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ヴァージンVSにたどり着くまで6 1971年 九州大学学園祭 サンハウスを観て衝撃を受けるの巻

やっとPCが治ったので再開いたします。結局PCは入院ではなく自宅療養で全快いたしました。PC博士のMO氏に多大なご協力をいただき感謝しております。

っということで、ヴァージンVSにたどり着くまで6
1971年 九州大学学園祭
サンハウスを観て衝撃を受けるの巻

大牟田から博多に、多分西鉄で移動、九州大学まで歩きました。
荷物が重かったけど、服田さんが時々ギターを持ってくれました。
前の日の熊本大学に行く時も、時々ギターを持ってもらいましたっけ、なんというバチ当たりな事をしてしまったのか・・・。
はっちゃん、有難うございました。合掌

さてその学園祭ですが、昨日の熊本大学と同じく、京都の「69」がご機嫌にビートルズナンバーを演奏。
「69」のボーカル堀内さん(通称レノン)はこの後、このコンサートをわざわざ鹿児島から見に来ていた津田さんと「都落ち」を結成し、京都を中心に大活躍します。
この辺りのことは後々登場します。

で、話は1971年九州大学学園祭に戻りますが、ここに登場したのが「サンハウス」です。
名前からして、あのデルタブルースの巨人ですから、もうビックリ!!
全曲ブルース、あるいはオールマンブラザーズバンド(原曲はブルースですけど)の曲ばかり。
こんなんありか!という感じでした。
その頃の鮎川さんはレスポールではなく、黒のストラトでした。

当時の乏しい音楽情報では、関西にいる我々には「サンハウス」の存在は全く届いておらず、本当に衝撃的でした。
現在、WEB上に掲載されている大量の情報からすると、サンハウスはすでに当時、九州では相当の知名度があったのですね、しかも、ものすごく「ブルース」を勉強されていたようです。
でも、我々は知らなかったので、ただただビックリ!!
もちろん、鮎川さん、菊さん、みなさんカッコウ良かったのですが、私の記憶違いかもしれませんが、ドラムの方が、ハイハットとスネアを左右の手で交互に叩かれていたのが印象的でした。
これは、ストーンズのチャーリーワッツ氏が、スネアのタイミングでハイハットは叩かないという事と通底するのでしょうか??
事情を知っている方、誰か教えてくださいな。

実はこのサンハウスを観て、ウエストロードはブルースばっかりやる方向になります。

この九州大学学園祭に続いて、3日~4日後、広島大学学園祭にも行くことになっており、永井さん、服田さん、私は一度京都に帰るのは面倒なので、しばらく博多の「マット」というロック喫茶の2階に泊めてもらうことになりました。
この「マット」というお店のカウンターの中でコーヒーなんかを淹れているのが、「ルー&B29」のドラマーであり、我々を熊本大学、九州大学の学園祭へ来ないかと声をかけてくれたビショップさんです。
でも、この間まで京都にいたはずなのに、なんで博多でコーヒー淹れてるの??

そうなんです、このころの長髪ロックピープルの中には、風のように日本中を移動していた人々がいました。
京都のダムハウスにも、東京をはじめ色々なところからやってきた人たちが常にいて、本名かどうかわからない、「リルケ」さんや、「ライダー」さんや、「フリーダム」さん(これはダムのアニキの弟さんらしい)etcというような名前の方々がいました。いくら何でも、こりゃ本名じゃないですよね。
今から考えると、あの一時期の京都は漂泊する「中世遊芸人」の世界が再現されていたのかもしれません。
そこから出雲阿国なんかが出現するのだから、1971年当時の京都もまんざら捨てたもんじゃなかったのかも。
ここから、今につながる日本の音楽シーンの、ある側面が形作られてきたのだから。
あっ、なんか小難しいこと言っても~た、すんません。

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