YouTuber「スーツ交通」とさだまさしの共通点

最近 Stay at Home の生活が続き、私もあれだけ好きだった旅行に出かけることもままならなくなりました。
その慰めに、というわけでも無いのですが、最近は旅行系のYouTubeを見ることが多くなり、特に「スーツ交通」というチャンネルの動画をよく見るようになりました。

不思議な名前ですが、「スーツ」という名前で活動されているYouTuberの、交通関係の話題を取り扱うチャンネルだから「スーツ交通」ということのようです。他に「スーツ旅行」「スーツ背広」(?)というサブチャンネルもあります。
彼個人は「スーツさん」「スーツ氏」と呼ばれることが多いようですが、一般名詞で分かりづらいのでこの記事では「スーツ交通」で呼称を統一します。

名前の通り、とりわけ交通系、主に電車・汽車に乗車した動画には力が入っていて、鉄道系YouTuberとしては国内ナンバーワンの人気を誇るとのこと。
最長往復切符の旅や、飛行機を使わずに船とシベリア鉄道などを駆使して日本から鉄道発祥の地ロンドンまで旅をする動画が人気のようです。
私は、中川家の礼二さんがTVで彼を紹介しているのを見て興味を持ち、動画を定期的に見るようになりました。最近は電動自転車で東海道五十三次を巡る旅が好評のようです。

老練の昭和時代のアナウンサーを思わせるような語り口から、極めて大人な雰囲気を漂わせているスーツ交通ですが、いまだ現役の大学生というのだから驚きです。才能もそうなんですが、この謎に成熟し老成した感じはなんなんだろう、と感じます。

そしてさだまさしマニアの私としては「若き頃のさだまさしさんも、このスーツ交通のように才気溢れた存在で、当時の大人たちに好奇の目で、もしくは刮目して見られていたのだろうな」と思ったりしました。20代前半にして「精霊流し」「無縁坂」「案山子」「秋桜」と、人生を既に三週くらいしてきたかのような老成した落ち着いた作品を歌いこなしていたさだまさしさんも、当時は今のスーツ交通と同じような見られ方をしていたのかもしれません。

また、さだまさしさんも、バイオリンの修行のために中学・高校時代には故郷長崎から東京に下宿をしており、普通の人より長距離列車に乗る機会が多かったためか鉄道や旅がお好きで、その頃の経験をもとにした鉄道をテーマにした作品群、そしてステージトークも多いです。

ということで、また無理矢理感があるのですが、さだまさしさんとスーツ交通の共通点をひねり出してみつつ、さださんが「鉄道」をテーマにした楽曲についてもこの記事の後半で紹介していこうと思います。

スーツ交通とさだまさしの共通点

いくつかあるのですが、2つくらいにまとめてみます。

一つは、「若いころに夢に挫折したこと」

さだまさしさんは、ヤッシャ・ハイフェッツに憧れてプロのバイオリニストを目指していたものの、諸々あってその道を半ばで挫折し、ふるさと長崎に逃げるように帰った。とさださん本人のトークなどで語られています。
その詳しい経緯は、さだファンは周知。「かすてぃら」や「ちゃんぽん食べたかっ!」という小説、ならびにNHKで放送されたテレビドラマにも詳しいです。

スーツ交通も、若いころから鉄道が大好きで、「局員になれば好きな鉄道が乗り放題になる」ということも動機で JR への就職を志し、その最短切符として鉄道関連の学科がある岩倉高校(タモリ倶楽部とかでよく出てくる)に進学するも、夢だったJRへの就職に失敗したようです。

音楽の道にいったん挫折したさだまさしさん、鉄道への道にいったん挫折したスーツ交通、子供のころから抱いていた夢への挫折、という意味では共通点があるなと思います。
そしていずれも、夢捨てきれず、流行歌手として、そして鉄道系YouTuberとして世間から脚光を浴びるのですから、人生において何を挫折と呼ぶのか、考えさせられます。

二つ目は、「老成した話芸の達者さ」

スーツ交通の動画を見ていると、台本もなしによくもまあ1時間強も休みなく話し続けられるものだと感心します。

彼の話し方は、車掌や駅の業務放送の口調などを意識している部分もあるかもしれませんが、声の良さや発声の確かさ、適切な敬語表現と語彙の豊富さが兼ね備わっているため、聴いていても気持ちよく、いつまでも聴いてられます。その上おしゃべりなので、喋りの力で普通の人よりも何倍もコンテンツを大量生産できています。
コンテンツの面白さと話の巧みさ、そして無限に生み出されるコンテンツの物量作戦。それらの相乗効果がスーツ交通の特徴であり、これだけ支持される理由なのかなと思います。
個人的には、これだけの話芸や語彙を、どのように手に入れてきたのかは、とても興味があります。

