さだまさしの曲に流れるクラシック

シンガーソングライターのSETAさんが作られた「しかくい涙」のサビのメロディが、スピッツの「愛のことば」にそっくりだ、ということで話題になっていました。

たしかに聴いてみると、似ているかも、と思うくらいには似ています。

スピッツの「愛のことば」も、比較的よくあるメロディラインなような気はしていて、今回の件は悪意なく偶然に似てしまったのだろうなとは思います。

さだまさしファン流の表現をすると、「北の国から」とモーツァルトの「ホルン協奏曲」と同じくらいには似ている、という風には思います。

さだまさしさんは3歳の頃からバイオリンの英才教育を受けていたというのは有名です。さだまさしさんの体の中にはきっとクラシックの音楽、バイオリン奏者(単旋律楽器奏者)のメロディが染み込んでおり、そのエッセンスが彼の作る曲のメロディラインのそこかしこから伝わってきます。
「北の国から」のメロディを作り出すDNAの一つとして、ホルン協奏曲、もしくはモーツァルトのエッセンスが含まれていたのかもしれません。
(先のSETAさんのケースも、似たようなことなのかもしれません)

意図せず、もしくは意図的に似たようなメロディになってしまうこともよくありますが、より意図的に作者が過去の作品を「引用」する、というケースもよくあります。

ポップスでは、小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」がよく知られている例だと思います。曲中にポール・サイモンがアフリカ音楽に傾倒して作成したアルバム「グレイスランド」の中の曲のいくつか(You Can Call Me AL 、Late in the Evening)のメロディラインがそのまま使われています。

さだまさしも、楽曲の中にクラシックの名曲を「引用」することがよくあります。この記事では、そんな「さだまさしの曲に流れるクラシック」について書いていきます。

セロ弾きのゴーシュ(サンサーンス「白鳥」)

曲のタイトルは宮沢賢治の有名な小説からの引用です。イントロやサビのメロディは、有名なサンサーンスの「白鳥」のメロディがそのまま使われています。

ライナーノーツによれば、「白鳥のこのメロディだけはチェロでも弾けるから」というのが理由らしいです。

曲の中では、旦那を亡くした妻の追憶の日々が歌われています。物悲しくも愛情に包まれた世界観を表現するのに、この「白鳥」のメロディがもっともふさわしいと感じたのかもしれません。

先日発売されたさだまさしのセルフカバーアルバム「新自分風土記」「まほろば篇」にも、リアレンジされた「セロ弾きのゴーシュ」が収められています。このアレンジでは徳澤青弦さんの演奏が素晴らしく、個人的にはかなりお気に入りです。

男は大きな河になれ(スメタナ「モルダウ」)

この曲は映画「次郎物語」の主題曲として作られたようです(私は見たことはないです…)

メロディラインはすべて、有名な交響詩「わが祖国」「モルダウ」のメロディから引用されています。曲のクレジット的には「作曲:スメタナ、補作曲:さだまさし」となっています。
原曲はドイツの雄大な大河を想起させますが、さだまさしの「男は大きな河になれ」は四万十川あたりの素朴な風景を想起させる楽曲に感じられます。

この曲をさだまさしさんがライブで歌っているのはほとんど見かけたことがありません。唯一、オールリクエストで行ったコンサートの風景を記録した「第22回まさしんぐWORLDコンサート2007 ~オールリクエスト 」に収録されているのを確認しました。

月の光(ベートーベン「月光」)

歌詞の中ではベートーベンの「月光」が出てきますが、そのこともあってか曲中でも間奏で一部「月光」のメロディが使われています。

この歌では、月の光が広がる世界を思わせる静寂の中、人の恋や、人生そのものの儚さが歌い上げられます。その世界観を彩るには弦やピアノのクラシックなサウンドが心地よいです。

秋の虹(ドビュッシー「月の光」)

「秋の虹」は、さだまさしの代表曲「秋桜」のアンサーソング的な世界観が描かれた歌です。娘が嫁ぐ日のことを、母の優しい視点で描かれた歌です。

曲のエンディングに、ドビュッシーの「月の光」が使用されています。

都会暮らしの小さな恋に与える狂詩曲(ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」)

最近の楽曲の中ではかなりメロディラインが美しく、個人的には聴いているだけで幸せになれる楽曲の一つです。

曲のタイトルに「狂詩曲(ラプソディ)」とつけられていますが、クラシックで有名なラプソディの二曲が楽曲の中で引用されて使用されています。

ガーシュインのラプソディは、「ピアノ爪弾く ガーシュイン〜」と歌うフレーズにガーシュインのラプソディ・イン・ブルーを思わせるピアノの演奏が重ねられています。

ラフマニノフのラプソディは、この曲の一番盛り上がるエンディングに引用されています。原曲は三拍子ですが、この「都会ぐらしの〜」では四拍子に変えられて演奏されています。

この「都会ぐらしの〜」については、編曲者の渡辺俊幸さんが解説のブログ記事を書かれているので、そちらもとても参考になると思います。

風に立つライオン(「アメージンググレイス」)

最後に、「風に立つライオン」について。

この曲は歌詞も素晴らしいですが、この歌の世界観を際立たせているのは、エンディングのボレロ調で奏でられる「アメージンググレイス」のメロディだと思います。

アメージンググレイスは、賛美歌として、人々の魂の救済について歌われています。

さだまさしの「風に立つライオン」ではスキャットとして歌われていますが、その原曲のもつ歌詞の意味を汲んでみると、より歌の世界観が芳醇に広がるように思います。

Wikipediaより引用します。

驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。
神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。
多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私を無事に導いた。
だから、恵みが私を家に導くだろう。
そこに着いて一万年経った時、
太陽のように輝きながら
日の限り神への讃美を歌う。
初めて歌った時と同じように。






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