笙野頼子さん、いったいわたしの性別はなんですか?

 十代の終わりに地元中野区内の書店で、ミルキィ・イソベ氏によるきらびやかな装幀のその本に惹かれて手にとり、頁をひらけば文字の大きさが自由自在に変化し、それ以上に紙面を縦横無尽に飛びまわることばに一瞬で恋に落ちてすぐさまレジへとむかい、純文学こそが目指すべき言語芸術のありかたなのだと蒙を啓かれてから、笙野頼子は唯一無二の憧れの存在であった。『タイムスリップ・コンビナート』を読んで沢野千本が辿った通りに中野から海芝浦駅へと「聖地巡礼」をおこない、『夢の死体』で描かれるY――つまりは職も持たずに親の脛を囓って自室にひきこもり、ひたすら本を読んで小説を書いた笙野頼子に自身をかさね、「皇帝」に倣えば「性的死者」として生きてしまっていることへの孤独さや後ろめたさを本を読むことでどうにかこうにかまぎらわした日々は、いまでさえ遠ざかったのだとはおもわれない。これまでの人生のほぼ半分は笙野頼子によってはげまされてきたのだといっても過言ではない。
 しかし、一二月八日にTwitterのタイムライン上で、李琴峰氏のツイートと、池田香代子氏がアップロードした「文藝家協会ニュース」に掲載された笙野頼子が執筆したのらしい記事「女性文学は発禁文学なのか?」を撮影した画像を目にして深く失望し、幻滅するはめに陥ったのは、もしかしたらわたしがMtFのトランスジェンダー当事者だからかもしれない。
「女流文学」なる「カテゴリー」ないしは「惹句」が死語となってひさしい今日、おなじように「女性詩」なるそれらも目にする機会はほとんどないが、小説の世界ではいまだに「女性文学」という表現は有効なのだろうかと首を傾げながら、当然「男流文学」や「男性詩」といった語句が生まれなかったのは、とある時期までの文学が「男性」のみに許された特権だった背景があってのことだと理解はしているが、とはいえある作品をまえにして、それを著したものの性別がいずれであるのかがまったく意味をなさなくなったのは、ひろく文学の世界では性別など関係がなくなったからだと認識していたのは早計だったのだろうか。これまでにわたしが書いた詩や小説がなににカテゴライズされるのかについてはいっさい関心がないけれども、おそらくは既存のふたつの性別には還元されないあらたな容れ物が用意されるのかもしれないが、いったいそれがなんの役にたつのか皆目不明だ。
 まるで御伽噺のなかの蝙蝠のように、双方から仲間ではないと排斥され、ときには踏み絵を踏まされるようなおもいを味わいながら生きることを強いられるもののひとりからすれば、このような差別的な言説などいつものように見なかったことにすればいいのにもかかわらず、またもやこうして過敏に反応してしまったのは、それを執筆したのが、いっときはわたしの命を救った存在だからにほかならない。
 わたしがわたしとして生きるのにはつねに困難がつきまとう。それはもちろん性別だけによるものではないが、とても無視できないくらいには大きい。性別移行をはじめてから女性用トイレを利用するようになったが、現在まで一度も誰かから咎められたことはない。もしかしたらたまたまいあわせた利用者のなかには、わたしがトランスジェンダーかもしれないと気づいたものもいたかもしれないが、きっとたいへんな苦労をしてきたのだろうとでもおもって寛容な心で大目に見てきてくれたのではなかったか。わたしの事情を知ったひとのほとんどは理解をしめしてくれるし、「女のフリをして女性用トイレに侵入してくる犯罪者」呼ばわりされたことは、幸運にも一度もない。友人ではなおさら、わたしを不審者あつかいしたり、性犯罪者あつかいするものはない。そしてその友人にはいうまでもなく女性もふくまれているが、もしも秘かにでもわたしが完全なる女体を持たないことによる脅威を抱いているのだとしたら、そもそも友情はなりたたないはずだ。公衆浴場や更衣室を利用する機会はいままでにないが、女性用トイレを利用するわたしを、笙野頼子は「男」だとして通報するだろうか。
 二〇〇四年の暮れから精神科を受診し、長年の通院を経て、晴れて「性同一性障害者」だとして「男性ではない」許可を得て、二〇〇九年七月には医師の診断書等をもとに、家庭裁判所で戸籍上の名の訂正まですませたわたしを男性とみなすものはわたしの周囲には存在しない。しかしこうも屈辱的な生きかたがあるものだろうか、わたしがわたしであることを誰かに診察してもらったり保証してもらわなければ生活もままならない。いや、そうした過程を経ても外出時にはひと目を憚って用を足すのにも躊躇う始末なのだ。もちろん銭湯にも、プールや海にも、ジムにもいかれない、服を一枚でも着ていなければ完全ではないことが露呈してしまうから。そしてそういうわたしをついぞ受け容れることなく他界した祖父母や疎遠になってしまった親戚、そして両親との関係は、たとえ社会が寛容になったところで変わらないだろう。一度でも一族の恥曝しだと敬遠したひとびととどう顔をあわせたらいいのか、話をすればいいのかがわからない。

