」は、岩崎宏美さんに提供した楽曲のセルフカバー。
「大きな歌をステージで歌って、その後にお客さんのてのひらの上にそっと乗せてあげられるような小さな歌が欲しい」という岩崎さんのリクエストに応えるために作った、とさださんはコンサートのトークなどでは話しています。そんな、一人ひとりに手渡しするような、静かで優しい歌です。

「存在理由」は、今の時代の中での自分の存在理由はなにか、という問いに対する、さださんなりの一つの答えなのではないかと思います。

わたしの存在理由は
あなたの明日の
笑顔を曇らせぬように

高い位置にカポタストをつけて演奏する綺麗な鈴の音のようなアコースティックギターと、オーケストラの弦の音、そして昔より太くなったさださんの歌のアンサンブルはとても緻密に構成されていて、美しく心地よく、このサウンドはさださんが長年かけて作り上げたかったサウンドの、ある到達点のひとつなのだな、と思います。

そして、アフガニスタンで命を落とした中村哲医師を思って作られた歌「ひと粒の麦」。さだまさしの作品を評して「君はいなくなった人を歌うことが非常に上手だ。それは挽歌と言って、日本の大事な文化なんだと激賞したのは、今は亡き国文学の大家、山本健吉さんだったそうです。
この「ひと粒の麦」も、亡くなった偉大な人を忍ぶ、美しく感動的な挽歌であると思います。

私は犬になりたい ¥490(2009年)

にゃんぱく宣言(2021年)

最後に、近年、さださんの楽曲でCMソングになったものを2曲取り上げます。奇しくも、何の因果か、「犬」と「猫」をテーマにした楽曲なんですね。
それぞれ、かなりの頻度でCMで流れた曲なので、印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

80年代までの「暗い」というパブリックイメージだったさだまさし像は、21世紀の今、CMやTV出演、特に「生さだ」の影響もあって、完全に失われていると思います。
それでも、さださんはTVタレントやお笑い芸人になったわけではなく、一流の音楽家として傾聴に値する楽曲の数々を、今でも作り続けています。その証拠に、さださんは、21世紀に入って17枚ものオリジナルアルバムを制作し世の中に出しています。今回は完全に私の好みでチョイスしましたが、他にも名作や、意外と世の中に知られている作品も数多く存在します。

いずれにせよ、今この時代に作り出されているさだまさしさんの楽曲について、その道案内のガイド役として、この記事が少しでもお役に立つのであれば幸いです。


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