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ヴァージンVSにたどり着くまで7

ヴァージンVSにたどり着くまで7
1971年 九州大学学園祭から広島大学学園祭までの間 博多マットにて

1971年 九州大学学園祭から広島大学学園祭までの間 博多マット2階にて、たぶん3~4日過ごしておりました。
確かその間に「10・21国際反戦デー」があって、大濠公園?へ行った覚えがあるので、その時期だったのでしょう。
その前後に、使っていたハーモニカがダメになったので、探しに歩きました。
ホーナーを買いたかったのですが、岩田屋百貨店7階の楽器売り場にもなく、日本楽器にもなく、そこでおみ足の不自由な松葉杖をついたミュージシャンらしき方から教えていただいた楽器店にも行きましたが、結局ホーナーはなく、トンボの「フォークブルース」を購入しました。

そうそう、ここで語らなければならないのは、フォークロック志向だった私がウエストロードに籍を置かせて頂いていた理由とは、そのころは珍しかったらしい、ハーモニカ(ブルースハープ)を演奏するという特技?があったからなのです。
自分では特技?とは思っていなかったのですが、なぜかそのころはハープを演奏する人は少なかったようです。
当時の乏しい音楽情報では、そののち再会する妹尾隆一郎先輩(中学で、伊藤銀二先輩と並ぶ私の先輩)と成田賢さんぐらいしか名前が挙がっておりませんでした。

私が一番最初にハーモニカをバンドで演奏したのは、高校生の時にやっていたバンドで練習した、デイヴ・クラーク・ファイブの「オーバー&オーバー」という曲の間奏部分でした。
でも、ブルースハープではなく、ミヤタ式複音ハーモニカを使用。
間奏になるとギターはお休みしてハーモニカをぷかぷか。
そのころは既にトンボから「フォークブルース」というホーナー10穴タイプのハーモニカが発売されており入手もしておりましたが、なんで「ド」から下に音がちゃんと並んでないんや!という憤りがあり、ミヤタ式を使用しておりました。
どないして吹くのか、当時皆目見当がつきません。
ついでに告白しますと「カズー」という、そののち「田舎芝居」というバンドで多用する軽便楽器は、何年間も音の出し方が謎でした。
いくら吹こうが吸おうが、スースー息が出入りするだけで無音ですから。
このカズーから、ビイ、ビイという音が出た時の驚きと感動は、とても筆舌に尽くしがたい。
これでPPM版「サンフランシスコ・ベイブルース」ができる!!
それほど当時の音楽情報は乏しかった、あるいは私の人間関係の希薄さがあったということですね。
そのブルースハープですが、どのようにして演奏できるようになったのか、どのように練習したのか、さっぱり思い出せません。
しかし、「ポール・バターフィールド・ブルースバンド」の「ボーン・イン・シカゴ」はウエストロードでも演奏していたから、大学入ったぐらいには、なんとなく演奏できるようになっていたのか??
でも「ベンディング」はまだできなかったです。
「ベンディング」はその後、妹尾先輩との再交流の中で体得したことは確かです。
妹尾先輩に感謝合掌!

で、話は博多マットに戻りますが、この稿を書いているときに発見した、当時のメモの中に、ザ・バンドの「THE NIGHT THEY DROVE OLD DIXIE DOWN」の手書きメモ歌詞があり、マットのメニューが隅っこに書いてあるのを見つけました。それによると・・・
コーヒー、コーラ 100円
カレー、フライライス(焼きめし)100円
ラーメン 50円
やっす~~!!

ということで、博多を後にし、次回は広島大学学園祭に向かいます。
ここでも「世界の車窓から」みたいですね。

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