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ヴァージンVSにたどり着くまで 21

ヴァージンVSにたどり着くまで 21
 
~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 9~
 
明けましておめでとうございます。
前回よりえらい間隔があいてしまい申し訳ございません。
コロナをはじめ諸々色々ありまして今日に至る・・・
 
この稿の最初に「田舎芝居」の初代ダブルマネージャーの1人、崎山巧氏が12月に永眠されましたこと、心より深く哀悼の意を捧げさせていただきます。
彼に関しては「田舎芝居」初期のところで登場してもらうことになります。
 
さて、今回は1972年8月京大農学部グラウンド「幻野祭」における、私のウエストロード最後のステージになるのですが、その前に、8月13日、鳥取市民会館での「裏日本ブルースコンサート」に出演しました、と言っても既に50年昔のことですので、詳細は定かではございません。
確か鳥取大学の学生さん達の主催だったと思いますが、とにかく熱心なブルースファンの方々で、
アンコールで「BoomBoom」を長々とやったと当時のメモに書いてあります。
この時代に鳥取でこのような熱心なブルースファンが生まれていたことは驚愕に値します。
当時の一般社会で、ブルースというと「港町ブルース」の時代ですから。
もしかして「BLUES JAPAN」の方々の中に、この関係者がいらっしゃるのではないかと思っておりますが、如何でしょうか?
 
そして8月16日京大農学部グラウンドでの「幻野祭」
このイベントの主催者の1人であったSI氏に今より1年ほど前にお会いし、当時の話をいろいろとお聞きしました。実はこのSI氏はその後「田舎芝居」のデビューに深く関与し、私が今ここにいるのもそのためと言っても良いでしょう。
その当時は「ダマされて東京に売られてきた的」な感覚でしたが、どのようにダマされたのかは、「田舎芝居」編で出てくると思います。
なので、お会いした時「オレ当時ダマされたよな~」というと、SI氏は「そうだよな~」と否定しなかったので、ダマしダマされる仲だったわけですが、そのおかげで「ヴァージンVS」も誕生したのだと思います。(ウチの子供も孫もね)
素直にだまされることも時には必要なのかもしれません。しかし振込サギには注意しましょう!!
 
さてこの「幻野祭」、グラウンドを機動隊が取り巻く中でスタートいたしました。
何しろ前年は成田の「三里塚」で開催されているのですから、当局もピリピリでしょう。
燃え盛る「大文字」を背景にウエストロードが登場、盛り上がりは半端ではない!!
この時は妹尾先輩も一緒にステージに上がり、2人でハープを吹きまくりました。
当時はハープ用のマイクやギターアンプからハープの音を出すというと方法を知りませんでしたので、どのように音をオーバードライブさせるのか不明でした。
妹尾先輩はこの時ソニーのコンデンサーマイクを持参し、それを使用すると、確かにオーバードライブします。微弱な振動までとらえるコンデンサーマイクを手で包み込みハープを演奏すると、マイクの入力時に既に過大入力となるわけです。なるほど!!
このように手探り状態で音作りをしていました。
 
で、超盛り上がりのウエストロードのステージに、ラリパッパの全裸の男性が上ってきました。
ありゃ~、どうしたものかと思いきや、すかさずスタッフがその男性を後ろから蹴り飛ばし、ステージから落下。
 
我々の後はフォークシンガー「豊田勇造」さん。
でも観客はウエストロードにもう一回出て来いと激しいアンコールをリクエスト。
このままでは収まらないと見た主催者の要請で再度ステージへ。
なんかえらい騒ぎでしたね。
この時の屈辱?を豊田さんは名曲「大文字」(さあ、もういっぺん火の消えるまえに~)という歌に結実されました。
後日ご本人から、あの曲はザ・バンドの「ステージ・フライト」と「幻野祭」の時のことがミックスされてできたとお聞きしました。
 
我々がアンコールのステージを降りた後、先ほどステージから蹴落とされた男性のお仲間がステージに上がって来て、「さっきの男性は脳震盪を起こした、コンサートを中断し集会に切り替えろ」とのアジテーションを展開。
当時よくありましたね、大学の講義の最中にセクトが乱入し集会に切り替えろ!というのが。
ロックと政治とが結びつき、「ロックは文化闘争の武器だ」という主張。
わからなくはないが、何かが違う??
おまけに今回はラリッてスッポンポンでステージに上がり蹴落とされて脳震盪を起こした。
これも「文化闘争」っすかぁ~
 
これを最後に私は「ウエストロード・ブルースバンド」を去りました。
まあ、最後はえらい盛り上がりで良かったというか・・・
次回からは、「田舎芝居」編がはじまりますよ~。

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