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ヴァージンVSにたどり着くまで 10 1971年 広島大学学園祭 3

ヴァージンVSにたどり着くまで 10

1971年 広島大学学園祭 3

なっ、なっ、なんとBLUES JAPANの中根義之さんより、とんでもないチラシが送られてきました!!
1971年九州大学学園祭と広島大学学園祭のチラシです!!
中根さんよりの許可をいただき、掲載させていただきます。
中根さん、有難うございます!!

九州大学チラシ

こちらが九州大学・・・
確かに、レノン&69、ウエストロード、サンハウスの名前が読み取れます。

広島大学チラシ

そして、こちらが広島大学・・・
マックスウェルサーカス(マクセルサーカスと表記)の名前がちゃんと掲載されています。

これを見れば、「全く覚えがない」と言っていた、マックスウェルサーカスの平松さん(通称オッサン、後の田舎芝居)も、少しは思い出すのでは。
しかし、B29が出演した覚えがないのですが、単にその時、私が会場にいなかったのか?
あるいはB29は来なかったのか?

当時はポスターやチラシに名前が出ているバンドや歌い手が来ないなんてことは、当たり前にありました。
私の知り合いだった京大生Oさんが、この後、京大西部講堂で開催したフォークコンサートには、ポスターに当時の有名フォークシンガーが名を連ねて掲載されていましたが、本当に来たのは友部正人さんだけだった。
今だったら「サギじゃないか!!」となるのですが、当時は「そんなもんや」、という感じでした。

この日程をみると、10月17日九州大学から24日の広島大学まで、結構長い間、博多のマットというお店に厄介になっていたようです。2~3日ではなく、4~5日というところか。
そうだ、思い出した、その間に永井さん、服田さんと一緒に柳川散策に行ったぞ!
舟に乗るのはもったいないので、やたら歩き回った覚えがある。
グリコのポッキーを食べながら!

で、この1971年10月24日の広島大学のコンサート会場に、見慣れた顔の人が現れました。
入道こと西村さんです。
入道は京都からヒッチハイクで来たとのこと、すごいパワーですね!
みんな若かったし、パワフルでした。
でもそのパワフルさを前面に出すのは、当時はダサいという認識があったと思います。
服田さん曰く、「タラっとした奴」という存在の仕方が「ナウかった」(死語です)。
その「タラっとした奴」というのは、私なりのとらえ方では、普段はなんもやる気なさそうなのに、ギター弾いたらスゴイ!というような奴、ということでしょうかね。
でも入道は「タラっとした奴」ではありませんでした、今でも「タラっと」していません。
ここしばらく会っていませんが、今でも立派な入道です。

このコンサートでウエストロードは最後に出ましたが、米兵の皆さんはじめ大変な盛り上がり。
なかなかステージを降ろしてもらえず、ついにやる曲がなくなり、私がうる覚えの「アイ・シャル・ビー・リリースト」まで歌うはめになりました。
いま思えば、汗顔の至りです。

コンサートが終わり、学園祭実行委員長の俵本さんからお寿司をごちそうになりました。
当時は回転寿司などなかった時代ですので、ちゃんとしたお寿司屋さんでした。
ビールとお寿司で満腹状態。でも泊まるのは青雲寮かぁ・・・。
いや、ふとここにきて、お寿司をごちそうになったのは、次の年のコンサートの時だったかもしれないとの疑念が。
いずれにせよ、俵本さんからお寿司をごちそうになった事実は変わりません。
ごちそうさまでした!!

この次の日、京都に帰る列車の中で、塩次さんがポロっと、
「いま、滅茶苦茶ブルースばっかりやりたい、ちゃんとBBキングをコピーしたい。」
と言いました。
私的には、山陽本線の列車の中での塩次さんのこの発言が、「ウエストロード・ブルースバンド」の出発点のような気がします。

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