私がさだまさし沼にはまるきっかけになった「24時間テレビ」コンサート

最近 YouTube を徘徊していたら、あるコンサートの映像を見つけました。それは、1989年に放映された「24時間テレビ 愛は地球を救う」の中で、「広がれ!愛の輪 熱唱コンサート」として実施された、さだまさしさんのチャリティコンサート映像でした。

当時の「24時間テレビ」は、徳光さんが司会をされていた頃ですが、まだまだ純粋に「チャリティ支援と啓蒙」に重きをおいた番組だったという印象です。
よく覚えているのは、街のセブンイレブンやイトーヨーカドーに募金箱がおいてあることと、番組中のかなりの時間を割いて障碍者の方々の生活をおったドキュメンタリーなどが流れていること。今ほど視聴率も高くなく、まだ純粋にチャリティ精神が残っていた、そんな時代でした。
(エンディングにサライを歌うのも、芸能人がマラソンを走るのも、出演者がジャニーズだらけになるのも、もう少し時代が下ってからです)

さださんは、1988年~1989年に日本テレビの年末時代劇特番の主題歌を2年連続で担当をしており(五稜郭:夢の吹く頃、奇兵隊:冬の蝉)、おそらくその縁もあったのでしょう。さださんのコンサートの風景が24時間テレビの番組中1時間もの長い時間枠で生中継されていました。

といっても、上記のような知識は後付けで、1989年当時まだ小学生だった私は、「さだまさし」という単語は一応認知はしていたし読むことはできましたが、何をしている人かもよくわかっていませんでした(たまに「ダスキン」のCMで見かける人だな、くらい)
それがたまたまテレビを付けていて、たまたま24時間テレビを見ていて、たまたま視聴したさだまさしさんのコンサートで魅力に引き込まれ、沼にはまり込み今に至るのですから、人生の偶然とは恐ろしいなと思います。

私の見たYouTubeの動画はおそらく正規の権利手続きを経てないので、こちらにはリンクなどは貼らず、その内容の概要と、私が「さだまさし沼」にはまった経緯等などをこの記事では書こうと思います。

コンサートセットリスト

星屑倶楽部
OK
フェリー埠頭
向い風
雨の夜と淋しい午後は
あなたを愛したいくつかの理由(with 佐田玲子)
くらやみ乙女(佐田玲子)
修羅の如く
夢の吹く頃
マグリットの石
風に立つライオン

一応、参考までにセットリストを貼ってみました。
バックバンドは亀山社中で、80年代くらいまでさだまさしさんを支えていた、オールドファンにはおなじみのメンバーでの演奏でした
(ちなみに私は多分コンサートなど生では亀山社中の演奏を聴いたことがないです。そんな世代です。)

披露された楽曲は、今振り返るとおなじみのヒット曲というより、当時発売されていたCDの曲(うつろひ~夢の吹く頃 くらいの間)の楽曲を中心としていたようです。「風に立つライオン」はこの当時は今ほどの知名度がなく、ヒット曲とは程遠い存在でした。
もちろん年末時代劇の主題歌こそ歌ってますが、さださんは他にも日テレのTVドラマの主題歌とかも数多く歌っていたのにそういうのに忖度せず、かなり思い切った選曲をしたのだな、と今振り返ると感じます。

さだまさしにハマった2つの理由

僕はこのコンサートを通じて、ほぼはじめて「さだまさし」という歌手を認知したのですが、おぼろげな記憶を振り返ると以下のような事を感じました。

一つは歌う世界の真剣さ。
当時の流行歌手は、バブルなどの浮かれた雰囲気も反映してか、素人みたいなアイドルが歌う恋愛の曲やノリの良い曲ばかりが好まれていた気がします。アイドルだとおニャン子クラブや、お笑いだととんねるずとか、そういう業界の内輪のノリみたいなものや、素人っぽさが流行っていた時代です。

個人的にこの軽薄な風潮は好きではありませんでした。自分は子供のころは目の前の事に一生懸命になるタイプで、でも当時の風潮はそういうスタイルを「ダサい」と切り捨てる世の中でした。
そんな中、突然思いも寄らないところから、僕の知らなかった価値観を大真面目に真剣に「歌」にして届ける人に出会ってしまいました。それが、24時間テレビにおけるさだまさしでした。

たとえば、悠久な時の流れの中で命を賭してでも夢を掴め、という壮大な「夢」の話の歌(夢の吹く頃)。
たとえば、アフリカの僻地医療に従事し様々な思いを懐きながら「僕はよどみない命を生きたい」と絶唱する歌(風に立つライオン)。

他にこんな曲を歌う大人は当時見たこともなかったし、今振り返ってみてもそんなには多くないです。何より、こんなふうに流行とはかけはなれてメッセージを真剣に伝えようとしている姿に、一番衝撃を受けた記憶があります。当時は「こんな変な人がいるんだ」という感覚が強く、その「変」が何なのかを理解・咀嚼するのに時間がかかったように思います。

もう一つは、トークの面白さ(笑)
このコンサートの時も軽妙なトークは絶好調で、とくにテレビで話すには少し(かなり)下品な羽田空港のトイレで男性ファンと握手したというエピソードを、コマーシャル中だと勘違いして話してしまった場面などは、私も抱腹絶倒で腹を抱えて笑ったのを覚えています。
今では「さだまさし=トーク」というイメージは私含めて多くの方に刷り込まれていますが、当時の純真無垢な私としては「歌手なのにこんなに面白い人がいるんだ」というのは、衝撃でした。