 笙野頼子が危惧する性自認法やセルフID法が導入されたからといって、「女という文字は次々と消え」、「女体も女権も女の歴史もリセット」されるなどということがありうるのだろうか。個々人の性別はいったい誰のものなのだろうか。国家だろうか。それとも社会か、あるいは笙野頼子のものなのか。わたしもふくめてこの国に生まれたものはみな医師によって性別が決定され、それをもとに戸籍に記載される。しかし性別は性器の形状や染色体によってのみ決定されるわけではないことを医学が発見して以降は、「性同一性障害」という疾病概念が生まれ、この国では二〇〇四年に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が施行されてからは、国が定める基準を満たせば戸籍の性を訂正できるようにもなった。さらには二〇一三年にDSM-Vが刊行されてからは「性別違和」と診断名が変更され、障害ですらなくなった(とはいえいまだに診断書には便宜的に旧称が使用されることが多い)。多くのひとにとっては性別とは国家をはじめとする権威やコミュニティに保証される必要のない自明のものなのであろう。だからこそ戸籍や保険証、パスポートや運転免許証などに記載された性別に気をとめることすらないのだ。それは制度上は医師や国家によって定められている性別というものが、実際には自分自身のものだと疑うことなく信じているからにほかならない。だからあらゆる書類に記載された性別とは食い違ったふるまいをとらずとも、苦痛を味わうことはない。なのになぜ、自分が自分として生きるのに誰かの許可や保証が必要になる人間が生じてしまうのか。もしも性別が自分のものではなく、国家のものであるとしたら、女性は、戦争に駆りだされる兵士を産み育てる性として使役されることを是認することになるようにおもうがいかがだろうか。少なくとも日本の政治の場で議論がなされているとはどうも考えにくいセルフID法が画期的であり、そしてより多くのひとにとって有用である所以は、生まれながらの自身の性別を疑う必要のないひとにはなんの影響もない点にある。その恩恵を享けるのは、圧倒的に少数者の立場に追いやられている性別違和を抱える当事者だけだ。笙野頼子の性自認を詳しくは知らないが、それが否定されることなどありえない。わたしがわたしとして生きることにつねにつきまとう困難さを味わうひとびとの苦しみを、そのすべてではないにせよ、いくらかを軽減させ、そうでなくても自分の性別が自分のものであることになんの疑いも持たずにいたひとびとはなんら不利益を被ることのない法的措置を、なぜ危険思想とでもいったふうなあつかいをするのか。どう誤解してなのかは知らないが、こうして理不尽で差別的な言説から守るためには、けだし先進的な法律以前に、はてのない議論と相互理解が必要なようだ。

 ところで、意識的にか無意識的にかは定かではないが、笙野頼子が無視するFtMトランスジェンダーについては、どのようなまなざしをむけるつもりなのだろうか。「陰茎を持たない」ことを理由にやすやすと連帯するだろうか。性別適合手術を経て陰茎を獲得した当事者についてはどうだろうか。女体を凌辱しうる存在として、その瞬間から排除の対象に変わるのか。とすれば笙野頼子が囚われているのは、性別ではなく、性器ではないか。そして日常では衣類によって隠されているそれがどのような形状をしているのかを確認できない段階では目のまえにいる存在の性別は、判断のしようがないのではないか。そもそも自身の性別がなんであるかをなぜ他者が決定できるのだろうか。医師でもなければ役所の職員でもない笙野頼子がなぜ、相手の性器の形状を峻別し、あるひとびとを「女性ではない」と排除できるのか。どんな特権が笙野頼子に与えられているというのか。これが暴力でなくて、ではなにがそうだというのか。
 そしてまったく不可解ながらも、性自認にまつわる諸問題と、現在も起こりつづけている性差別や性暴力とは別の問題であるのにもかかわらず、なぜ混同しようとするのか。性別違和を抱える当事者が自身の性をとり戻せたとして、ほんとうに「女という文字」が消え、女性の存在が消えると信じているのだろうか。セルフID法の導入で、すべての女性やその他の性に属するひとたちが、いっせいに男性になるとでもいうのか。わたしにはわからない。慰安婦問題や女性器切除問題の解消、レズビアンや女性一般の権利向上が、セルフID法によって阻害されるはずがないのに、なぜ性別違和を抱えるひと、トランスジェンダーのなかでもMtFだけを目の敵にして攻撃し、排除し、そしてことばによって命を奪おうとすらするのか。そう、笙野頼子は自覚的であるべきなのだ。自身の書きつけたことばによって、深く傷つき、絶望し、自死を選択してしまうかもしれないひとがいることを。そのことばによって悲しみの連鎖がまた生まれてしまうことを。しかしわたしはこの差別発言と闘おうとはおもわない。徹底的にむきあって、互いに傷を負うことなしに、よりよい解決の道を探りたい。この発言をもって笙野頼子を憎悪してしまっては、わたしはあるときからのわたしを全否定することになる。そうならないための方途はいくらでもあるはずだ。


*脱稿後、複数の文芸誌に投稿したが、反応はなかった。どこの馬の骨ともわからぬ書き手による、大御所への稚拙な反論を掲載するのは危険だと判断したのか、そもそも掲載できるほどの出来ではないということか、あるいは主張はわからないでもないが、説得力に欠けるとか、筆力に問題があるとか、おおよそそのような理由なのだろうが、いずれにしても、「居場所もなかった」のだ。

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