見出し画像

ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお2

ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお2

1971年の夏、大学1年生の時の事です。
ヴァージンVSに辿りつくまで、あと10年もあるのかぁ~・・・
でも頑張ります!!

6月になり、ライラックレインボーズ主催の「ダンパ」があり、それを最後に永井さん、塩次さん、小堀さん、それに何人かがライラックレインボーズを退会しました。その何人かの中に私もおりました。
退会理由は色々ありますが、もっと自由に、もっと「デカイ」シーンで活動したいということです。
その頃の京都では、京大西部講堂で「モジョ・ウエスト」が開催されており、東京をはじめ、全国から長髪のロックピープルが参集しており、我々もそのムーブメントに参入したいという願望があったのです。
「モジョ・ウエスト」を含めて「京大西部講堂」には数々の伝説的なバンドが登場していました。
当時の出演者を調べてみると・・・
麻生レミさん(裕也さんが作ったフラワーズのヴォーカル)、TOO MUCH、ミッキーカーチスさん、内田裕也さんと1815 ROCKN’ROLL BAND、かまやつひろしさん、ガロ、FAR OUT、ジプシー・ブラッド(ザ・バンドの曲やカントリーロックをレパートリーとしていた日本では稀有な神戸のバンド)、ブルース・クリエーション、DEW(ヴォーカル布谷文夫さん)、THE M、田舎五郎と魚(中川五郎さんのバンド カントリージョー&フィッシュをもじった名前)、乱摩堂(洪栄龍さんのバンド)、豊田ゆうぞうさん(京都の先輩フォークシンガー)、成毛滋さん、角田ヒロさん、三上寛さん、69(「都落ち」の前身)、テリー寺田さん(拾得の創始者)
そして伝説中の伝説、村八分(山口富士夫さんギター)、そして、なぜかPYG(ジュリーとショーケンがヴォーカル、ベースはなんと今は俳優として素晴らしい業績を積んでいらっしゃる、岸辺おさみさん=岸辺一徳さん、タイガースのサリー)が出演。
ものすごいよね!!
このような、もっと「デッカイ」シーンで活動したいとライラックレインボーズを退会したはいいけど、練習場所がありません。
今のように練習スタジオなどない時代です。
そこで永井さんが、あっちこっちのロック喫茶等に行き、練習できる所がないか探し回ってくれました。
そのころのロック喫茶といえば、我々の大学の学生会館向かいに「縄文」というのがあり、また京大農学部前を銀閣寺方面に行ったところに、その後ウェストロードの拠点となる「ダムハウス」というのがあり、祇園の方に行くと「飢餓」というのもあり、他にもいろいろなロック喫茶がありました。
「ロック喫茶」というのは「ジャズ喫茶」のロック版で、でかい音でズーっとロック音楽がかかり、コーヒー一杯で何時間いてもOK。
レコード盤は高価だったので、自分の好きなジャンルのLPがかかる「ロック喫茶」はありがたい存在でしたし、色々な情報が集まるところでもありました。
当時のバンドの練習は、学校のクラブハウスか個人の家(周りの家には大迷惑)、或いはディスコに出演しつつ、開店前に練習するといったところでした。たまに我々一般ピープルが近寄れないような秘密のスタジオめいたところもあったようです。
このあたりが東京と違うところでしょうね。東京に来たら、道玄坂に「三浦ピアノ」がありましたもん。

ということで、練習場所の情報を求めて、永井さんが京都の街をさまよい歩いてくれたわけです。
しかし、探すには一応こちらも名乗らないといけません。
その時名乗ったのが、塩次さんが最初に考えた「ロック集団ホトケ」という名前です。
この「ロック集団ホトケ」を名乗って、永井さんがあちこちに出入りしたので、永井さんは「永井ホトケ」あるいは略して「ホトケ」という通称になったわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?