歌の世界の真剣さと、話の面白さ、その2つが濁流のように私を襲ってきてしまったのが、私にとっての24時間テレビのコンサートでの体験でした。

「書簡集」で抜けられない沼にはまる

これだけ印象が強いと「さだまさしとは何者なのか」ということがどうしても気になってしまい、親にも聞きまくりましたし、同級生にも話をふりましたが、当然のことながら誰もが有効な答えを持ってませんでした。すぐに解決できない疑問や課題ほど、人生の中で探究心に火を付けるものもありません。

当時私がとった手段は、CDレンタルショップに足繁く通い、さだまさし関連のCDを根こそぎ借りてはカセットテープにダビングする、でした。
当時たまたま近所のレンタルショップに「書簡集」という10枚組ライブアルバムが置かれていたので、最初にこれを借りました。
ファンの方はご存知の通り、「書簡集」はさだまさしさんのデビュー10周年記念コンサートの模様を収めたライブアルバムで、古今東西のヒット曲やそうでも無い曲がぎっしり詰まっていたので、「さだまさし」という歌手を網羅的に理解するにはとても良い作品群でした。

このアルバムを通じて、たくさんのさだまさしさんの名曲にめぐりあいました。最初は「夢の吹く頃」や「風に立つライオン」など24時間テレビコンサートを通じたイメージしかなかったのですが、聴けば聴くほど、CDを借りれば借りるほど、いい意味で裏切られ続けましたし、無限に続くかのように毎回毎回素晴らしい楽曲の数々に巡り会えました。バイオリンを弾くのも衝撃でしたし、ライブならではの緊張感のあるサウンド、割れんばかりの拍手、皆がとても新鮮で魅力的でした。

当時好きだったのは、「無縁坂」「フレディもしくは三教街」「まほろば」「療養所」「虫くだしのララバイ」「極光」「驛舎」「しあわせについて」「道化師のソネット」、etc、etc…
僕にとってのさだまさしは、掘ればいくらでも湧いてくる温泉、もしくは無限に富をもたらす黄金郷のような趣でした。

そして、ライブアルバムということが幸い(?)して、トークの魅力についても存分に堪能できました。個人的には豊橋の会場で黄昏迄の歌唱中に転んだエピソードと、木根川橋社長編の話が好きでした。

トークの中で出てくる地名や、作家の名前などはすべて興味の対象になりました。当時は深夜ラジオで「セイヤング」が放送されていた時期でもあったのでこちらもあわせて聞きまくり、それら含め、さだまさしさんの口から出る言葉のすべては僕の興味を焚きつける材料になりました。さだまさしの存在自体が私の知識の入り口、知識の泉、のような存在でした。
さださんに出会った事が、私の旅行好きになったきっかけでもあります(今では47都道府県踏破済みです)し、小説など読書が大変好きになったきっかけでもあり、さださんを通じで多くの私の人格が形成される事になりました。

ちなみに、上記の私のエピソードは、すべて小学生時代のものです。「さだまさし」の世界観は小学生でもすべてではなくとも理解はできますし、良いものはちゃんと伝わる、と個人的には強く思っています。
当時のまわりの大人は「ませた変なガキ」だと思っていたとは思いますが。「運が良いとか悪いとか~」なんて鼻歌まじりに歌う小学生は気持ち悪いですよね(笑)。

そして今にいたる

中学校に進学してからは日本の音楽を取り巻く環境もとても良くなったように思い、さだまさし以外の日本のJ-POP(主にスピッツなど)もよく聴くようになりましたし、洋楽もフュージョンなどもよく聴くようになりました。
それでも「さだまさし」とは一定の距離感で接していて、高校の音楽の授業で即席バンドを組んで「関白宣言」を披露したり、高校時代に青春18きっぷを駆使して「大垣夜行」「ムーンライト九州」などを駆使して「夏長崎から」などにも参加したりしていました。

その後しばらく聴かない時期もあったのですが、東日本大震災を経て私も含め日本人の心の在り方が少し変わったタイミングで私も久しぶりにさだまさしの世界に戻り、結果抜け出せず今も深みにはまっている、というのが現状です。

個人的に強く思うのは、どんな幼そうに見える子供でも、良いものの持つ魅力には気付ける、ということです。
小学生の頃の僕にとっては「さだまさし」でしたし、どのジャンルどの分野でも、皆に理解されているいないに関わらず「良い」ものはあり、その良さはある程度年齢や世代を超えても、運良く触れることができれば気づける、それだけのポテンシャルが我々には備わっていると思います。

なので、今流行っているから、だけではなく、子供だから子供向けのコンテンツを、女の子だから女の子らしいものを、というような大人の決めつけや欲目、だけではなく、若い人や子どもたちが多くの「良い」ものに広く触れられる環境を提供する事が、今大人になった我々の責任なのではないかなと思います。

願わくば、一介のさだまさしファンとしては、我々の子供の世代にも「さだまさし」の良さが正しい形(歌謡界のレジェンドだとか、手垢のついた形ではない、そのものがそのままの姿で持つ良さ)で伝わると良いな、とは思っています。


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