倣明代染付
1977~80年代、私が20代後半から30代の頃は、中国陶磁、中でも明の成化時代の染付や豆彩を釉裏彩に置き換えることに夢中でした。中国陶磁では骨描き(細い線で輪郭を描き、その中に色をさす絵付け技法)が主流です。
釉裏彩というのは高温で焼く色絵の磁器で、その優しく澄んだ色合いと豆彩の持っている気品がとても調和しているように思いました。
その後私は、器面に部分的に釉薬をかける・染付の絵の具で吹き墨する・面の一部を覆うような処理の仕方などの技法に移っていきましたけれども、台湾の故宮博物院に行くと、チキンカップや花蝶図の小壷など、豆彩と呼ばれる作品群があって、いつ見ても格調高く美しいと感じます。
右上は独立直後に作った小鉢。描いた菊唐草文様の釉裏紅の発色が悪いですが、中国陶磁にも同様のものがあり、味わいの一つかとも思います。
左は小紋やダミを使った祥瑞手の写し。好きなものは何でも真似られるものは真似ようという気持ちで作っていました。
右下は中国明代成化年代に景徳鎮の官窯で作られた彩色磁器「豆彩(とうさい)」花蝶図の写し。薄手の精緻な磁器のフォルムに染付で骨描きし、赤・黄・緑などの上絵で仕上げる、高雅で優しい絵付け。それが気に入っていて、その意匠を呉須・釉裏紅・鉄絵の釉裏三彩で写すことが楽しみでした。第2回松屋銀座二人展 の案内葉書で使っています。(撮影 杉浦昭夫)
上左は梅瓶と呼ばれる器形で、明ではなく元染付の写しです。第5回大坂阪急展の案内葉書に使いました。この展示会では、古陶磁研究家の藤岡了一先生にご無理を言って、推薦文を書いていただきました。前回の阪急展の時お会いして、誉めていただいたのがご縁です。→藤岡了一推薦文。それまでご本の上だけの遠い存在だった先生に、快く引き受けていただけたことがまるで夢のようでした。
上右は粘土のタタラで作った扁瓶に釉裏彩で瓜図を描き、金彩で縁取りを入れています。明染付の写しです。
上左は染付芙蓉手の大皿。明ではなく元染付の写しです。第3回名古屋三越展の案内葉書に使ったもの(撮影 杉浦昭夫)です。この作はいわくつきで、第5回大坂阪急展の時阪急骨董街で明万歴芙蓉手の大皿を見つけて買ったものの写しです。その後、岩波新書83の「やきもの文化史」149頁の写真(アムステルダムオークション1984-キャプテンハッチャー発見品とある)の中に全く同じ意匠の皿を見つけました。(ただし別のもの)
上右は釉裏彩芙蓉手の八角大皿。これが私の作った最後の芙蓉手です。
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