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ヴァージンVSにたどり着くまで 13

ヴァージンVSにたどり着くまで 13

~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 2~

前回の続きで、1972年8月に私がウエストロードを去るまでの間のメモを中心に記します。

6月1日は、またしても広島大学教養学部ROCK Fes’と書いてあります。
なんと私が在籍している間だけで、3回も広島大学に行ったことになります。よほど歯学部学生の俵本さんに気に入っていただけたようですね。
今回は「都落ち」と一緒でにぎやかだと書いてある。
この「都落ち」は、前年の熊本大学、九州大学でも一緒に出演した「レノン&69」というビートルズバンドの堀内レノン氏が、鹿児島から来たベースの津田一矢さんと作ったバンドで、ドラムは69のヒロシ氏、ギターは今も私とFacebookでの文通が続く、牟田健司さん(通称ケンちゃん)です。
ケンちゃんは「都落ち」の前は、大阪で「クオリーメン」というビートルズバンドをやっていました。
ケンちゃんを堀内レノン氏に紹介したのは、確かまだ大阪で「ごまのはえ」をやっていた私の先輩、伊藤銀次さんだったと思います。
その「都落ち」、オリジナルのR&Rや泣きのミディアムなどがあり、これはイケそうだと期待したバンドでした。その顛末は成り行き上、今後書かせていただきます。
また、この時期は京都のロック喫茶「ダムハウス」も再開しており、堀内レノン氏、ヒロシ氏、ウエストロードの永井さんも店を手伝っていました。ダムハウスに住み着いていたショージ君という、東京大田区羽田からきた少年も一緒だったと記されているので、再開店後だったことは確かです。
私も時々店を手伝ったり、ダムハウス内の企画集団「釜企画」が主催するコンサートのポスターを大阪、神戸方面のロック喫茶やジャズ喫茶に配布しておりました。
「釜企画」のネーミングに関しては、「辿りつくまで 4」に書いてありますので、ご参照を。

あっ、またいきなり思い出した。
大阪の、かの有名な「喫茶ディラン」にポスターを持って行ったとき、西岡恭蔵さんが開店前の店の中でポスターを受け取ってくれました。
私は思わず
「ディランⅡの西岡恭蔵さんですか?」
と言ったところ、恭蔵さんは
「僕はディランⅡと違いますよ~。」
と、フォーク事情に詳しくない私に、優しく応えてくれました。
恭蔵さんは、すでにこの時は、グループを離れていたのですね。
瞑目合掌・・・。

で、本題に戻ると・・・
今回の広島大学は前日の前夜祭的なダンパから出演することになっていたようですが、宿泊は青雲寮ではなく社会福祉会館というホテルに泊まりました。
最初、ダムのアニキは青雲寮で寝ろと言っていたのを、シメアゲテ社会福祉会館を予約させたと書いてありますな。
この辺りは、おそらく「都落ち」の堀内レノン氏の手腕だったかと思われます。
他の人たちにはシメアゲ能力は皆目なかったもんで。

さて肝心のコンサートですが、これがさっぱり覚えていません。
しかしメモにはベースアンプ60W、ボーカルアンプ50W、これでコンサートをやるのはさすがに・・・と書いてあるので、よろしくない状況であったかと思います。
新曲「Dream」、「Talk To My Babe」、「Rock Me Babe」を演奏したらしい。

終わってからタクシーを飛ばして19:22発のつばめ6号に乗ったので、お土産が買えなかったと書いてありますが、当時お土産を渡す相手なんかいたのかな??

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