「母さんのコロッケ」(喜多川泰 著)の一部

人間は、人間だけといった方がいいかもしれない、人が喜ぶ姿を見て自分も幸せを感じることができる。今の時代の人たちが私たちの時代を見ると、とても悲惨で暗い時代のように思うかもしれない。しかし、私たちは今の人たちが想像する以上に幸せな瞬間をたくさん経験した。
私たちには、誰かを幸せにするために生きているという実感があったからだ。それは、誰かを幸せにするために死ぬんだという実感に等しい。
(中略)

今の子供たちは、自分のほしいものを手にいれ続けるのが幸せだと教えられて育つ。しかし、その先に待っているのは幸せではない。
なぜなら、人間は自分が誰かから必要とされていると感じて初めて幸せをかんじることのできる存在だからだ。
(中略)

人は自分のためよりも、自分の大切な人のために行動する時こそ、自分でも思ってみなかった力が出る。確かにその通りだ。
そして、ということは人間は、誰かのためにいきたときしか発揮できない力が内に秘められているということでもある。
(中略)

今の時代自分の使命を見つけることができず、自ら命を絶つ人がたくさんいるね。そね数は、この国だけで毎年数万人にのぼる。特攻によってなくなった若者の数倍もの数だということに気がつくだろうか。自分の人生を豊かで素晴らしいものにしようとしすぎるあまりに、人間としての本当の幸せに気づくことができなかったのだろう。

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すべて出会いによって実現されていく。自分が何をするかよりも、誰と出会うかだ。そしてその出会いは、自分が今できることを精一杯やっていく中で自然とやってくるんだ。そうして出会ったもの同士が同じ方向を向くとき、1+1は2ではなくなる。場合によっては10になることだってある。そのことを覚えておくといい。

(中略)

わしたちがしたのは覚悟じゃ、どんなことが起ころうとも、それを受け入れて、今を精一杯生きるという覚悟じゃ、未来を不安に思おうが、どれほど絶望視しようが、わしらにできることは受け入れること。そして、永遠に続く今に集中して今この瞬間に幸せを感じる生き方をすることだけじゃった。
人の前にあるのは永遠に続く今だけじゃ。未来がやって来るわけじゃない。お前の人生も同じじゃどんなに将来が暗く見えても、その未来がやって来るわけじゃない。あるのは永遠に続く今でしかない。今日は、過去に自分が恐れていた未来じゃ。何が起こったかよくみると、過去に自分が恐れていたことなど起こっていない。だったらそのことを喜んで今を楽しんでいいはずじゃが、多くの人はそうしない。相変わらず今という時を未来という不安に思うことに使っているんじゃ。すべての今という時を未来を心配することに使って幸せを感じることなく生きておる。

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