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ヴァージンVSにたどり着くまで 17

ヴァージンVSにたどり着くまで 17

~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 5~

メリーさんから送っていただいた「サカネ楽器」の袋の写真です。
そうでした、こんな袋でしたね。

サカネ楽器袋

さて前回の「てるてる坊主コンサート」で「3人キャロル」の話が出ましたが、その後「都落ち」のケンちゃんから貴重な体験談を頂き、また「田舎芝居」の平松のおっさん(平松氏は20代前半のころよりおっさんと呼ばれていた)より、どこかのプールサイドでの新作水着発表会のあとでキャロルが出演した、という、今まで聞いたこともないような話がでましたので、今回は少し飛びますが「京都におけるキャロルの軌跡」的な話をしたいと存じます。
「キャロル」というバンドに関して、この記事を読んでいただいている方々に説明は不要かと存じますので割愛させていただきます。

では「キャロル」の京都登場を時系列で・・・

①1972年12月31日~1973年1月1日
まず最初にキャロルが京都に登場したのは、1972年12月31日~1973年1月1日、京大西部講堂で開催されたニューイヤーズコンサート(名前はFUCK’73?で良かったのかな)の大トリの、あの伝説的なステージでした。
これに関しての詳細は、そのコンサートを扱う時にレポートさせていただきますが、凄まじかった!!
矢沢永吉氏の「成り上がり」によると、初めての京都と書いてある。
なので、これ以前にキャロルとして京都に来たことはないはずです。
この時は奥さんと一緒にスバル360で来られ、明けて1月1日、大阪にあるお母さんのお墓参りに行きはりました。
瞑目合掌

②1973年春?夏?
時系列で考えるなら、次が平松のおっさんが見たというプールサイドです。
このプールも諸説あり、まだ場所も特定できておりません。
ほんまにあったんかそんなこと?
ひょっとして平松のおっさんの白日夢。
乞、情報!

③1973年5月2日?
京都会館第一ホール
都落ちと

なぜ日程に?がついているのか。
ネット上のいろいろな記録で、京都で出演しているのだが場所が特定されていないのです。
なので、これがひょっとしてプールサイド営業の日程だったのかもしれません。

しかし京都会館第一ホールで「都落ち」と共演したことは事実です。
「都落ち」には堀内レノン氏と津田ちゃんが在籍していた時期です。

④1973年11月23日(ジョニー大倉氏失踪日)
ジョニー大倉氏、てるてる坊主コンサートに現れず。
屋上の公衆電話で矢沢氏がジョニー大倉氏に電話しているのをケンちゃんだけが聞いていた。
「てめ~何してんだよ!何、風邪?風邪ぐらいでなんで来ね~んだよ!」
とまくし立てておられたとのこと。
結局3人で演奏されたのですが、3人といえども圧巻だったそうです。
当時は観客とステージとの間にパテーションもガードマンおらず、どんどん前に押され、危険な状態だったらしい。
エーちゃんが下がって、下がってと注意しますが効果なく、ケンちゃんもステージに上り、女子のみを引き抜いていたそうです。
引き抜いた後、どうしたのかは分かりません。
大根みたいに積んでいったのか?

「都落ちは」すでにこの時点で、堀内レノン氏と津田ちゃんは辞めていたとのことです。

以上が現在入手している情報ですが、いくつか疑問があります。

① であれだけドカンと京都に登場したのに、そのあとでプールサイドの営業みたいなことをしたのか?
③ で京都会館チョーマンにしているのに、そのあとで、藤井大丸の屋上に出るのか?
④ のジョニー大倉氏の失踪日が、てるてる坊主コンサートの日とは限らないのではないか。
少なくてもこの時は自宅にいて矢沢氏の電話を受けているのだから、欠席ではあるが失踪ではないという理屈も成り立つ。
なんとも釈然としないことが多々ありますので、ぜひ事情通の方は、日時のことも含めてご教示いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
では、今回はこれにて失礼いたしますぅ~。

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