さだまさしさんは、ミュージシャンとしての力量も確かですが何より「トーク」に対する評価が極めて高いのは、ファンならずとも周知のことかなと思います。
ステージトークだけを集めた「噺家集」がCD全33巻で販売されていて、かつそれが普通のアルバムよりも売れている、ということからもその人気の高さが伺えます。

さださんは、東京に下宿していた時に長崎訛りを笑われないようにと東京弁を学ぶために落語にハマったこと、一人暮らしの際にたくさんの本を読みラジオを聴いたことが、確かな話芸の礎になっていると思います。それプラス、子供のころから「落ち着きがない」と言われ続けていた、エネルギー豊富で常に発散して一箇所に留まらない人だから、よくしゃべる、という事もあると思います。

落ち着きのなさ、については、スーツ交通にも共通して見られる特徴かな、と思ったりします。
見た目大人のような雰囲気に包まれているくせに、とても早口でおしゃべりで、行動力があり、落ち着きがないからすぐ忘れ物をしたり遅刻したりする、というスーツ交通のYouTubeから漏れ伝わる性癖については、さださんとも共通点があるように思います。

さだまさしと鉄道

ここまでで既にかなり長くなってしまいました。
ここからは、スーツ交通とさだまさしさんの共通の関心事である「鉄道」について書きます。

切り口としては、さださんの作品群のなかから「鉄道」をテーマにして作られた作品について簡単に概観していこうと思います。作品を通して、さださんの鉄道に対する思い、旅への思い、それらを通じて感じた世界観などについて簡単に触れられればと思います。
なおここからはさだまさしの話中心で、スーツ交通とは関係ない話が最後まで続きます。(たまに彼の動画は引用します)

檸檬 - 御茶ノ水駅(1978年)

喰べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色が それとすれ違う

御茶ノ水駅近くの聖橋、そこから駅舎を眺める風景を舞台にした歌が、この「檸檬」。作品が生み出されて40年以上も経つのに、御茶ノ水や聖橋を形容する際に今でも引用されることが多い歌です。
歌詞で描かれる、当時の電車の「赤色(中央線)」「檸檬色(総武緩行線)」の車体の色が印象的です。文字数の都合から丸の内線は残念ながら出てきません。

この歌に描かれた風景も、御茶ノ水駅の改修工事のため、その風景を失いつつあります。これもまた時代の流れなんでしょうね。

指定券 - 東京駅(1976年)

それは僕の ふるさとゆきの
季節はずれの 指定券

さだまさしさんのソロデビューアルバムに含まれている一曲。ターミナル駅を舞台に、若い男女の別れの風景を歌った作品です。

「季節はずれの指定券」というフレーズは、指定券を購入して故郷に帰るのは年末年始や夏季休暇など「季節」が決まっていた、いつでも手に入れるものではない特別なものだ、というさださん自身の経験からくるフレーズでしょう。

オリジナルアルバムでは、楽曲の冒頭で電車のアナウンスが収録されていますが、こちらは当時運行されていた東京駅発の「特急さくら号 佐世保・長崎」の発車アナウンスのようです。長崎行の電車が用いられたのは、さださんの故郷であり思い入れが強いこと、彼の歌に込めた心象を託す先であること、からでしょう。

驛舎 - 長崎駅(1981年)

君の手荷物は 小さな包がふたつ
少し猫背に 列車のタラップを 降りてくる

歌の中で具体的に長崎駅を示すような言葉は出てこないですが、さださんはトークなどで度々「故郷長崎駅の1番ホームをイメージして作った」と仰られています。
都会で夢破れ、ボロボロになり逃げ帰って来た若者を、故郷が無条件で優しく迎えてくれる、そんな情景を終着駅を舞台に描いた歌です。もちろん、この作品には夢に挫折し故郷に帰った若きさだ青年の実体験も色濃く反映されているのだと思います。

終着駅が持つ独特の風情、この先は行き止まりで、旅の終わりを象徴する風景で、だからこそ寂しさもあるし、帰るべき場所・たどり着くべき場所に到達したという安らぎや清々しさも感じられます。長崎だけでなく、青森や、かつての上野など。
そういう場所に重ねられてきたさまさまな人たちの思いと記憶は、歌のテーマとしてもとても相応しく感じます。

