【推しと絶望とゼリツィン®︎エリクサー】


「推し」に会ってきた。そうだ。いわゆる芸能人、タレントさんだ。

3年前アマプラで観たドラマがきっかけで、ずぶずぶと沼に嵌ってしまったのだ。

最初はお茶の間ファンで満足していた。

リアルに会うなどというのは「滅相もない!」とスルーしていたのだが、「ここがよき!」「あそこがよき!」と、思ったことをコトバにしたい性分が抑えきれず、snsで心の雄たけびを始めたところから同好の士との繋がりが生まれた。

そこから、じわじわと沼の民の熱さに感化され
「ちょっと行ってみっか!」
と推しに直接会えるというイベントのチケットを購入した。

だがしかし、目の前にかの君が立ち現れることを想像しただけで心臓がバクバクする。困った。
(予防接種会場に連れていかれるワンコのような気分になった)

先日「ゼリツィン®︎エリクサーフォロー会」で
参加者同士の相互セッションの実習があった。

せっかくだからこの機会に、とわたしは推しに会うにあたっての
ドキドキバクバクを癒してくれるゼリツィン®︎エリクサーを選ばせてもらった。

出てきたのは「8-3ステッヒギンスター&ガガート」(ゴース&ジェット)だった。

このエリクサーは深い嘆き(喪失によるい苦しみ)を癒すエリクサーだ。

このエリクサーが出たとき、わたしは
「え?そんなに深刻なテーマじゃないのに、なんで?」と思った。

だが、エネルギーを感じてみると、自分の心の奥底に隠れていたものに響いてくる感覚があり、うるっと涙しそうになった。
でも、その理由はわからない。

「この響き方は奥にまだ知りえぬ何かがあるな」
ということは理解したので、それからというもの毎日、「ゴース&ジェット」のエリクサー水を飲んだ。

せっかくの推しに会える機会なのだから、緊張せずに素のわたしでリラックスして赴きたいと願ったのだ。

当のタレントはわたしの息子といってもいい年齢だ。
頭では「そんなことは気にするものではない」とわかっていても、「年甲斐もなく若い子に嵌って・・・」なんて羞恥心が生まれる。

いよいよ当日、せいいっぱいの(シミ隠しの)コンシーラーを顔に塗りたくり、アイラインを引き、どうにか自分比で見られる顔に仕上げて、決戦にでも出立する決意で家を出た。

「ベニスに死す」の美少年タッジオに焦がれる老作曲家の心境がこの歳にしてわかる。

現地まで、電車に揺られているところから、なんだかそわそわして緊張する。
こういうときは自分のボディと対話するのがよかろうと、ソワソワする感覚がどこから来ているのか?を問いかけつつ深めていった。

そうすると・・・自分の幼い頃の記憶がよみがえってきた。

小さいころのわたしは、人前にでると
一言も言葉が出ないくらいにモジモジしてしまって、挨拶もろくにできなかった。

そんなわたしを見て両親は「挨拶しなさい」「ハキハキしなさい」と苛立つのだけれど、一層わたしは緊張してしまって、ただひたすら身を固くするのみだった。

そんなわたしの対比として、わたしのいたクラスには、ええとこのお嬢ちゃんで、ハキハキモノが言えて、可愛くて、目立つ女の子がいた。
今でいうアイドルポジションだ。

両親はそういう子になることを、わたしに期待しているんだ・・・と思った。

母はそういうタイプの子のことをよく褒めそやしていた。
それを見聞きするほどに、わたしの心は沈みこんでいった。

「どうせ、わたしなんか」「とるに足らない」
「な~んにもない」「いてもいなくてもいい子なんだ」とかとか・・・

脚光を浴びて輝く人が近くに存在することとの対比で、
私は自らを穴の底に突き落とすことをやっていた。

もしかしたら・・・わたしはその光と影の対比を、
今回のあこがれの推しとの関係性に見ているのかもしれないと思った。

メディアでスポットライトを浴び、素敵だなぁ~と思う人は
映像の中にいるだけなら、遠い世界の人として、
わたしのいる世界の線上に置くことはない。
夢の世界の住人なのだから比べる必要もない。

だが、実際に生身の人間として
目の前に存在していることを目の当たりにすると、たちまち
「同じ人間なのに・・・」という比較が生じる。

私の場合は、眩しい人が目の前に現れるだけで、自分がとるに足りないパッとしないクズだ、ということを思い知らされる、という構図があったと思う。

リアルに会うと思うだけで生じていた「心臓バクバク」は、「好きだなぁ」というトキメキの要素もあったには違いないが、かの君とわたしのコントラスト(光と影)によって、惨い事実を突きつけられ、突き落とされることも含んでいたのかもしれない。

(自分で突き落としてんねんけどな)

自分という存在を真っ向から否定する鏡のような存在として
推しを観ていたのだろうと思う。



☆*°・。*

この件に関しては、フォロー会以降、ゼリツィン®︎エリクサーを摂ったり、ボディと対話したり、セルフヒーリングをコツコツやってきたおかげか、推しに会うという今回の体験は、自分に対して「よくやった!」と自分を認める機会になった。

「ちっぽけなわたしだから何にも言えない」
という挫折からくるパターンを超えるべく、もうひと踏ん張りした。

「伝えたいこと」をとにもかくにも推しに伝えることができた。
ものの10秒ほどだったが、そこは自分をほめてあげようと思う。

☆*°・。*

人間とは本能的に「比較する」生き物だと言うが、そこからくる苦しみをゼリツィン®︎エリクサーによってあぶりだされることとなった。

そして、自分という(取るに足りない)存在への絶望感が
「ゴース&ジェット」によって癒されたのかもしれない。


追伸)推しはまっこと眩しかった。(異次元感はんぱなかった)


おしまい。




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https://ameblo.jp/sacrael/entry-12840488577.html?frm=theme

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