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ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお 余談1 PAを初めて見た日

ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお 余談1
PAを初めて見た日

私、久保田は、一応「尚美ミュージックカレッジ音響・映像学科(現音響・映像・照明学科)」の講師、教員を通算26年間もさせて頂いておりましたので、コンサート音響に関してのことなども書こう!!

一般的に日本へのPA上陸は1971年7月?だったか8月だったかのグランドファンクレイルロードの日本公演と言われていますが、私としては、同年6月のシカゴトランシットオーソリティの日本公演だと認識しております。

大阪フェスティバルホールでの公演を観に行きましたが、そこで驚いたのは、アンプの前にマイクが立ててあり、そこで拾った音がステージ両サイドのでっかいスピーカーから、これまたでかい音で出ていた事です。
多分ベースもDIではなくマイクが立ててあったと。

それまでのロック系のコンサートでは、楽器の音は生音、ボーカルのみボーカルアンプから出す、というのが基本でした。
よって、バンド内の実音バランスがそのまま客席に聞こえるので、バンドバランスがうるさく言われていました。
ギターがデカすぎるとか、ベースが聞こえんとか、そういう事は全部演奏者の責任だった訳です。
「あいつはいつもアホみたいにでかい音出してボーカルが聞こえん」とか言われるわけです。
もちろん、「モニター」なんていう贅沢なものはありまへん。
ドラムのリズムをひたすら聞きつつ、自分のやるべきことをやる!!

ところが、どうでしょう!
シカゴはレコードで聞いているのと同じような音のバランスで聞こえてきました。
これは驚異的な出来事です。
確かその1年前に同じフェスティバルホールで観たジョンメイオールのコンサートでは、ボーカルはホール音響をそのまま使っていたと思います。
でも、それはそれでよかったのですが、音圧はほとんど感じられない。
その時、確か京都の人気バンド、スラッシュさんが前座で出ましたが、自前のボーカルアンプを持ち込んでいた覚えがあります。
しかし歌はよく聞こえなかったなぁ。
あの頃のボーカルアンプの定番はエーストーンでしたね。
高級品ではシュアーのボーカルマスターというのもヒビノ音響さんの広告に出ていた覚えがある。
というわけで、翌日すぐ塩次さんに、目撃したことを報告しました。
「アンプの前にマイクがあって、そのマイクからもう一度音を拾って、でかいスピーカーからもう一回でかい音だすんよ!!」
塩次さんは、
「ふ〜む・・・」
とか言うてはりました。

このシカゴのコンサートには、大学の英語の授業で一緒になった、後藤ちゃんという人と一緒に行きました。後藤ちゃんはその後、通称ポンプ(大谷さん、そのうち登場します)に半ばだまされ、田舎芝居の初代マネージャーになり、崎山氏(そのうち登場します)と一緒に上京し、デビュー後も何やかやと面倒見て頂きました。一時期阿佐ヶ谷に住んでたよね。
今は京都北山のライダーです。
ま、このあたりの事は先々出てきますでしょう。

で、コンサート当日、後藤ちゃんは終演後電車がなくなるので、うちに泊めてほしいという事で、宝塚の実家に泊まりに来てもらいました。
家で晩御飯食べた記憶がないので、多分帰り道に梅地下の「インディアン」(?)でカレーでも食べたのかと思います。
家で晩御飯は食べなかったけど、お風呂は入りはりました。
それでうちの座敷に寝てもらったのですが、翌朝、ちゃんと布団を畳んであったので、ウチの母親は、
「うちに泊まったあんた達の友達で、ちゃんと布団を畳んであったのは、あの人だけだわ」
(母親は東京生まれなので、関西弁ではありません、スンマセン)
と褒めていました。
みんなも誰かのとこ泊まったら、ちゃんとお布団は畳みましょう!!

多分翌朝は一緒に学校行ったんだろうな。
そのころは、ちゃんとでもないけど授業に出ていましたから。

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