そんな終着駅の風情をもった長崎駅も、新幹線対応のため高架化され、この歌で描かれたころのような風景は失われてしまったようです。

さよならさくら - 特急さくら号(2005年)

最後の寝台列車が動き出したとき
ホームにあなたの姿が見えた
さよならさくら 忘れないでね

寝台特急さくら号の運行が廃止されたのが2005年、さだまさしさんも廃止される直前に乗車をされたそうです。惜別の意味を込めて作られた作品が、この「さよならさくら」。

特急さくら号については、歌以外にも「美しき日本の面影」というエッセイ集で、廃止される直前のさくら号に乗車した体験記(風のエッセイ)「”さくら”散る」が記されています。

寝台列車でのどんちゃん騒ぎや、列車への惜別以外にも、駅への入線時間が「急行雲仙号(後述)」の頃とは違って30分前ではなく10分前であったこと、途中の経由駅の駅名が昔と異なること(小郡が新山口になった等)など、久しぶりに乗車した寝台列車の今昔の違いなどが描かれています。

最近も、私含め多くの人に愛された夜行列車「ムーンライトながら」が運行廃止になった、というニュースが流れてきましたが、かつての人々の輸送の足であり、様々な思い、夢を運んできた列車が廃止になること、やむを得ないことのほうが多いとは思いますが、時代の流れ、世の中の儚さを感じる出来事ですね。

ステージトーク「23時間57分のひとり旅」

「折尾の駅についたらかしわめしを買おうね」
「鳥栖に着いたらうどんを食べよう」

これは楽曲ではないですが、定番のステージトークです。

さださんが中学校時代に運行されていた、東京~長崎間を走る急行列車「雲仙号」。故郷に帰郷するこの列車に乗車した際のエピソードについて語られたトークです。このトークは「親切」という事について考えさせられるとても道徳的な内容を含んでいますが、1960年代当時の鉄道事情や昔の旅の旅情をとても感じさせるトークになっています。

実際にこのトークの情景描写はとても巧みで素晴らしく、当時の機関車の加速の仕方や、ポイント通過や橋を通過する時の電車の音がどのように変わるか、窓を開けると蒸気機関車の煙が入ってくるのでどう対処していたか、直角座席でいかに眠る工夫をしていたか等々、当時の列車旅の情景がとても伝わってきます。
道中の食事の様子もとても生き生きと描写されていて、話を聞いているだけで不思議と列車に乗車して食べたくなったりもします。
ちなみに、この23時間57分の旅を「駅弁」という観点で少しだけ追体験してみた記事については、以前書いたりしました。

トークの中で、「東京を10時30分に出て、長崎に翌日の10時27分に着く。10時30分に着かないのは24時間を切りたいという国鉄の意地」という発言がありましたが、実際はあくまでダイヤの都合で、より昔にはもう少し速達だったころもあるようです。

さださんが乗車されたと思われるのは、1967年ころ、になるのでしょうか。1952年生まれのさださんが中学生の頃で、トークの内容とも整合性が取れますね。

ガラパゴス携帯の歌(2017年)

飛び乗った夜汽車の窓の僕の顔 
悲しい帰郷を 忘れず生きてきた
夜汽車も昭和の向こうに去った
みんな昔の向こうに消えた

この歌は直接鉄道に関して歌った歌というよりは、昔からあるものが失われていく寂しさをどちらかというと「ガラパゴス携帯」に託した歌です。
それでも、毎回聞くとなんとなく「鉄道の歌だな」と思わせるのは、上記に引用した歌詞のフレーズが要因かなと思います。

さださんにとっては、鉄道は若き頃、青春時代に彼自身の夢や希望、挫折、出会いや別れ、そんなものをすべて包み込んで運んでくれたもの、その象徴だったのだと思います。自分のそんな昔の思い出が失われていく悲しさや、ありし昔の情景への追憶、そんなテーマをさださんが扱うときに「鉄道」が道具として用いられることが多いのかな、とさだまさしファンとしては感じます。

そして、さだまさしに関わらず、今昔のミュージシャンの歌を紐解くと、意外と鉄道をテーマとした楽曲も多く存在します。
歌を通じて描かれた鉄道の当時の姿や、歌い手がどのような心情や情景を鉄道に投影していたかもわかり興味深いですし、昔の歌であればあるほど、今は失われた当時そこに確かにあった記憶を追体験することもできます。
鉄道好きの人は、たまにそういう感じで昔の人の楽曲を色々と聴いてみるのもよいのではないでしょうか。

ちなみに、鉄道関連の歌を聴きまくる人は「聴き鉄」とでも呼ばれるのでしょうか?

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