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偉人:坂本龍馬はどんな性格だったのか?3

皆さんこんにちは。

今回は坂本龍馬シリーズ最終編、坂本龍馬に大きな影響を与えた人物について、お話ししたいと思います。

■勝海舟

坂本龍馬に影響を与えた人物といって、真っ先に名が挙がるのはやはりこの人。ある意味で言えば、龍馬の師匠といってもいいかもしれません。

幕府に使える幕臣でありながら、討幕思想を持つ薩摩や長州、あるいは町の人々にも顔が効いた人物であり、外国の脅威に対して開国して備えを持つべきという考えは、ほとんどそのまま龍馬へと受け継がれています。人情に厚く、合理的な判断よりも人間的な判断を良しとするあたりも、もしかすると勝から龍馬に受け継がれた部分なのかもしれません。

他にも、割と図々しい部分も龍馬と共通していたようで、その図々しさから、『学問のすすめ』の著者である福沢諭吉(ふくざわゆきち)とは、生涯を通じて不仲であり続けたと言われています。

そのように、良い点も悪い点も龍馬と似ている勝海舟。彼がもう少し自由な立場にあったなら、もしかすると坂本龍馬よりも早く、薩長同盟や大政奉還を成し遂げてしまっていたかもしれません。

■西郷隆盛

説明不要の、維新の英傑として有名な薩摩の志士です。最近では大河ドラマ『西郷どん』の主題にもなったため、彼については良く知っている方も多いのではないでしょうか?

薩長同盟の締結に当たって、龍馬は西郷に対し「長州は立場上同盟を言い出せない立場だから、ここは薩摩が男を見せてやれ」と発破をかけたことが伝わっています。また、勝海舟の海軍操練所が閉鎖され、途方に暮れる龍馬を支援して薩摩で再起をはからせたのも西郷の功績です。龍馬も西郷も、共に情に厚い人物であったと記録されているため、きっとそのあたりの性格でもウマが合ったのでしょう。

創作では龍馬暗殺の黒幕として描かれることもある西郷ですが、歴史書によれば、西郷は龍馬の死に対して声を上げて泣いたと記されています。真相は藪の中ですが、もしその記載が本当ならば、龍馬と西郷の間に硬く熱い友情があったことに疑いをはさむ余地はないでしょう。

■武市半平太

龍馬の同郷である土佐藩の志士です。土佐勤皇党を設立し、過激な尊王攘夷活動を展開。最後は志半ばで獄につながれ切腹させられた、幕末に消えた知識人の一角でもあります。

武市が龍馬に与えた影響は、言い方は悪いですが「反面教師」的な部分が多いです。先述どおり、龍馬も当初は土佐勤皇党に所属していましたが、武市の掲げる過激な尊王攘夷論は、龍馬とは反りが合わず、その合わなさが、龍馬が土佐を脱藩するきっかけとなってしまいます。そしてその脱藩こそが、後に龍馬が成し遂げる大きな偉業へと繋がっていくのです。

もっとも、思想的に反りが合わなかっただけで、彼らの仲は良かったそう。真面目な知性派の武市と、飄々とした感覚派の龍馬。一見すると合わなそうな二人ではありますが、お互いにあだ名で呼び合うなど、親しい様子が伝わっています。

■坂本乙女

龍馬の実の姉であり、母代わりでもあった女性です。非常に大柄で、並の男性よりも男らしい性格だったらしく、幼い頃の泣き虫だった龍馬を叱り飛ばすなど、肝っ玉なエピソードが数多く残っています。

龍馬は大人になり、脱藩をしてからも乙女の事をたいそう慕っていたらしく、現存する龍馬直筆の手紙のうち、そのほとんどは乙女に宛てたものであるとも言われています。当時の手紙は高価であったため、一体どれだけのお金を、乙女とのやり取りに使ったのでしょう。

龍馬の妻であるおりょうとの関係は、最近まで「不仲であった」という説が通説でしたが、研究が進んだ昨今では、「龍馬を喪ったおりょうに対して、何かにつけて世話を焼いていた」という研究結果も出ています。

どちらが真実かは確かめようがありませんが、「坂本龍馬を育てた、姉であり母」という観点から見ると、最近の研究結果の方が真実であるように感じられます。

■トーマス・ブレーク・グラバー

幕末の日本で活躍した武器商人であり、龍馬にとっては大口の商売相手でした。龍馬の死後、日本が開国した後も日本に残り続け、現在でも世のお父さま方から広く愛される「キリンビール」の創始者ともなっています。

彼と龍馬の関係性は、記録上で見るとただの商売相手でしかないのですが、グラバーは龍馬の事をとても気に入ったいたらしいことが、様々なうわさから推測できます。

グラバーは”麒麟(きりん)”という神獣をとても気に入っていました。「太宰府天満宮の麒麟象を譲ってほしい」と、何度も打診していたほど気に入っていたそうです。自身の起こした会社のロゴや社名にするぐらいなので、その気に入り振りは誰にでも想像がつくことでしょう。

しかし、その麒麟について、グラバーは龍馬と麒麟を重ねて見ていたという説があるのはご存知でしょうか?将来有望な人物を「麒麟児」と表現することがあります。あくまで俗説程度ではありますが、グラバーも龍馬をそのように見て、麒麟と龍馬を重ねていたと考えると、面白く夢のある話のように思えます。

みなさん、いかがでしたでしょうか?

私自身、改めて龍馬が一生涯懸命に生きた人、自分に正直に、可能性を見て生きた方なんだなと感じました。だからこそ人に恵まれ、パートナーにも恵まれたのだなと感じ、私自身も時代は違えど、理想の生き方をしようと感じました。







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