答え

答えを求めて人生を歩み。
知らず知らず、答え合わせを始めている。生きてきた時間がこれから生きていくであろう時間より長くなり、自らを顧みることに時間を割く。
しかし、探した答えに自らが◯を付けれるものはほとんどない。だからといって×ばかりというわけでもない…ほとんどが◯でも×でもない△だ。
この自己採点は甘いのだろうか?
厳しくしているのだろうか?

私は私の人生の採点をしてくれる先生を探しているのかもしれない。

誰かから見た私の答えにはなまるをつけてもらえるものはあるのだろうか?

答え探しは答え合わせという形に変え、そしてその後間違い探しに変化していく。

あの時の選択が間違っていた。

あの時違う選択をしてれば良かった。

人生…後悔は増えていく

たぶんそこから学んだところで…後悔なき残りの人生を送れるようになりはしないだろう。

後悔をしながら悔やみながら私は終わりに進んでいく。

△だらけの答案はたぶん赤点にはならないだろう。

だから…私は本当はもっと出来たという、幻想を持ち卒業を待つのかもしれない。

まだ私に答え探しする時間はあるのだろうか?

答え合わせして、△ばかりが付いてしまった今でも。

次の問題は渡されるのかもだろう。

一度くらい真剣に、やるだけやってみることができれば、たぶんどこか一つくらい自らも、誰かからもはなまるがもらえる箇所があらわれるかもしれない。

どんなに頑張っても答えのすべてに◯が付くほど、簡単ではないだろう、むしろ難題しかないのだ。

難題しかない中…一つ…たった一つでも

はなまるをもらえるものが出来たなら、もしかしたら後悔はちょっとだけ減るのかもしれない。

おそらくまだ、難題はある。

答え合わせは自分以外の誰かに委ね、答え探しに時間を使ってみよう。
たった一つだけでもはなまるもらえる解答を探すため、もう少し学んで見よう。

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